第五話 貴顕紳士の黄昏

第五話 貴顕紳士の黄昏(1)-1


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 四回戦の翌日、一月六日、水曜日。

 準決勝まで勝ち残った四チームには、今日から中三日の休息が与えられる。トーナメントの再開は土曜日で、勝利チームは月曜日、ハッピーマンデーの祝日に決勝を戦うことになる。

 高次元で集中力を保つには、適度のリフレッシュも必要だ。本日を夕食まで完全オフとすることで、先生は残り二試合を戦い抜くための活力を選手に取り戻させようとしていた。


 午後二時、おりけいろうさんと共に、さんとの待ち合わせ場所へと向かう。

 真扶由さんが指定してきた待ち合わせ場所は、宿舎から徒歩で行ける距離にある喫茶店だった。彼女は一時間以上、電車を乗り継いでここまで来たという。

 平日ということもあり客の数は少ない。ゆったりとしたソファーは、身体の大きな伊織や圭士朗さんでもくつろげるだけの大きさがあり、向かいの椅子に座って真扶由さんが待っていた。彼女の隣に華代が腰掛け、対面のソファーに男子の三人が並んで座る。

「準決勝進出おめでとう。昨日の試合も最後まで手に汗握って見ちゃったよ。PK戦って初めて見たけど、凄く緊張しそう」

 真扶由さんの言葉を受けて、圭士朗さんが苦笑いを浮かべる。

「PKを外した試合で負けなくて良かったよ。危うく情けない姿をさらすところだった」

「でも、最初に蹴っていたってことは、それだけ信頼されているってことでしょ?」

 圭士朗さんがチームでになじゆうせきは、どうやら真扶由さんにも伝わっているようだった。


 どれくらい雑談を続けただろう。

 本題も見えないまま話し続け、既に三十分が経過していた。

 伊織と真扶由さんの間に接点はない。ほとんど初対面だったはずだが、二人が持つ生来のひとがらもあり、すぐに打ち解けていた。

 伊織がお手洗いに立ち、会話が途切れたタイミングで、真扶由さんがトートバッグから一冊の雑誌を取り出す。高校選手権を特集したサッカー雑誌だった。宿舎にも一冊、かえでが買ってきた同じ雑誌があった気がする。

 ページを開くと、各高校の選手名簿が載っており、チームの特徴や県予選の成績が詳細に記されていた。せんが貼られているのは、レッドスワンの紹介ページだろうか。

 伊織が戻って来るのを待ってから、華代が話し始める。

「そろそろ本題に入るね。今日、こうして集まってもらったのは、ゆうのことで話したいことがあったからなの」

 どうやら話題は僕のことだったらしい。

 華代と真扶由さんは心苦しそうに僕を見つめていた。

 ここでどちらかを選べみたいな選択を迫られるとは思えない。だとすれば、煮え切らない態度にごうを煮やして、どちらかが僕に愛想を尽かしたとか、もう好きではなくなっただとか、そんなことを宣告されるのだろうか。

「真扶由に話を聞いた時、最初は優雅と三人で話そうと思った。でも、多分、この問題はいずれ皆にも分かることで、試合前とか嫌なタイミングで悟られるくらいなら、先に伊織と圭士朗さんには聞いておいてもらった方が良いのかなって。きっと、優雅も心強いだろうから」

 今、華代がとても真剣に話していることは分かる。どうやら恋愛の話ではないらしいということも何となく分かった。しかし、肝心の話題については想像もつかない。

「優雅君、前に家族の話をしたことがあったの覚えてる? 私が家族の話をしたら、優雅君も自分の家族のことを教えてくれたよね。自分を産んだ時にお母さんが亡くなっていて、お父さんとは会ったこともないって」


 母は生まれつき身体が弱く、僕を出産した時に亡くなっている。そして、同時期に、父は誰にも何も告げずに失踪したという。それが、唯一の家族だった祖母に聞いた話である。

 認知症になり施設に入った祖母は、元気だった頃から失踪したという父親のことを酷く憎んでいた。実の息子である僕にも、名前以外は教えてくれないほどに嫌っていた。

 身体の弱い母は、子どもの頃から季節の節目に入退院を繰り返すような人だったという。極端に体力がなく、医師にも子どもを産むのは難しいと言われていたらしい。そんなこともあり、祖母は二人の結婚にも最初から反対していた。けれど、祖母の制止を振り切って母は結婚し、僕を妊娠してしまった。

 一般的な出産において、医療現場で優先されるのは、子どもの命ではなく母体であると聞く。日を追うごとに健康状態をされる中で、それでも母は愛する夫の子どもを産むという決意を、一度として揺らがせなかったという。

 おなかの中に宿った命を、自分を犠牲にしてでも守る。そう決意していたらしい。

「お前はが命を引き換えにして産んだ子どもなんだよ」

 僕はそう言い聞かされながら育ってきた。


 どうして父親は息子を残して失踪したんだろう。

 どうして僕に会いに来てくれないんだろう。

 子どもの頃はそんなことを思うこともあった。だけど、祖母に尋ねることは出来ない。

「あんな男と結婚しなければ、娘が二十代で死ぬこともなかった」

「美雨の遺言がなければ、お前を『たかつき』という名字では育てなかった」

 祖母が父親をぎらいしていることはよく分かっていた。

 足が悪いため、家にこもりがちの生活を送る祖母には、親戚付き合いがなかった。祖母が口を閉ざす限り、父親のことを教えてくれる人なんていない。


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