第三話 子建八斗の黎明(1)ー2


『私、決めたの。芸能界を引退して楓君を支えたい』

 テレビから聞こえてきたのは、昨日の彼女と楓の会話だった。

『お前、本気で言っているのか?』

『事務所の人たちには反対された。何処の馬の骨とも分からない奴のために、築きあげてきたものを全部捨てるのかって怒られた。でも、楓君は世界に羽ばたいていく人だもの。二足のわらじをきながら、君を支えることは出来ない』

『だが、お前がそう決めたからって周りの奴らが納得するとは……』

『口で幾ら説明しても納得してもらえないことは分かってる。だけど、青陽に楓君が勝ったらどうなるかな。プロ入りが内定している選手よりも、楓君の方が優れていることを証明出来れば、皆が納得してくれる気がする』

『……俺たちが青陽に勝ったら、本当に』

『約束は守るよ。楓君の未来が輝くなら、私は芸能界を引退したって構わない。だから、お願い。レッドスワンの勝利を見せて。君の力を証明して見せて』

『分かったよ。そこまで言われちゃ仕方ねえ。相手が誰だろうが、ぶっ潰すだけだ』


「何だよ、これ……」

 テレビから流れてくる会話を聞き、楓の顔が真っ青になっていた。

「俺はこんなこと言ってねえぞ。何で……」

 想定外のぜつに頭を抱え、楓はその場で膝を折る。


『櫻沢ちゃん、これは何かの冗談じゃないんだよね? だって、これじゃあ引退宣言……』

 解説者の言葉を最後まで聞くことは出来なかった。

 既定の放送時間が終わり、締めの言葉もないまま、選手権の中継は終了する。

「……やられた。会話をかいざんされたんだ」

 ぼうぜんとした眼差しの楓にむなぐらを摑まれる。

「意味が分かんねえ。どういうことだよ! あんなこと七海は言ってなかったぞ!」

「後から自分の声だけ録音し直したんだ。それから会話の流れを編集して放送した」

 レッドスワンが青陽に勝利したなら、櫻沢七海は楓から身を引く。本来はそういう約束だったはずである。しかし、これでは視聴者は真逆の理解をしてしまうだろう。

 レッドスワンは楓と七海が結ばれるために、なりふり構わず勝利にこだわった。榊原楓はプロクラブへの加入が内定している高校ナンバーワンGKゴールキーパーり勝ち、櫻沢七海がその未来を預けるに相応ふさわしい選手であることを証明して見せた。そういうことになってしまう。

「ちくしょう! 結局、こうなるんだ。昔からそうだった。何をやっても、あいつの思い通りになっちまう。せっかく青陽に勝ったのに、どうして……」

 青陽に勝てば今度こそ櫻沢七海から解放される。そう信じていたからこそ、今日の楓はいつも以上のハイパフォーマンスを見せることが出来たのだ。それなのに、ふたを開けてみれば汚いだまし打ちにい、まったく逆のゴールへと辿り着いてしまった。


『あの人は子どもの頃から、天才的に人を欺くのが上手かった。天性の女優なんです。優雅様も気をつけて下さい。あの人は目的のためには手段を選びません』


 自分の愚かさが腹立たしい。

 あずさちゃんに忠告されていたのに、どうして警戒しなかったんだろう。

 テレビを使ってあんな告白をする女だ。ひとすじなわでいくはずなんてなかったのに……。

「皆、お待たせー。ん? 何でこんな空気になってるの? もしかして、実況や解説が私のことをズタボロに言っていた?」

 ドレッシングルームに帰ってきた世怜奈先生がのんな声を上げる。

「あれ、もしかして楓、泣いてる? 七海ちゃんから解放されて嬉しいのかな?」

「先生、少し外に出ましょう」

「え、ちょっと華代。何で? 私、皆に話があるのに……」

 世怜奈先生を無理やり華代が押し出し、再びドレッシングルームに重たい空気が落ちる。


「……つーかさ。俺、前から楓に言いたかったんだけど」

 沈黙を破ったのは三馬鹿トリオの親友、だかだった。

「お前の悩みってズルくない? だって七海ちゃんだぜ? 俺、あんな子が彼女になってくれるなら、身長がちぢんでも良いんだけど」

「イエス! 楓はギルティ! 七海はキューティ! 主食はポッキー!」

 何でこのニュージーランド人はいんを踏みながら、親友の傷口に塩を塗っているんだろう。

「なあ、楓」

 穂高とリオの軽口には反応しなかったくせに、僕が呼びかけると楓は顔を上げた。

 殺意を覚えるほどの眼差しでにらまれる。

「お前の恋愛なんてどうでも良いけど、このやり方は許せない。大会前に櫻沢七海のことは僕が何とかするって言ったよな。あの時の約束を守るよ。あいつを黙らせる方法を、責任を持って考える」

「……そんなこと、てめえに出来るのかよ」

「約束は出来ないけど、アイデアがないわけじゃない。あの女に言ってやりたいこともある。こんなきような真似、黙って見過ごせるわけないだろ」


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