プロローグ(2)ー2


 この世界には、ことだまとでも呼ぶべき発言力を持つ人間が、確実に存在するのだろう。

 今や記者会見の会場は、完全に世怜奈先生に飲み込まれていた。

 彼女は選手権予選にて、自らに求愛してきた美波高校の監督をようしやなく振っている。その時の動画がインターネット上で拡散されているため、彼女がとげのないではないことは記者たちも知っていたはずだ。けれど、ここまで大胆な発言をしてくるとは予想していなかったに違いない。

 昨年、一昨年と、青陽の優勝は二年連続で、親子鷹の涙と共に大きく報じられた。

 物語の主人公であったすずそうへいは三年生になり、J2のクラブへの加入が決まった状態で、集大成の大会を迎えている。抽選会前の特番でも、彼らは顔のような扱いを受けていた。

 しかし、僕らは感動を売り物にしたい人間たちのために、ヒーローの引き立て役として戦うわけじゃない。

 世怜奈先生は自らの評判など、心底どうでも良いと考えている人間だ。そのれんな容姿があれば、マスコミに持ち上げられる美しい人形となることも出来たはずなのに、どうとなることを良しとはしなかった。

 自らに群がるマスコミを利用し、心理戦も使いながら強敵を打ち崩す。

 恐らく今、世怜奈先生の頭にあるのは、そんな思考だけだろう。


『翔督は私たちよりもはるかに強いチームです』

 真剣な顔で、先生は話を続ける。

『まともにぶつかったのでは十回やっても勝てないでしょう。ですが、準備のための期間は一ヵ月ある。挑戦者が王者を倒す爽快な光景を、皆さんにお見せしたいと思います』

 隣に座る伊織に目配せをしてから、世怜奈先生はその場に立ち上がった。

『あえて言わなくても分かると思いますが、挑戦者が対策を丸裸にされたのでは勝負にすらならない。今後はグラウンドへの取材も、生徒への取材も、一切お断りします。どうか挑戦者として集中させて下さい。皆様の良識に期待します。午後の授業が始まりますので、会見はここまでにしましょう。それでは』

 報道陣にはまだまだ聞きたいことが山ほどあったはずだ。

 そもそも、たかだか一私立高校の記者会見がワイドショーで生中継されたのは、応援マネージャーのさくらざわななに求愛されたさかきばらかえでの話を放送したかったからだろう。しかし、身勝手な世間の好奇心の前に、世怜奈先生が生徒をさらすはずもない。

『ちょっと待って下さい! まだ聞きたいことが……!』

『櫻沢七海さんの告白について、榊原選手はどんな反応を見せていますか! 一言だけで良いので彼の反応を……』

 記者たちが取り囲んだが、追いすがる声を完璧に無視して、先生は伊織と共にさつそうと視聴覚室から出て行った。


 中継が終わり、部室の後ろを振り返ると、三馬鹿トリオがテレビに背中を向けて、たこ焼きをほおって騒いでいた。

 記者会見を見ないなら、こいつらは、部室に来たんだろう。

「……楓、良かったな」

「あ? 何がだよ」

 両手に持ったつまようじに、たこ焼きを刺し、僕に見せつけるように掲げながら、楓はにらみつけてくる。

「世怜奈先生がわざわざマスコミを集めて、人気校にけんを売ったのは、お前に集まっていた注目を自分に向けるためだ。これで、やっと落ち着いて練習出来るようになる」

 あの日の特番以来、連日、グラウンドにはマスコミや野次馬が大挙して押し寄せていた。しき内に無断で入ってくる者が現れ、警察を呼んだことさえある。

 彼らの目的が、楓の姿を写真に収めることにあったのはいちもくりようぜんだ。

 好奇心のぐちにされ続けた状態で、平常心を保つのは難しい。

 GKゴールキーパーはとりわけメンタルが重要なポジションでもある。この一週間、楓には室内で練習をおこなってもらうしかなかった。

 高校選手権への出場を決めてから、世怜奈先生はGKのトレーニングを僕に一任している。当然、楓は反発していたが、そもそも昨日までは、野次馬たちのせいで、ろくな練習にならなかった。

「先生が会見を開いてあそこまではっきり言ったんだ。今日から少しはマシになるだろ。グラウンドでの練習を再開しよう。試したかったことも幾つかある」

「はあ? てめえ、本気で俺のコーチをするつもりなのか? 相変わらず、馬鹿なやつだな。今更、俺に新しい練習なんて必要ねえよ。俺は全国ベストフオーの美波を、クリーンシートで封じた男だぞ。今や俺にかなう奴なんて何処にもいねえ」

「何を思い込むのもお前の自由だけどな。世間の人間は、青陽の鈴羅木を高校サッカー界ナンバーワンGKだって評価してるよ。お前がどれだけ強がったところで、今のままじゃ誰も認めてくれない。だけどさ、そんなの腹が立つじゃないか」

 本当に鈴羅木がナンバーワンならそれで良い。だが、

「楓があいつに劣っているとは思えない。誰が本物のナンバーワンなのか、証明してこいよ。お前ならそれが出来るはずだし、そのためになすべきことも明確だろ。レッドスワンが高校選手権で優勝すれば良いだけなんだからな」

 部室に集合していた全部員の目が、僕と楓に集まっていた。

「世怜奈先生があれだけのたんを切ったんだ。どのみち中途半端な成績じゃ帰って来られない。なあ、楓。このチームが作られた時に掲げられた、最初の方針を思い出してみろよ」

 新生レッドスワンでは、チーム立ち上げ時に、一つのコンセプトが共有されている。


『トーナメントでは一点も取れなくても、全試合を無失点で終えられれば優勝出来る。トーナメントでは守りきれるチームの方が絶対に強いの』


「世怜奈先生が言っていた通りじゃないか。お前が一点も失わなければ、お前がPK戦で敵を止めてくれれば、僕らは絶対に負けない。だからさ……」

 失点ゼロのクリーンシートでゲームを終えるというのは、言葉にするほど簡単なことじゃない。しかし、今の僕らには確固たる方針がある。戦うすべが誰の頭の中にも明確になっている。

 迷いなき覚悟は大きな武器となるはずだ。

「当たり前みたいな顔で優勝してこようぜ」

 一年半という歳月をけみした今も、僕の右膝は壊れたままだ。

 予選同様、全国の舞台にも立つことは出来ない。そんな現実が、たまらなくもどかしい。

 それでも、心はこんなにもこうようしている。

 不思議な確信があった。これから始まるのは、きっと……。



 ──────日本で一番熱い冬だ。


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