第四話 氷面鏡の雪洞

第四話 氷面鏡の雪洞(1)ー1


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『選手権では決勝以外に延長戦がない。何処かで引き分けに終わる可能性が高い。優勝を目指せるのは、PK戦でも勝てるチームだ』


 一月五日、火曜日。

 四回戦、東京代表、ていらいとの準々決勝では、前監督、あしざわへいぞうの予言が的中した。

 連戦の疲労を蓄積させた両校の激突は、〇対〇のスコアレスでタイムアップを迎える。守備的な戦術を得意とする両校の戦いは、八十分で決着がつかなかったのだ。

 サッカーには優勢勝ちという概念がない。トーナメントでは必ず勝ち上がりを決める必要があるため、同点で終わった場合は、各チームが五人ずつの代表を出してPK戦をおこなう。五人で決まらない場合は、六人目、七人目と、勝敗が決するまで続くことになる。

 PK戦に参加出来るのは、タイムアップの時点でフィールドに残っていたプレイヤーのみだ。ベンチメンバーや選手交代でピッチを退しりぞいた選手は、見守ることしか出来ない。


かえで、良く守り切ったわ」

 得点を奪えなかった攻撃陣に不満があるのだろう。不機嫌な顔でベンチまで戻ってきた守護神の肩に、先生が手をかける。

「全国大会で三試合、無失点を続けたのよ。自信を持ちなさい。PK戦も任せたからね」

「つーかさ、俺も蹴りたいんだけど」

「キッカーの順番はもう決めてある。楓は六番目よ」

「それじゃあ俺の番がこねえじゃねえか。サドンデスになんてならねえよ」

 今日も会場は超満員の大入りであり、このPK戦を勝ち上がれば全国ベスト4である。

 タイムアップを迎え、ベンチへ戻ってきた選手たちの顔は、一様に緊張に満ちている。これから始まるのは、失敗した者だけがスポットライトを浴びる残酷なPK戦だ。ほとんどの選手が表情を強張らせている中、うちの守護神はいつものごうがんそんだった。

「キッカーの順番を発表します」

 世怜奈先生に促され、アディショナルタイムに受け取ったオーダー表を僕が読み上げる。

けいろうさん、づき先輩、おにたけ先輩、リオ、おりの順です」

「ま、予定通りだな。良いと思うぜ。この期に及んで余計なことはしない方が良い」

 キッカーとしても優秀な楓を五人のメンバーに含めなかったのは、まずはGKゴールキーパーとしての仕事に集中して欲しいからだった。


 GKを除いた選手たちが、ハーフウェイラインに並び、PK戦のぶたが切られる。

 先攻はレッドスワンだった。

 最初のキッカーを務めるのは、チーム随一の精度の高いキックを誇る圭士朗さんである。

 レッドスワンの司令塔は、セットされたボールから三メートルほどの助走を取り、いつものように真っ直ぐ、敵の守護神を見据えていた。蹴る方向を読まれないようにするため、GKと目線を合わせないキッカーも多いが、圭士朗さんはいつも蹴る寸前までGKの動きを見つめている。

 ボールをミートする能力に長けた選手のシュートは、時速百キロを超える。それが、わずか十一メートルの距離から飛んでくるわけだから、ゴールの隅に蹴られた場合、飛んでくるコースを見てから止めに行ったのでは間に合わない。だからこそ敵が強いボールを蹴ってくると判断したGKは、シュートの瞬間に左右どちらかに飛ぶ。PK戦が運の勝負と言われるのは、このあたりの事情が要因だろう。

 軽い助走から圭士朗さんが蹴り込んだボールは、ゴールの左上に真っ直ぐ飛んでいった。

 決して甘いコースではない。威力が弱かったわけでもない。

 しかし、最初の勝負で読み勝ったのは敵の守護神の方だった。

 片手一本ではじかれたボールは、真上のクロスバーに直撃し、フィールドへと跳ね返った。

 絶対の信頼を預けられていた圭士朗さんのキックが、失敗に終わってしまったのだ。


 この重大な場面での失敗に、さすがに動揺しているのだろう。

 ぼうぜんとした眼差しでイレブンの下に戻った圭士朗さんを、すぐさま伊織と鬼武先輩が両脇から抱き締め、鼓舞するように背中を叩いていた。その耳元にささやかれた言葉は、ベンチ前の僕らには聞こえない。それでも、仲間たちの励ましにより、圭士朗さんが気持ちを立て直せたことは分かった。

 圭士朗さんは仲間たちと肩を組み、敵のキックへと視線を向ける。

 大抵のチームは、最初のキッカーに最も信頼のおける選手を配置する。視界の先で、エースナンバーの10番を背負った敵のMFミツドフイルダーが、楓の逆をついた一撃を確実に沈めていた。


 レッドスワンの二番手は葉月先輩だった。

 テレビ中継を意識しているのだろう。ボールをペナルティスポットにセットすると、髪をげてから、テレビカメラの集中するコーナー付近を見据える。それから、先輩は任せろとでも言うように、握り締めた右の拳で心臓の辺りを叩いていた。何故、ベンチメンバーでもチームメイトでもない人間に向けてメッセージを送っているのだろう……。

 その後、葉月先輩は両手を腰に当てて、天を仰ぐと大きく息を吐き出した。それから、何かを祝福でもするかのように、ゆっくりと両手を広げていく。

 あのナルシストは一体何をやっているんだろうか。既に三回戦で一枚、イエローカードをもらっているのだ。遅延行為でカードが出されたら、次の試合は出場停止になる。まったくもって理解不能な行動だったが、先輩がこの大舞台を心の底から楽しんでいることだけは、はっきりしていた。

 ゆったりとした助走でボールに向かい、最後までGKを見つめていた先輩は、敵の重心が動いた瞬間に蹴り足の角度を変え、おちょくるようなスピードのボールをゴール左隅に転がす。

 一度、体重をかけてしまったら最後、人間の体は瞬時に逆側へは移動出来ない。

 小学生でも止められるような優しいゴロのボールだったが、重心を逆にずらしていたGKは一歩も反応出来ず、葉月先輩のシュートを見送ることになった。

 何もかもが推薦を勝ち取るための材料なのだろう。

 ゴールが決まると、味方の歓声など無視して、葉月先輩はテレビカメラに向かって走り出す。その勢いで三連続の側転を決めると、そこから流れるようにハウスダンスを披露していた。

 試合終盤では足をつっていたくせに、何処からあの力が湧いてくるのか不思議だった。

 決着がついたわけでもないのに、PK戦でここまでゴールを喜んだ選手など、過去に存在しないだろう。


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