第二話 常初花の一撃(4)ー4


 気付けばゲームの残り時間は十分を切っていた。

 青陽のシュート数は現在九本だ。彼らからすれば不満の残るスタッツだろうが、チャンスを作れていないわけではない。それでも、最終ラインの伊織とだかを満足な形でかわせないせいで、後半は決定的なシュートを打てていなかった。楓は中途半端な威力のシュートや、精度の低いミドルシュートでおびやかせるGKではない。

 一方、青陽はレッドスワンにここまで一本もシュートを打たせていなかった。

 そもそもレッドスワンには攻める気がないのだから、打たせていないというのは正確な表現ではないだろうか。青陽の守護神、すずそうへいは事実上、一度も仕事をしていなかった。

 このままゲームが続けば、青陽が八十分で負けることは絶対にない。だが、レッドスワンの守護神は、あのさかきばらかえでである。身長とリーチがあるGKは、その存在感だけでゴールマウスを小さく見せる。押し込まれ続けたチームがPK戦で勝利するなんてよくある話だ。


 刻一刻と減っていく時間に焦り、青陽の攻撃はますます空回るようになっていた。

 このまま引き分けが濃厚かもしれない。観客の誰もがそんなことを思い始めたラスト五分。

 世怜奈先生が最後のカードを切るために、一年生FW、むろてんを呼んだ。

 レフティの天馬は抜群のスピードとクイックネスを誇るドリブラーだ。視野が狭いこと、体力がないことなど、幾つかの弱点を抱えるものの、一年生ながら貴重な攻撃のこまである。

 交代でピッチへと入るため、天馬がタッチライン沿いに立つ。

 レッドスワンはまた選手交代でゲームの流れを切り、時間を使うつもりだ。そう思ったからだろう。天馬に気付いた青陽の選手たちが、露骨にいらちの眼差しを見せていた。

「交代だ! キープしなくて良い! ボールを切ってくれ!」

 ボールを奪い、自陣バイタルエリアで敵をいなしていた圭士朗さんに、天馬の声が飛ぶ。

 分かったとでも言うように圭士朗さんが手を上げ、その動作を見て、敵のプレスがゆるんだ。ボールがタッチラインの外に出されると思ったのだろう。しかし、次の瞬間。

 圭士朗さんは左サイドでフリーになっていた葉月先輩にショートパスを送っていた。

 予想とは異なる動きに戸惑いながらも、青陽の前線の選手たちが再び、葉月先輩へとプレスをかけにいく。だが、敵に身体を寄せられるより早く、先輩は大きくステップを踏むと、サイドチェンジのためのロングボールを蹴っていた。

 あつられたように青陽の選手が上空のボールを見送り……。

 無人になっていた右サイドを駆け上がっていた選手の足元にロングパスが届く。青陽の選手が圭士朗さんと葉月先輩に気を取られたかんげきをつき、前線へと攻め上がっていたのは鬼武先輩だった。

 加えて、鬼武先輩の裏を、さらにもう一人の選手が追い越していく。チーム最速の穂高が、いつの間にかCBのポジションを離れ、全速力で右サイドを駆け上がっていたのだ。

 一連の動きを見て、青陽がこちらの意図に気付いた時には、既に盤面が完成した後だった。

 キックオフからの七十五分間、レッドスワンは攻め気を見せなかった。時間稼ぎのためにコーナー付近を目指すだけで、ペナルティエリアへの進入は一度も試みなかった。

 しかし、ここにきて初めてレッドスワンはそのきばく。

 すべてはこの瞬間のためのせきだった。


 いかに楓が優秀なGKでも、PK戦での勝率を百パーセントにすることなど不可能である。敵のGKはJ2のチームに内定をもらうほどの選手だ。PK戦にもつれ込む前に、青陽を仕留めるための作戦は初めから用意されていた。

 コーナー付近で時間稼ぎを続けたことで、前半から何本かのコーナーキックを得ている。セットプレーはレッドスワンの最大の武器だ。そこで勝負しても良かったわけだが、こちらが点を取るつもりがないのだと完全に思い込ませるために、ここまではショートコーナーにして時間稼ぎをおこなっていた。

 攻めるつもりのない相手に対して引いていても意味がない。後半から、青陽の選手はボールを奪われても、ろくに自分の守備位置に戻らなくなっていた。

 そして、布石を打つだけ打った後で出された合図が、この選手交代だった。

 四人目の交代選手として天馬がタッチライン沿いに立った時、自分たちが負けるなどとは夢にも思っていない王者に、致命的な一撃を与えるためのカウンターを発動させる。

 何度も、何度も、繰り返し練習してきたパターンだった。

 圭士朗さんと葉月先輩が、中央と左サイドで時間を使って敵を引きつけ、無人の右サイドを鬼武先輩と穂高が駆け上がる。そのタイミングに合わせて、葉月先輩のロングキックでサイドチェンジをおこなう。

 不意打ちとなった反撃に、青陽の選手の大半は呆気に取られて動けていなかった。

 慌てて自陣に戻り始めた青陽の選手を嘲笑うように、手薄なペナルティエリアに、レッドスワンの選手が三人なだれ込んでいく。

 鬼武先輩からのパスを受けて、無人の右サイドを駆け上がった穂高が見据えた先、ペナルティエリアで待っている選手は三人だった。エースストライカーのリオ、ワントップのFW常陸、そして、チーム内の誰よりもヘディングでボールを捉えることが上手いCBの伊織である。

 たった一度の攻撃ですべてを決めるために、僕らはリスクだって冒す。

 仲間にDFデイフエンスラインを託して、伊織は全速力で最終ラインから最前線に走り込んでいた。

 身長を百九十センチ台に乗せた三人の突進は、そのスケール感もあり最強の破壊力を持つ。

 どんなチームでも絶対に止められないパワーと高さを持った攻撃だ。

 完全に不意をつかれた青陽の選手は、二人しかペナルティエリアに戻れていない。

 あまりにも完璧なカウンターがさくれつしていた。


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