第五話 貴顕紳士の黄昏(4)


             4


 今年度、高校選手権の準決勝と決勝は、埼玉スタジアム2002で開催される。

 六万人を超える収容人数を誇る、アジア最大級、日本最大のサッカー専用スタジアムだ。

 僕ら新潟県民の聖地であるビッグスワンは日本海側で最大級のスタジアムだが、陸上競技場でもあるためトラックが設置されている。そのため、どうしても観客席からフィールドまでは距離がある。しかし、このスタジアムは違った。

 フィールドのすぐ近くまで迫る観客席が、圧倒的な迫力で選手を取り囲んでいる。


 一月九日、土曜日。

 石川県代表、加賀翔督との決戦に先だって、準決勝の第一試合がおこなわれていた。

 生を受けて以来、一度も会ったことがなかった実の父親を、観客席から見つめる。

 この準決勝から試合時間はプロと同じ九十分だ。

 キックオフ直後からたかつきりようはテクニカルエリアに立ち、穏やかな眼差しながらも細かな指示を選手たちに送り続けている。

 自分のぼうが武器になることを理解しており、時には派手なパフォーマンスでマスコミを利用することもいとわない先生とは、対照的な立ち居振る舞いだった。

 こうして外側から見ているだけでは、二人が師弟関係にあるなんて信じられない。

 高槻涼雅の指揮がこうそうしたのか、市条は一点リードで前半を終えることになった。


 競技開始時間の七十分前に、マッチコーディネーションミーティングがおこなわれる。

 自分たちの準備のために席を立ち上がると、

「おい、ゆう。もう覚えたから、これはいらねえ」

 かえでに小さなノートを押しつけられた。

 本日の試合で最優先にされる目標は、敵を九十分間シャットアウトすることである。その目標を達成するには、楓の活躍が必要不可欠だ。今朝、ギリギリの時間まで、僕は敵のシュート傾向を分析しており、それをまとめたノートを楓に渡していた。

「今日も頼むぞ。シュートを打たせずに守り切れる相手じゃない」

「まあ、黙って見てろ。失点ゼロで優勝して俺は伝説になる。この大会が終わったら、もう誰にもてめえが俺より上だとは言わせねえ」

 GKゴールキーパーにポジションを変えたというのに、相変わらず楓は僕への対抗意識がしだった。

「優雅、これを見ろ」

 楓は手にしていたサッカー雑誌を開く。

「お前、父親も母親もいないって言ってたよな。だけど、この市条の監督、名前がかぶり過ぎじゃねえか? こいつ、まさかお前の父親じゃねえよな?」

「……そのまさかみたいだね」

 僕の回答に対し、楓は目を細める。

「マジかよ」

「生まれてこの方、一度も会ったことがなかった父親と、こんな場所でニアミスするとは思わなかったよ」

「そうか。やっぱり、てめえの父親だったのか」

 楓は喉の奥で声を嚙み殺すようにして笑う。

「会ったことがねえってことは、親に捨てられたってことか?」

「さあね。そんなことは知らないよ。実際、興味もない」

「……父親に会いたくねえのか?」

「今更、会ってどうするのさ。言いたいことも、聞きたいことも、別にないよ」

「ふん。まあ、良い。面白いじゃねえか。こいつがてめえの父親だってのなら、要するに俺の敵だ。ぶちのめさねえと気が済まねえ。決勝で赤っ恥をかかせてやるぜ」

 GKに出来ることは、敵を〇点に抑えることだけである。恥をかかせる方法なんてあるはずもない。相変わらず深く考えずに喋っているのだろう。

 楓は言いたいことだけ好き放題のたまった後で、歩いて行ってしまった。


 監督、コーチ、キャプテンのおり、三人で出席したマッチミーティングにより、本日もレッドスワンは赤と白を基調としたユニフォームを着て、ホーム側のベンチに入ることが決まった。

 両チームの先発メンバーが記された用紙が提出され、翔督のフォーメーションを知る。フィジカルに優れる強力ツートップは、予想通り今日も先発だった。

 敵のメンバーを確認した上で、全部員を集め、直前ミーティングをおこなう。

 それから、用意されていた控室を出ると、準決勝の第一試合が決したとの報が入った。

 勝者は青森県代表、青森市条高校。

 彼らは二対〇というスコアで、初出場にして決勝進出という快挙を成し遂げていた。

 この準決勝に勝利すれば、世怜奈先生の夢が叶う。僕は実の父親と対面することになるかもしれない。だが、そんなことはもうまつなことだった。

 もう一試合、あと一試合、先輩たちと共に、このメンバーで戦いたい。


 控室を出て、ウォーミングアップのためにフィールドへと向かう道中。

「優雅、昨日は世怜奈先生にきちんと話を聞けたか?」

 僕だけに聞こえる声で、伊織が告げる。

「ああ。ほとんどの言った通りだったよ。市条の高槻って監督が、先生の恩師だった。教育実習で知り合って、大学卒業まで指導を受けていたらしい。もう一つの推理も正解だ。あいつが……」

 その時、僕の肩を引っ張り、伊織があごで右手のロビーを示した。

 通路の向こう、視界の先に、記者たちに囲まれた男の姿が見える。噂の高槻涼雅だった。

「どうする? 挨拶してみるか? お前にその気があるなら、俺が宣戦布告をしても良いぜ」

「そうだね。それも良いかもしれない。でも、どうせなら、挑戦権を得てから伝えたいかな」

「それもそうか。分かった。任せとけ。どのみち試合で向き合うことになりゃ、言葉なんて意味がなくなる。必ず決勝にお前を連れてってやるよ」


 選手入場ゲートをくぐり、フィールドに立つ。

 六万人の観衆で埋まったサッカー専用競技場は、信じられないくらいの熱気に満ちていた。

 向けられる黄色い声援の密度さえ、いつもとは違う。

 観客席との距離の近さは、こんなにも圧倒的な迫力を生むのだ。

 気付けば、拳が強く握り締められていた。

「こんな時に言うことじゃないかもしれないんだけど」

 隣に立つ伊織に告げる。

「僕もこのピッチに立ちたかったよ。こんな空気の中でサッカーがしてみたかった」

 すべての想いを受け止めるように、伊織が僕の肩に腕をかける。

「昨日、世怜奈先生の将来については聞いたのか?」

「ううん。父親のことだけで頭がいっぱいになっちゃってさ。それどころじゃなかった」

 視界の先で、世怜奈先生は楽しそうにピッチコンディションを確認している。

 昨晩、彼女の涙を見てしまったことも、一日経った今では噓みたいだった。

「市条を倒してから、ゆっくりと聞いてみるさ」

「なあ、優雅。世怜奈先生が来年もレッドスワンにいてくれるかは分からねえ。でもな、もしもあの人がいなかったとしたら、今度は俺が舞台を整えてやるよ。来年もここに来よう。今度はお前も一緒に、このフィールドに立つんだ」


 僕らはまだ十七歳だ。一年後の自分の姿なんて想像も出来ない。

 それでも、夢を吸って、希望を吐く。

 強く、しなやかに、明日を描いていく。

 相手が最強の敵だろうと関係ない。もう二度とひるまない。そう決めたのだ。

 けんこんいつてきのその時はきた。


 さあ、いざ勝負だ!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る