第二話 常初花の一撃(2)ー2


 そこからのゲームは、世怜奈先生が思い描いた形へと収束していく。

 引いた相手から得点を奪うには、敵陣の中でのチャレンジが必須である。とはいえ、いかにテクニックに優れる選手を多くようしていても、組織された密集地帯を突破するのは難しい。落ち着きを取り戻したレッドスワンが、ボールを奪取するシーンも増えてきていた。

 ボールの保持チームが変われば、当然、攻守も切り替わる。

 観客が期待するのは、二十六歳という若さで選手権を指揮する女性監督、まいばらの采配の妙だろう。彼女は王者の青陽を、『退屈なチーム』と一蹴していた。その彼女が振る指揮に、詰めかけた大観衆は大きな期待を寄せていたはずである。ところが、ようやくボールを手にしたレッドスワンの攻撃は、観客の期待を完全に裏切るものだった。

 レッドスワンの前線に構えるのは、フィジカルコンタクトに圧倒的な強さを見せる常陸ひたちとリオだ。圭士朗さんやづき先輩から正確なパスを受け取ると、二人はふところの深さを利用してボールをキープしつつ、左右のコーナーフラッグを目指し始める。

 敵のゴールではなく、ひたすらにフィールドのすみへとボールを運んだのだ。

 試合終盤、勝っているチームが時間を使うために、コーナー付近でボールをキープするというのは珍しい光景ではない。敵に当ててボールを出せば時間を使えるし、自陣のゴールから最も遠い場所ならば、奪われてもピンチにおちいりにくいからだ。

 同点なのに時間稼ぎをおこなってくるなど、夢にも思っていなかったのだろう。敵の虚を突く形で、常陸とリオは上手くコーナー付近まで、何度もボールを運んでいた。

 やがて、こちらの思惑を悟った青陽は、すぐにボール奪取への執念を見せ始める。

 しかし、身長を百九十センチの大台に乗せた常陸とリオは、とにかく身体が強い。フィールドの中央でならともかく、コーナー付近では限られた角度からのアプローチを防げば良いため、そう簡単にはボールを失わない。

 敵が意図に気付いてからも、二人はいちもくりようぜんのパワーを使いながら時間を稼いでいた。


 キックオフから二十五分ほどが過ぎた頃からだっただろうか。

 次第に会場の雰囲気がおんなものへと変わっていく。

 ゴール前に壁を作り、ボールを奪えばコーナー付近に逃げて時間稼ぎに終始する。レッドスワンの戦い方に対し、ボールを持つ度に、容赦のないブーイングが飛ぶようになっていた。

 だが、観客の心変わりが、すなわち青陽にとって好機となるわけではない。

 早い段階でブーイングを浴びるだろうこと、そんなことは十分に予想出来ていた。観客からの野次など、ゲームを計画通りに進められていることのしようでしかない。

 声援の後押しを受け、青陽はますます積極的に仕掛けてくるようになったものの、アグレッシブに攻めれば攻めるほど、ボールを失うのも早くなる。彼らの最大の長所は、敵がれて陣形を崩すまでボールを回し続けられるたくみなポゼッションにある。観客に後押しされたからといって、焦って攻撃に転じたのでは長所が台無しだ。

 青陽が陥った悪循環により、停滞状態のまま時間だけが経過していく。


「前半は残り五分だ! 最後まで守り切るぞ!」

 敵のエース、9番の強引なドリブル突破を中央で仕留め、伊織が声を張り上げる。

『青陽の選手はボールを保持することに慣れ過ぎている。こちらがボールをキープし続ければ、それだけで攻撃のリズムに乱れが生じるはずよ。徹底的にゲームを殺してきなさい』

 試合前に先生が言っていた言葉は完全に正しかった。

 時間はまだたっぷりとある。負けているわけでもない。焦る必要などまったくないのに、青陽の選手たちは自滅するように歯車を狂わせていた。

 時間稼ぎをおこなっているということは、すなわち、レッドスワンがこのままの展開で良いと考えていることのあかしである。PK戦に持ち込むのは、戦力に劣るチームのじようとう手段だ。誰と話し合ったわけでもないのに、全選手の頭の中にそんな共通理解が生まれているからこそ、王者である青陽は焦ってしまう。

 すずそうへいを擁していようと、PK戦は賭けだ。

 三日前の小競り合いのこともある。

 さくらざわななの告白によって、一躍、時の人となった楓の存在も、彼らの頭の中では嫌なイメージとして刻まれていることだろう。

 彼らは絶対に八十分で決着をつけたいと考えているはずだ。

 サッカーはあらゆるスポーツの中で、最も知性が勝敗に影響しやすい競技である。

 前半の残り時間が少ないことに焦った青陽は、終盤、珍しくクロスを放り込んでくるようになった。まさにこちらのおもつぼとしか言いようがない。

 桐原伊織とさかきばらかえでは、それぞれ大会最高身長のCBセンターバツクとGKだ。

 百八十センチ台の身長を持つ、もりこし先輩、圭士朗さん、ろうの三人も、高さ勝負には強い。

 加えて、だか、葉月先輩といった零れ球へのきゆうかくに優れた人間も守備陣には混じっている。

 レッドスワンはクロスに対して鉄壁を誇るチームだ。

 焦ってアーリークロスを上げ始めた時点で、彼らの攻撃はたんしているのだ。


 前半の四十分間、レッドスワンは徹底的にゲームを殺すことに成功する。

 どれだけしんらつな野次やとうを受けても、リオと常陸はコーナー付近に逃げる時間稼ぎを最後まで忠実に実行していた。

 誰一人としてぶれることなく作戦を完遂し、前半終了のホイッスルが鳴り響く。

 ドレッシングルームへと戻るイレブンに、会場のいたるところから激しいブーイングが飛んできたものの、うつむいている選手は一人もいなかった。

 ハイタッチによって互いを鼓舞し合いながら、仲間たちはフィールドを後にする。


 どんな状況に晒されても、絶対に揺るがない。

 決して折れることのない信念のはたを、誰もが胸に掲げていた。


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