第四話 氷面鏡の雪洞(5)ー2


「明日、華代と真扶由さんが俺たちを呼び出したのは何でなんだろうな」

 大きなあくびをしてから、伊織が呟く。

「顔くらいは分かるけど、俺、真扶由さんとは喋ったこともないぜ」

 明日の午後、僕らは五人で会うことになっている。

 旅館の近くにある喫茶店に呼び出されているのだ。

「優雅、思い当たるふしはないのか? この場で片方を選べってせまられそうだなとか」

「そんなことをする二人でないことだけは確かだね」

「それもそうか。ま、俺は華代と出掛けられるなら、用件なんて何でも良いや。そうだ。先に言っておくが、優雅に相応ふさわしいのは真扶由さんだと思うぜ。お前にはああいう大和やまとなでしが似合ってる。気付いていないだけで、お前だって本当は彼女のことを……」

 伊織の話をさえぎるように、圭士朗さんが両手を使って水鉄砲による砲撃を飛ばす。

きような真似はやめろ。シミュレーション行為だぞ」

 圭士朗さんの警告に対し、伊織はノーファウルをアピールするかのように、両手を広げておどけて見せる。

「優雅、実際のところはどうなんだ? 結論みたいなものは出そうにないのか?」

 背中に当たる石に頭を預けて、星も見えない東京の夜空を見つめる。

 高校選手権のただなかとはいえ、自分の心を探る時間は沢山あった。

「真扶由さんが泣いていたって話を聞いてしまったしね。いつまでも、こんな状態でいるわけにはいかないって思ってるよ。でもさ、幾ら頭を回転させても、心と連動している気がしないんだ。自分が何を求めているのか、よく分からない」

「さっきの俺たちの話じゃないけど、お前の中に認めてもらいたいって感覚はないのか? 本質的な部分で理解されたいみたいな」

「……どうかな。あんまり人の評価とか気にならないし」

 それが噓偽りのない本音だ。

「天才って時々、腹立たしいな。お前の中にも少しくらいはあるだろ。真扶由さんに試合を見てもらいたいなとか。認められたいなとか。やっぱり彼女のことが好きかもなとか」

「最後のはともかく、まったくないわけじゃないよ」

「そうだろ? よし、じゃあ、よく考えてみろよ。優雅、お前が今、一番、認めて欲しい人間は誰だ?」

 問われるがまま、胸の奥底で揺れる感情にアクセスしてみる。

 そして、はじされた回答は……。


「……いて言えば、世怜奈先生かな」


 伊織が顔に手を当ててうなだれ、圭士朗さんは楽しそうに笑う。

「優雅らしい答えじゃないか。伊織、分かっただろ。誘導は諦めて正々堂々と戦え。責任を取れない外野の感想になるが、華代の言動を見る限り、脈が皆無ってこともないはずだ」

「圭士朗さんの言葉でも、この件に関してだけは信用出来ないぜ」

 人間の感情というのは不思議なものだ。フィールドではあんなに自信に満ちたプレーを披露しているのに、こと恋愛問題になると伊織は弱い。

「そういや、お前らがいなくなった後で華代に聞いたんだけどな。ファンレターが一番多く届いていたのは先生だったらしいぜ。真剣に交際を申し込んできた手紙まであったって話だ」

「へー。世怜奈先生は二十六歳だったよね。結婚って考えたりしないのかな」

 女子大に通っていたという話だし、卒業後もサッカー漬けの生活を送っているわけだから、出会いがあるようには思えない。

 しかし、何しろあの目立つ容姿である。旧家のお嬢様という出自を考えれば、お見合いなんかの話があっても不思議ではない気がする。選手権予選でなみ高校の監督に求愛されていたことも記憶に新しい。

「考えるも何も結婚なんて無理じゃねえか? あの人のファーストプライオリティが、サッカー以外になるところなんて想像つかねえもん。ナチュラルに恋愛不適合者だろ」

 伊織の言い分は酷かったが、すんなりと納得出来てしまった。

 世怜奈先生が恋愛に心を躍らせている姿は、やっぱり、ちょっと想像出来ない。

 国語教師としての評判も上々だと聞くけれど、実際のところ、それは仮の姿にすぎないのだと思う。本当の彼女は、それこそ二十四時間、サッカーのことばかり考えていたいはずだ。

 そして、そんな人だからこそ、僕らは信頼を預け、ついていきたいと願いもする。


 世怜奈先生は来年も、レッドスワンの指揮を執ってくれるのだろうか。

 今はただ、ひたすらに、先生のいない未来が怖かった。


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