第二話 常初花の一撃

第二話 常初花の一撃(1)


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 一月二日、土曜日。

 高校選手権の二回戦。

 大会前から異様な注目を浴びていた新潟県代表、あかばね高等学校、通称レッドスワンがついに登場する。対戦相手は前年度王者であり、しようとくと並ぶ優勝候補の鹿しませいようだ。

「さすがに満員の会場は圧巻だな。これ、一体、何人入ってんだ?」

 キャプテンマークを巻いたおりが、会場をぐるりと見回す。

「収容人数は二万人くらいだったと思うよ」

「じゃあ県予選の決勝の方が人は入ってたんだな」

 新潟県大会の決勝がおこなわれたビッグスワンは、四万人を超える収容人数を誇る巨大なスタジアムだ。決勝戦は座席の半分以上が埋まっていたから、今日の試合よりも多くの人数が入っていたはずである。しかし、満員の観客で埋まった今日の方が、雰囲気は圧倒的だった。

 大会二連覇中の王者の初戦ということもあり、本日の試合はキー局の制作で全国に放送されるという。中継にさくらざわなながゲスト出演することも、朝のニュースで告知されていた。

「それにしても凄い数のカメラだな」

 スポーツゴーグルの下にれいな瞳を覗かせて、けいろうさんが告げる。

「これだけ注目されている試合だ。今日、結果を出せば、お前とかえでの未来は変わるぞ」

「何の話だ?」

「青陽にはすず以外にも注目株がいるからな。今日の試合にはスカウトが目を光らせている。試合が防戦一方の展開になるのも間違いない。お前と楓の力を世の中に示すって意味じゃ、こんなにおあつらえ向きの舞台もないさ」

「……そんなこと考えたこともなかったな」

「もっと欲を持って良い。今のお前は、俺たちが憧れたたかつきゆうに匹敵する選手だ」

 この大会で活躍することで未来への道がひらけるのは、三年生だけではない。

 野球の世界では、プロに進むものは皆、高校野球を経験する。しかし、サッカーの世界は違う。高校選手権に出場するのは、高校でサッカー部に所属している者だけだ。幼い頃からプロクラブに認められ、ユースチームで修練を積んでいるエリートたちは出場しない。

 比べものにならないくらい分母が少なくても、年代別日本代表に選出される選手は、今やその多くがクラブチームに所属する者たちである。前回大会で二年生にして最優秀選手となったすずそうへいですら、J1のクラブからも代表からも声がかからないのが実状だ。

 サッカーの競技人口は年々、増加の一途を辿たどっており、上には上がいる。言い換えれば、サッカーの世界にはそれだけ目指せるステージが豊富にあるということだ。

 年代別日本代表、プロ契約、オリンピック代表、A代表、海外リーグへの挑戦。

 出自も血統も関係ない。実力一つで何処までものし上がっていける世界である。

 高校サッカーの権威が落ちている今、地方予選でどれだけ活躍したところで、大した注目を浴びることは出来ない。だが、高校選手権は違う。同年代のベストプレイヤーがそろう大会ではなくとも、注目度という意味では間違いなくさいこうほうの舞台だからだ。

 どんな選手にとっても、この大会は未来を切り拓くための舞台となり得る。

 圭士朗さんが言ったように、今日は防戦一方の展開になるだろう。青陽の特徴は、異常なまでのポゼッション率の高さにある。ボールをキープし続ける技術こそが彼らの武器だ。

 八月に開催されたインターハイで、青陽は僕らを苦しめたなみ高校を二対〇で倒している。シャットアウト勝ちの根本にあったのはりきであり、あのもちづきづかですら、ほとんどボールを持たせてもらえなかった。時には八割を超えるポゼッションでゲームを支配し、相手を疲弊させてなぶり殺す。それこそが王者のスタイルだった。

 ポゼッションのためのポゼッションに意味はない。記者会見で先生は青陽の戦い方を『非常に退屈』と一蹴している。しかし、先生の意見はひいに見ても少数派だろう。常に人とボールが動くムービングフットボール。それが世間一般の青陽への評価だからだ。


常陸ひたち、お前、緊張し過ぎじゃないか? 顔色が悪いぞ」

 ウォーミングアップを終えてドレッシングルームに戻ると、伊織が常陸に声をかけた。

 に悩む離島出身のぜん常陸ひたちは、中学生になって新潟市に引っ越してくるまでバスケットボールをやっていた選手だ。伊織に次ぐ長身であり、身体からだの強さを買われてワントップを務めているものの、いまだに公式戦では得点がない。

 伊織の言葉で常陸の様子に気付いた楓が、空になっていたペットボトルを投げつける。

「誰も得点なんて期待してないんだから、いつちようまえに緊張してんじゃねえよ。好きにやれ」

「分かってる。身の程はわきまえてるつもりだけど、さっきから心臓のどうがやばいんだ」

「情けねえ奴だな。そんなんだからシュートが外れんだよ。自信のないFWフオワードなんてゴミだ」

「お前はもう少し謙虚になるべきだけどな」

 呆れ顔で反論してから、伊織はレガースを固定するためのテーピングを常陸に差し出す。

「FWとして色々と悩むのは仕方ない。でも、あんまり難しく考え過ぎるな。やるべき仕事は嫌ってほどに練習してきたはずだ。ホイッスルが鳴れば細胞が勝手に反応してくれる。今日は大舞台でサッカーが出来る貴重な機会だしな。楽しんでこようぜ」

 伊織だって緊張していないはずがない。それでも、不安な素振りなどじんも見せずに、キャプテンはチームメイトを鼓舞していった。


 僕らが青陽を研究し尽くしてきたように、敵もレッドスワンのことは研究しているだろう。

 しかし、彼らが僕らの試合映像を多く入手出来たとは思えない。一ヵ月かけて用意してきた新システム、フアイブバックの対策は絶対に練られていないはずだ。

 本日、レッドスワンは5‐3‐1‐1という超守備的なフォーメーションで戦う。


 GK、さかきばらかえで(二年)。

 DFデイフエンスは中央を固める三人のCBセンターバツクと両端のSBサイドバツクで、左からしろさきづき(三年)、もりこしまさ(三年)、きりはらおり(二年)、ときとうだか(二年)、おにたけしんすけ(三年)。

 デイフエンシブミツドフイルダーは左からうえはたひろおみ(二年)、じようけいろう(二年)、なりみやろう(一年)。

 オフエンシブミツドフイルダー、リオ・ハーバート(二年)。

 FW、備前常陸(二年)。


 八人をディフェンシブな選手で固めるという極端に守備的な布陣。

 ウイングのてんが先発から外れ、前線は高さのあるリオと常陸のわずか二名だけ。

 これが、青陽戦に向けて一ヵ月かけて準備してきた最終解だった。

「フィールドに出る前に、今一度、意識を共有しよう。青陽は美波高校よりも強い。まともに戦ったんじゃ今の俺たちには勝ち目がない」

 ロッカールームで円陣を組み、キャプテンの伊織がチームの意思を改めて統一する。

「最後まで現実的にやろう。八十分間、とにかく守り切るぞ!」

 伊織のげきに仲間たちの気合いが重なる。

 それから、世怜奈先生が注目を自分に集めるように手を叩いた。

「青陽は人気チームよ。私たちの戦い方をさとれば、恐らくすぐに会場はアウェイの雰囲気に包まれる。ブーイングも野次も雨のように降り注ぐ。だけど卑屈になる必要はない。夢を見るために、まず現実を見ましょう。高校選手権は選手層の厚い強豪以外、まともに戦い切れる日程じゃない。私たちは理不尽な戦いを、知性でくつがえしていく必要がある」

 青陽を倒しても翌日にはすぐに三回戦がおこなわれる。激闘を戦った肉体が二十四時間で回復するはずがない。選手層の薄いチームにとっては、悪夢のような日程だ。運よくシードに入り、一回戦をまぬがれた僕らですら、絶対に最後までベストメンバーで戦うことは出来ない。

「これまで青陽と戦ってきたチームは、大抵、激しいプレスで、敵のリズムを崩そうとしていた。だけど、そんなことはしなくて良い。好きにボールを回させなさい。後ろで何百本パスを繫がれたって怖くなんてないわ。自己満足の追いかけっこに付き合う必要はない。もう一度、言うわよ。私たちは決勝戦まで五試合を戦うんだから、初戦で力を使い果たすわけにはいかない。会場がどんな雰囲気になっても、絶対に飲み込まれないで。戦争と同じで、誰が何を叫ぼうが、正義を決めるのは勝者なの。勝ち続ければ評価なんて幾らでも裏返る。どれだけ汚いとののしられても、今日は徹底的にやるわよ」

 抑え切れないほどに膨らんだ情熱と、澄みわたるほどの冷静さを両手に抱えて。

 レッドスワン最大の挑戦が始まろうとしていた。


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