第一話 年満月の月天心(5)ー1


             5


 前日練習はセットプレーの確認など、軽めのメニューを消化する短時間のものになった。

 青陽対策はこの一ヵ月で散々やってきている。

 今更じたばたあがいても仕方がない。

 午後三時に宿舎に戻ると、以降は完全に自由時間となった。


 夕刻、だんらんルームで、おりけいろうさんと共に、戦術の最終チェックをおこなっていた。

 八十分の戦いの中で、いつ、どんな攻撃を仕掛けるのか。先生と僕で細かくプランを立てたものの、実際に行動に移すのはフィールドの十一人である。

 チームの心臓部に構え、攻守両面でバイタルエリアを制圧する圭士朗さんは、どんな作戦においても大抵、一度はボールに触る。司令塔である圭士朗さんには、頭に入れておいてもらわねばならない情報が数多くあった。

 一時間は作戦会議にぼつとうしていただろうか。

 午後五時半過ぎ、団欒ルームの扉がノックされ、携帯電話を片手にが現れる。

「大切な話し合いの最中? 中断させてしまった?」

 テーブルの上に広げられた資料を彼女はいちべつする。

 くすは高校一年生の夏に、家庭の事情で新潟市に引っ越してきた編入生だ。がらきやしやな少女で、よくスカートの下のひざぞうに傷を作っている。世怜奈先生と知り合いだったこともあり、サッカー部のマネージャーとなった華代は、チームを土台から支えてくれていた。

 もくながらも勤勉な華代に、いつしか伊織はかれるようになった。きりはらおりの初恋は、楠井華代の存在によって、うぶごえをあげることになったのだ。

 ……しかし、伊織の想いが届くことはなかった。

 選手権予選が終わった後で、伊織は華代に振られてしまう。

 それでも、確かな恋というのは、かなわなかったからといって簡単に消滅するものではないのだろう。想いは冷めず、伊織はいつか華代を振り向かせて見せると宣言していた。

 だが、この恋の物語がまとう真の問題は……。

「気にするなよ。ゴールのある話し合いをしていたわけじゃない。華代も入ったら良い」

 気付けば、伊織の顔がほころんでいた。二人はキャプテンとマネージャーである。失恋以降もはたには、二人の関係が変わったようには見えない。

「ううん。ゆうに用があっただけだから。少し外に出られる?」

 一体、何だろう。思い当たるふしもないまま廊下に出ると、華代が携帯電話を差し出してきた。

「出てもらって良い? からかかってきたの。優雅と話したかったのに、試合の前日だから電話をかけて良いか迷っていたみたい」

 現在、僕ら五人の間には、三角関係どころではない複雑な矢印が飛び交っている。

 圭士朗さんには小学生時代から想いを寄せていた幼馴染がいた。その幼馴染こそが、華代の唯一の親友であり、今、電話をかけてきたというふじさきである。そして、僕はその真扶由さんに告白され、しんぼうえんりよの果てに、九月から付き合い始めていた。

 とはいえ、僕らは一ヵ月半前に別れている。今、眼前で携帯電話を差し出す華代が僕を好きになったがゆえに、真扶由さんは彼女なりの公正さを理由に、別れを告げてきたのだ。

 教室で見ている限り、華代と真扶由さんは相変わらず特別に仲が良いのだけれど……。

「……もしもし。たかつきです」

『優雅君? ごめんね。試合前日の忙しい時に』

 僕らが話し始めると、華代は団欒ルームの中に入って行った。

「準備はあらかた終わっているから忙しいってことはないんだけど、どうしたの?」

『あのね。母方の祖父の家が埼玉にあって、三日から家族で遊びに行くことになったの。レッドスワンの試合日程を調べたら会場が近かったから、チームが勝ち進んでいたら、三回戦と四回戦をきたいなって思ったんだ。その許可を優雅君にもらいたくて』

 思わず苦笑がこぼれてしまった。

「別に、そんなの僕の許可なんていらないでしょ。だって自分の高校だよ」

『そうかな。片想い相手が東京まで試合を観に来るなんて、ちょっと怖くない?』

「観戦に来てくれるのは嬉しいよ。華代も喜ぶと思う。一番の問題は、僕らが三回戦に進めるかだけどさ」

『最初の相手はチャンピオンなんだもんね。二回戦、テレビで見るのドキドキしちゃうな』

「これ以上は無理だって思うくらい準備はしてきた。ベストを尽くすよ」

『うん。楽しみにしてる』

 レッドスワンが勝ち残れたら、三回戦と四回戦を会場で観戦したい。本当にそれを伝えるためだけに、華代を経由して電話してきたらしい。相変わらずりちな人だった。

 僕たちはクラスメイトだが、十二月以降はほとんど喋っていない。冬休みに入ってからは、声すら聞いていなかった。

『そうだ。この前、華代に聞いたの。県予選の準決勝って優雅君が指揮を執ったんだってね』

 偕成学園にリベンジを果たしたあの試合、世怜奈先生は決勝戦に集中したいという理由で、僕に指揮を任せている。自慢話みたいになるのも嫌で、僕はそのことを自分からは誰にも話していない。

『優雅君が指揮を執った試合は、ほかの試合と違った気がする。いつもは守りのチームって感じなのに、やっぱり指揮者が変わると戦い方も変わるんだね』

「あの時は一ヵ月くらい準備する時間があったんだよ。だから個性が出たのかもしれないね」

『また見てみたいな。全国大会で優雅君が指揮を執ることはないの?』

「どうだろう。過密日程のせいで、二戦目以降は対策のために費やせる時間が少なくなるんだ。だから今は僕が早めに三回戦の準備を進めている。状況次第では先生の負担を減らすために、指揮を任せられることもあるかもしれないね」

『そっか。現地で優雅君の指揮が見られたら良いな。私、実は何冊か高校選手権の特集をしていた雑誌を買って、冬休みに勉強していたの。どの雑誌でもレッドスワンは大きく紹介されていたけど、下馬評を見ると、初戦は青陽が圧倒的に有利だっていう予想ばかりで。それが凄く悔しくて』

「そいつら全員の見る目がないだけだって、明日には証明されているよ」

 王者に挑むというのに、何のちゆうちよもなくそんな言葉が口から零れていた。

 勝利のために、やるべきことはすべてやってきた。後はそれを結果で示すだけだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る