第六話 赤白鳥の奏鳴(4)ー2


 笛の音でゲームが止められ、主審は迷うことなくイエローカードを提示する。

 中央に走り込めていたのはリオ一人だけだった。冷静になってみれば、翔督の守備陣形が崩されていたわけでもなかったのだけれど、完璧な突破を許してしまった敵の6番は、思わず手を出して天馬を倒してしまっていた。

 後ろから倒されたことが納得出来ないのだろう。天馬は自分を倒した選手に詰め寄ったが、彼の怒りなど無視して、仲間たちが次々と天馬の頭を祝福するために叩いていった。

 直接ゴールを狙うには右サイドに寄り過ぎているものの、コーナーキックよりは大きなチャンスだろう。時間も十分に使うことが出来る。

 交代出場してからの最初のプレーで、天馬はいきなり自らの価値を証明して見せたのだ。

まさと天馬も前線に入りなさい! 零れ球でも何でも良い! ここで先制点を奪えれば、絶対に勝てるわ!」

 今日のレッドスワンが、残りの十五分で二失点するとは思えない。確かにここで点を取れれば、最低でもPK戦に持ち込める気がする。

 本日のセットプレーでは、伊織、常陸、リオの長身トリオに加え、決定力のある鬼武先輩だけが前線に上がるよう指示されていた。しかし、世怜奈先生はここを勝負所と見たのだろう。

 ここまではコーナーキックさえもらえていなかった。高さのあるもりこし先輩と、天馬を前線にプラスすることで、リスクをおかしてでも得点を奪いにいくことを決めたのだ。


 レッドスワンの強力なセットプレーに対して、ほとんどのチームは全選手をゴール前に戻して防御する。だが、翔督はさすがに強気だった。エースのクラウディウスだけは前線に残ったのである。彼は恵まれた身体を生かして、抜群のポストプレーも見せられる。ボールを奪ったら彼を起点にして、即座にカウンター攻撃を見舞うつもりなのだろう。

 両チームにとってこのセットプレーはぶんすいれいとなる。そんな気がした。

 セットプレーのキッカーに入ったのは、づき先輩ではなく圭士朗さんだった。直接狙うのは難しいとみて、葉月先輩は後輩にキッカーを任せたのだ。

 圭士朗さんは左手の親指と人差し指を突き出し、ボールを蹴る位置を味方に伝える。

 それから、低い軌道の直線的なボールがペナルティエリアへと蹴り込まれた。

 マークを振り切ってニアに走り込んだ伊織が、そのままボールの送られてきた右サイドにヘディングで折り返す。無人の右サイドにボールが戻され、そこへフリーで走り込んだのは葉月先輩だった。先輩は自陣に戻ると見せかけて、キックの瞬間に再び右サイドへと走り出していたのだ。

 準決勝のためにサインプレーを練り上げてきたのは翔督だけじゃない。

 慌てて敵の選手が飛び出して行ったが、完全に虚を突かれた彼らの守備は間に合わない。

 ペナルティエリアに走り込んでいる選手は、常陸、リオ、鬼武先輩、森越先輩、天馬の五人。人数は十分に揃っている。葉月先輩の利き足ではない右足から美しい軌道のクロスが届き、落下地点に入ったのは、リオだった。圧倒的なバネで跳躍すると、頭一つ抜け出した高さから、強烈なヘディングシュートを放つ。

 しかし、翔督はGKもレベルが高かった。

 完璧なシュートに神がかり的な反応を見せると、GKは腕をめいっぱいに伸ばしてボールに触れる。

 GKが弾いたボールは、そのまま右ポストに直撃し、ペナルティエリアへと跳ね返った。

 最大のチャンスで仕留めそこなった!

 凄まじい悲鳴がスタジアムを包んだが、集中力を途切れさせた選手は、どちらのチームにもいない。

 零れ球に反応していたのは、敵のCBと森越先輩だった。ほぼ同時に二人が触ったボールは、その勢いで大きく頭上に弾かれ、その落下点に今度は常陸が飛び込む。

 常陸は目の端で天馬の姿を捉えていたのだろう。彼が待つ左サイドへとヘディングでボールを流したのだけれど、常陸の意図には敵も気付いていた。天馬がシュートを放つ寸前、敵の選手が倒れ込むようにしてボールを大きく蹴り出す。


 千載一遇のチャンスを生かせなかったこと、それを後悔している暇はない。

 DFが無理やりクリアしたボールではあったものの、偶然にもそれは前線で張っていたクラウディウスの下まで届き、鮮やかな胸トラップでボールをキープした彼は、激しい寄せを見せた圭士朗さんにボールを奪われるより早く、自陣から走り寄ってきた仲間にボールを戻す。

 そして、ワンステップで圭士朗さんと身体を入れ替えると、そのまま彼はレッドスワンの前線に全速力で駆け上がっていった。

 多くの選手が前線に上がったせいで、レッドスワンの守備陣形は崩れている。

 クラウディウスからのボールを受け取った敵のボランチが、ダイレクトに前線へと蹴り出し、無人となっていた右サイドにボールが転がっていく。

 そのスペースに駆け上がっていたのは、もう一人のFWフオワードざきりんいちろうだった。

 レッドスワンの最終ラインに残っているのは、チーム最低身長のだかと、交代でボランチに入った、やはり小柄のひびきである。今、正確なクロスを江崎に入れられたなら、クラウディウスの高さとパワーには絶対敵わない。

 絶体絶命の状況で、誰よりも早く最前線から戻ってきたのは鬼武先輩だった。リオのヘディングが外れた瞬間に、カウンターをケアしようと先輩一人だけが戻り始めていたのだ。

 右サイドを疾走する江崎が中央を見据え、クラウディウスのマークを確認する。

 全速力で江崎を追う鬼武先輩は、その背中まであと一メートル。

 江崎からのクロスが送られようとしたその瞬間、先輩は後方からのスライディングタックルを試みる。後ろからのスライディングは本当に難しい。ボールに触れるより先に敵を蹴ってしまえば、悪質な危険行為として一発退場も考えられるプレーだからだ。

 結果だけを見れば、鬼武先輩の一か八かのスライディングは、ボールを蹴り出すことに成功したと言えるだろう。勢いよく弾き飛ばされたボールが、タッチラインの脇にあった看板を直撃したからだ。先輩がボールを蹴り出せていなければ、あんな軌道にはならない。

 しかし、ボールを蹴り出すと同時に、先輩は江崎のことも倒してしまっていた。

 主審のジャッジは……。


 笛の音がフィールドを切り裂き、主審が掲げたのはイエローカードだった。

 後半三十二分、絶体絶命のピンチで決死のスライディングを試みた鬼武先輩に対し、今大会二枚目となるイエローカードが提示される。

 チームの誰もがそのカードの持つ意味を理解していた。

 イエローカードは累積で二枚提示されると、次の試合が出場停止となる。

 たとえこの準決勝で勝利しても、鬼武先輩は決勝戦の舞台に立てないのだ。


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