第六話 赤白鳥の奏鳴(4)ー1


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 先生が明確な方針を示したように、僕らはスコアレスドローで良いと思っている。

 前日練習でもかなりの時間をPK戦の準備に費やしているし、何より今日のかえでは当たっている。ここまで調子の良いGKゴールキーパーを相手にPKを蹴るのは、本当に勇気がいるはずだ。

 僕らがPK戦で構わないと考えているということは、裏を返せば、敵にとってはそれでは駄目ということである。実力で上回るチームにとって、運の要素が大きくつきまとうPK戦は、避けたい事態だ。一点奪えば勝負は決まる。彼らはそう考えているはずであり、実際、時間の問題で得点が決まるような圧倒的な展開でもあった。しかし、十六本というシュートを記録したにも関わらず、彼らは前半戦で一点も奪えていない。

 焦る気持ちはリズムを崩す大敵だ。

 早く得点を奪いたいから、準備の出来ていない前線にボールを送ってしまう。予期せぬタイミングでパスが届くから、前線も上手くボールを処理出来ない。

 時間が進むにつれて彼らの攻撃は雑になり、少しずつゴールから遠のいていく。

 後半のキックオフから十分間、楓のセーブらしいセーブは生まれていない。それは、取りも直さずレッドスワンの守備陣が敵に決定機を作らせていないことを意味していた。


 後半十五分過ぎから、世怜奈先生は交代カードを切り始める。

 フィールドを横断する交代選手の露骨な時間の使い方を見て、はっきりと引き分けからのPK戦狙いが伝わったのだろう。

 翔督の攻勢はますます強まったものの、はやる気持ちだけで上手くいく競技ではない。

 守備力だけならレッドスワンは高校サッカー界のトップクラスである。オーガナイズされた組織的な守りに加え、個の力に対応出来るおりがおり、今大会で一躍、その名を全国に知らしめたさかきばらかえでが守護神として君臨している。応援マネージャーが求愛したからじゃない。これまでの三試合で、楓は自分の実力を完璧に証明していた。


 五分置きに、敵のせいぐ形で、世怜奈先生は選手を交代させていく。

 残り時間が二十分を切ったタイミングで、三人目の交代選手として呼ばれたのは、レフティアタッカーのむろてんだった。

 前半に比べればピンチの数が減ったとはいえ、防戦一方の展開は変わらない。押し込まれ続けているせいで、アタッキングサードへはほとんどボールを運べていないのが現状だ。

 今日はスコアレスドローのPK戦でも構わない。そうチームの意識は統一されているが、得点を奪うことを放棄したわけじゃない。

 天馬は三回戦こそフル出場したものの、守備に傾注した初戦と四回戦では途中出場にとどまっている。彼は主力の中で唯一、フレッシュな状態をキープしている選手だ。

 そんな天馬をこの時間まで温存したことには確かな意味がある。一瞬の切れ味が落ちる試合終盤、抜群のスピードを持つ天馬のドリブルは、確かな脅威となるのだ。

 天馬なら一人でも前にボールを持っていける。翔督DFデイフエンスを一人で切り裂けるとまでは思わないが、確実に混乱させられるだろうし、ファウルをもらえる可能性もある。

「天馬、君が対峙する右SBサイドバツクの4番はかなり疲れている。キックオフ直後からしんすけと、やり合っていたからね。消耗するのは守っている側だけじゃない」

 両足の膝に手を当て、フィールドをにらみつける天馬の頭に、世怜奈先生が手を乗せる。

「天馬がドリブラーであることは分かっているだろうから、君がフィールドに入れば、敵はダブルマークで潰しにくるわ。正面を4番が、中央側を恐らくボランチの6番がふさいでくる」

「望むところだ。二人だろうが、三人だろうが、ぶっちぎってやる!」

「ダブルマークがついたら、迷わず二人の間に切り込みなさい。レフティのドリブルには目が慣れるまでに時間がかかる。ファーストコンタクトが勝負よ。さあ、暴れてきなさい!」


 後半二十七分、クリアボールが敵のエンドでタッチラインを割り、りよういちに替えて天馬が送り出される。劣勢の続く状況で切り札として投入された天馬は、気合いで満ち溢れていた。

 ワントップの常陸ひたちを追い越すほどの位置に天馬が入ると、すぐさま翔督ベンチから声が飛ぶ。先生が予想した通りだった。ボランチとSBの二枚で動きを見張るよう指示が飛び、右ワイドに張った天馬の方へと、ボランチの6番が位置をずらす。

 天馬は精神的な浮き沈みの激しい選手だが、負けん気の強さも持っている。ろうがベンチへと下がったため、フィールドの中では唯一の高校一年生だ。それでも、彼の中に気後れはない。ダブルマークがついたことも、自分が評価されているようで嬉しいのだろう。

「先輩! 俺にくれ!」

 けいろうさんが敵のパスをカットすると、迷わずサイドを駆け上がってボールを要求する。

 司令塔からの正確無比なパスを足下に収め、勢いよく天馬は右サイドを駆け上がる。それから、並走していたSBに追いつかれる直前、足の裏でボールを引くと、左足のアウトサイドにボールを置き、今度は中央を見据えた。

 普段の試合であれば、天馬が右サイドでボールを持った際、SBのおにたけ先輩が援護射撃の攻め上がりを見せる。けれど守備が最優先の本日、天馬は一人で勝負しなければならない。

 常陸が中央から走り寄って天馬を助けようとしたものの、ワントップの常陸にはマークが張り付いていた。常陸へのパスはまず通らないだろう。

 高校サッカー界、トップクラスの選手二人に前方と左側を塞がれ、仲間からの援護もない。ボールを失いたくなければ、後方に戻すことも一つの選択肢だ。しかし、ようやく出場のチャンスを得た天馬の中に、勝負を仕掛けないという選択肢はなかった。

 ボールを奪うために、敵のボランチとSBが激しく身体を寄せてきたその瞬間。

 天馬は二人の敵の間に、軽くボールを浮かせて通す。

 そして、迷わず、その後を追って、全速力で二人の間に突っ込んでいった。

 サッカーは手を使ってはいけない競技だ。とつうきだまには足が出ない。虚を突かれた二人の間をすり抜け、天馬は慌てて前に出てきたCBセンターバツクよりも先に、自らが出したパスに追いつく。

 敵ペナルティエリアまでの距離はおよそ十五メートル。

 ダブルマークを突破した天馬は顔を上げ、逆サイドからペナルティエリアに走り込むリオの姿を確認する。右サイドを破った天馬や鬼武先輩からのクロスを、中央でリオが合わせて叩き込む。それは、レッドスワンが流れの中から得点を決める、最も多いパターンだ。

 敵のCBに捉えられるより早く、天馬はボールを蹴り込むためのステップを踏み……。

 次の瞬間、天馬はぶっちぎったはずのボランチに肩を摑まれて、引きずり倒されていた。


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