第三話 子建八斗の黎明(4)ー2


 アンダーウェアの背面をテレビカメラに向け、先輩は両手の親指で『レフティ貴公子』の部分を強調していた。自分で考えたあだ名なのか、そこだけ赤い文字で書かれている。

 サッカーの競技規則を決める国際評議会の決定により、二〇〇四年以降、ユニフォームを脱ぐ行為は、『反スポーツ的行為』として警告を受けることになった。

 葉月先輩を祝福するために駆け寄っていた常陸ひたちがいち早く気付き、宙に放り投げられたユニフォームをキャッチして慌てて頭から被せたが、時既に遅しである。

 右SBサイドバツクの鬼武先輩に続き、もう一人の屋台骨、左SBの葉月先輩までもがイエローカードをもらうことになってしまったのだ。

「慎之介がもらったカードは、プロフェッショナルファウルによるものよ。ただ、葉月、君のはどういうことかしら?」

 世怜奈先生は本音の見えにくい人だ。いつも緊張感のない微笑を浮かべており、怒りも苛立ちも表には出さない。だが、今、彼女は明らかに怒っている。

「君、全国大会では全試合、フル出場したいってじきしてきたよね。過密日程が続いても、交代させないで欲しいって私に言ってきたよね」

 葉月先輩は首を横に九十度向けたままで固まっている。

「葉月が突然、自主練習を始めるようになったのは、予選の決勝で勝利した日からだったかしら。変だと思っていたのよね。モチベーションの変化によるものなのだとしたら、皆がやっている練習に加わっても良さそうなのに、直接フリーキックの練習ばかりやっていたから」

 言われてみれば確かに……。

『お前らのリズムを邪魔したくない。俺のことは放っておいてくれ』

 そんな風に言いながら、葉月先輩は居残り練習でもずっと一人でボールを蹴っていた。おうろうGKゴールキーパーをやらせたり、後輩にボール拾いをやらせることはあったが、一貫して練習は……。

「葉月が突然、自主練習を始めたのは、全国大会でアピールするためだったのね」

 世怜奈先生は盛大なためいきをつく。

「まったく呆れるしかないけど、計画を達成するための執念には感心したわ。野望を叶えるために手段を選ばない姿勢。最善を尽くし続ける精神力の強さ。我が生徒ながら立派と言わざるを得ない。それだけの覚悟があるなら相談して欲しかったけどさ」

 引きつっていた葉月先輩の顔に笑みが戻る。

「え、ティーチャー。相談していたら認めてくれたのか?」

「認めるわけないでしょ。馬鹿なの? 反省してないの? 強制補習の刑にしよすわよ」

 一刀両断に切り捨てられ、葉月先輩の顔が引きつる。

「でもさ、ティーチャーだって知ってるだろ? 俺、公式戦ではカードをもらったことがないんだぜ。だから一枚なら大丈夫だっていう自信があったんだって」

「ねえ、葉月。本気で私を怒らせたいの?」

 底抜けに優しい人の怒りほど怖いものはない。

「言い訳は聞かない。レギュラーを外されたくなかったら、黙ってベストを尽くしなさい」

 世怜奈先生の怒りは収まっていなかったが、確かに葉月先輩が警告を受けるシーンは見た記憶がない。毎週二試合やっていた練習試合でも思い出せなかった。

 中央よりもスペースが広いサイドでは、直線的な攻防が起こりやすい。足の速いアタッカーを食い止める機会も多いため、SBはファウルが多くなるポジションだ。後手に回った時、自身を超えるスピードを持つ敵と対峙する際、今日の鬼武先輩のように、カード覚悟で止めるしかないという場面も多々起こり得る。

 しかし、葉月先輩はほとんどファウルを犯さない。圭士朗さんと並ぶ強心臓を持つ先輩は、どんな試合でも緊張しないため、常にベストのプレーで攻撃の芽を摘み取れるのだ。

 カードをもらうと分かった上でユニフォームを脱ぎ捨てたのも、残りの試合では絶対に警告を受けないという自信があったからなのかもしれない。


 その後、タブレット画面には、まさに会心のゴールとしか言いようがない二点目のシーンが映される。試合の大勢を決定付けた二点目は、後半二十一分に生まれていた。

 音和学園エースのドリブル突破を仕留めたおりから、素早くバイタルエリアの圭士朗さんへとショートパスが通る。次の瞬間、圭士朗さんはダイレクトで右サイド前方へとロングパスを送っていた。

 あっという間に送られたパスに反応していたのは、右SBの鬼武先輩。

 メッセージが込められた圭士朗さんのパスを受け取ると、先輩はカウンターで混乱している敵のペナルティエリアへと美しいクロスを供給する。

 そこに全速力で走り込み、ヘディングシュートをゴールネットに突き刺したのは、レッドスワンの最多スコアラー、リオ・ハーバートだった。

 全国の舞台でも、やはりリオの決定力は凄まじい。

 前半、温存されていた彼は、投入されるや否や十分も経たない内にゴールを叩き込み……。

とんびあぶらげをさらわれたなー!」

 などと、新しい決め台詞ぜりふをGKに向かって叫んでいた。

 どんどんが悪くなっている気がするのだけれど、馬鹿のやることなので放っておこう。

 伊織、圭士朗さん、鬼武先輩、リオと、一度も止まることなくボールが運ばれ、さくれつした電光石火のカウンターは、れるくらいに美しかった。


 二つの得点シーンを振り返った後で、世怜奈先生は総括に入る。

「優勝までは残り三試合。累積警告で出場停止にリーチがかかったのは、よりによって慎之介と葉月。どちらか一人でも欠けたら、守備にほころびが生じてしまう。かといって準々決勝と準決勝の相手は、カードを気にしながら戦える相手じゃない」

「公式ホームページに他会場の結果が出ていました。次の相手は東京代表のていらいです。三大会連続出場、今年のインターハイでもベスト8に入った古豪です」

「やっぱり帝来か。固いチームだから当たりたくなかったんだけどな。東京代表ってことは、会場の雰囲気は向こうのホームゲームになるわね」

しようとくも順当勝ちしています。恐らく準決勝はインターハイ王者かと」

 再び世怜奈先生の本当は笑っていない目に見つめられ、葉月先輩が身体を震わせる。

「葉月に言いたいことは色々とある。ただ、今更、何を言っても仕方がない。この瞬間を最後に、ナルシストの悲劇は忘れましょう。明後日あさつての試合からは確実に体力的な問題が発生する。本当の死闘が始まるのはここからよ。総力を結集して戦わなければ乗り切れない」

 シード枠に入れたことで、二連勝により僕らはベスト8に勝ち残ったチームとなった。

 これは赤羽高校にとって十度目の全国大会だが、過去九度の出場で成し遂げた最高順位に並んだということになる。もう一つ勝てば、美波高校が記録した県勢の最高順位ベストフオーだ。

 赤羽高校に入学した時点で、ここまでのしようを予感した生徒が誰か一人でもいただろうか。

 既に思い描いていた夢の形よりも、遥か先に来ている。それでも、この場所で満足している生徒は、チーム内に誰一人として存在していない。

 当たり前のように高校サッカー界の頂点を目指している、そんな空気がここかった。


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