プロローグ(2)-1


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 テレビ画面を通しているせいだろうか。

 見慣れた視聴覚室が遠い世界のように見えた。

 多くの報道陣を前におりは表情をこわらせていたけれど、先生は緊張感のないふわふわとした微笑を浮かべている。

『第九十四回、高校サッカー選手権大会の組み合わせが発表になりました。早速ですが、抽選結果をまえて、今、監督がどんな気持ちでいるかをお聞かせ願えるでしょうか』

 普段、あまりテレビを見ない僕でも知っているリポーターが、先生にマイクを向ける。

『率直に言って、くじ運には恵まれなかったと思います。選べるなら、しようとくとは反対の山に入りたいと考えていました。対戦が避けられないのであれば、もっと早く、疲労がまる前に戦いたかったというのが本音です』

 世怜奈先生のよどみない回答に対し、会場には微妙な沈黙が広がった。

 石川県代表の翔督は、前年度の準優勝校であり、八月に開催されたインターハイの覇者である。優勝候補の筆頭ではあるものの、会場に集まった記者たちが聞きたかったのは、レッドスワンが初戦で激突する青陽の話だろう。

『……トーナメント表を見ると、赤羽高校が翔督と当たるのは準決勝です。もしかして鹿児島青陽と間違えているということはないでしょうか?』

 インタビュアーの質問に対し、世怜奈先生は小首をかしげる。

『間違っていませんよ。今回出場する四十八校の中で、翔督の実力は群を抜いていますよね。彼らを倒さずして優勝は出来ません。抽選結果を受けて対策を考え続けてきましたが、まだ有効なアイデアをいだせていません』

『では、この一週間、ずっと翔督と戦うための準備をしてきたと?』

『ええ。これからの一ヵ月で作戦を練って、選手権ではインターハイ王者を倒します』

 記者会見の会場が、明らかにざわつき始めていた。

『……失礼ですが、監督は本当にトーナメント表をご覧になりましたか? 赤羽高校の初戦の相手は、ディフェンディングチャンピオンです。青陽については、どうお考えですか?』

 戸惑いの色を隠せないインタビュアーの質問を受けて、世怜奈先生は苦笑いを浮かべる。

『どうと言われても、特にマークしていないチームなので、表層的なことしか分かりません。いて答えるとすれば、青陽については非常に退屈なサッカーをするチームという印象を持っています。ただ、私たちと当たるわけですから、彼らは二回戦で消えます。皆さん、面白い試合が見たいでしょうし、大会にとっては良いことではないでしょうか』


 ……始まってしまった。

 その時、中継を見ながら、そんなことを思っていた部員は僕だけではないだろう。

「またマスコミを利用して何かしようとしてやがるな」

 腕組みをしながらテレビを見つめていたおにたけ先輩があきれたようにつぶやく。

 伊織も何も聞かされていなかったのだろう。画面の中でほほを引きつらせている。

 青陽など眼中にない。世怜奈先生はそんな風を装っていたが、実際のところはこの一週間、ひたすらに青陽の戦力を分析し、対策を練ることにしんしていた。準決勝で当たるかもしれない翔督の対策など、少なくとも練習では一分たりともおこなっていない。

 無責任なマスコミに、誠実である必要はない。

 レッドスワンに群がる彼らを、いつものように逆に利用するつもりなのだ。


 既に記者会見場の雰囲気は、ざわつきでは済まされないたぐいのものにひようへんしている。

「現実が分かっているのか」

「王者に対して失礼だ」

素人しろうと監督が」

 世怜奈先生に対するも聞こえてくる。

『青陽のサッカーが退屈というのは、どういうことでしょうか? 彼らは大会屈指の人気チームです。攻撃的なサッカーを志向しており、ファンも非常に多い。か別のチームと間違えているのではないですか?』

『大会二連覇中のチームを見間違えるほどボケていませんよ。私、二十六歳ですから』

 会場中の戸惑いも、野次も、何処吹く風で、世怜奈先生は告げる。

『今、あなたは青陽のサッカーを攻撃的と評しましたよね。まさに今の発言は、この国のサッカー文化の偏差値の低さを証明する好例です。青陽がひようぼうする戦術は、ボールを保持し続ける、いわゆるポゼッションサッカーです。去年の選手権でも、今年のインターハイでも、彼らの平均ポゼッション率は群を抜いて高い数字でした。ゲームによっては八十パーセントを超えることさえあった』

『それだけ攻撃に時間を割くサッカーがどうして退屈だと……』

『ポゼッションに中身が伴っていないからです。リスクをおかすことを嫌い、少しでもねんがあればすぐに後ろに戻す。敵の守備陣形が崩れるまで、そうやってボールを回し続ける。敵にボールを渡すことを極端に嫌がるあの姿勢は、臆病な子どものにしか見えません』

 相手がどれだけの人気校であろうと、世怜奈先生がひるむことなど有り得ない。

『彼らは試合時間の大部分を、とうすいのパス回しで殺しています。サッカーというのはゴールを奪うことを目的とするスポーツですから、ポゼッションのためのポゼッションなどぼうとくです。あんなに退屈でつまらないチームを私は見たことがない。早々に消えてもらいますよ』


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