エピローグ(4)―2


『……楓君』


 テレビから聞こえてきた言葉に、一瞬、耳を疑ったのは僕だけではないだろう。

 櫻沢七海はその場に立ち上がり、画面に向かってうように叫ぶ。

『楓君! ねえ、見てるんでしょ! 私だよ! 七海だよ!』

 生放送の特番とはいえ、突如、泣きながら語り始めた女優を止められる者はいなかった。

『会いたかった! 私は楓君にずっと会いたかった! 君のことを忘れた日なんて一日だってなかった。覚えてる? 私たち結婚しようって約束したよね?』


「……おい。何だ、これ」

 口を半開きにしたまま伊織が呟き、楓は青白い顔でその頰を引きつらせていた。

『こんなところで再会出来るなんて思わなかった。楓君、私に会うために全国大会に出場してくれたんでしょ? 分かってる。ちゃんと七海には伝わったよ!』

 これは女優の演技なのだろうか。それとも、この明らかに痛い感じが本性なのだろうか。

「……悪夢だ。七海に見つかっちまうなんて、もう終わりだ」

「どういうことだよ。お前ら知り合いなのか?」

ちくしよう。まさか大会前から特番に出て来るなんて……。見つからないと思ったのに……」

 伊織に問い詰められ、楓は真っ青な顔で頭を抱える。


『……あの、櫻沢ちゃん。楓君というのは赤羽高校のGKゴールキーパーだよね? 彼は知り合いなの?』

『幼い頃に引き離された運命の人です。最初で最後の私の王子様』

 迷う素振りもなく櫻沢七海は断言する。

『君の事務所は恋愛禁止だったよね? 台本にはないけど、映画の宣伝か何かのドッキリ?』

 動転気味のMCから投げかけられた疑念に対し、彼女は首を横に振る。

『恋愛禁止なんて私には関係ない。だって子どもの頃からずっと一緒だったんです』

「……お前が倉庫や大型犬のおりに俺を閉じ込めたからな」

 こうこつとした表情で語る櫻沢七海は画面の向こう側である。

 こんな場所で発したえんの声など届くはずもない。

『二人で色んなところへ冒険に行きました。あの頃、すべてが私たちの秘密基地だった。海でも、山でも、私たちはいつも二人で一つだった』

「……突き落とされた記憶と、おきざりにされた記憶しかないけどな」

『楓君さえいれば私は無敵だったんです。それなのに、小学二年生の時に、父の転勤で新潟を離れることになってしまって……。でも、私は一日だって忘れたことなんてなかった。女優として今日まで頑張ってきたのは、私の姿を楓君に見せたかったからなんです』

 自らの胸に両手を当て、目を閉じると、想いをはんすうでもするように彼女は頷く。

『私には楓君の気持ちが分かります。彼はきっと高校選手権で優勝して、私を芸能界からさらうつもりなんだ。きっと、そうに違いない』


「……おい。櫻沢七海ってのは、こんなに危ない奴だったのか?」

「演技以外でテレビ出演しないとは思ってたけど……」

 生放送の特番はめちゃくちゃなことになっていた。

 これ以上、好き勝手に喋らせるわけにはいかないと判断したのだろう。マネージャーらしき人物が無理やり彼女を画面の外へと引きずっていく。

 だが、今更、つくろっても遅い。人気絶頂、スキャンダルとは無縁だったティーンエイジャーの女優が、生放送で愛を告白したのだ。この先に待ち受ける混乱は想像もつかない。

 世怜奈先生が世間に認知された時も、それはそれで物凄い瞬間風速を計測したのだろうけれど、彼女はあくまでも素人だ。国民的女優とは、そもそもの知名度が違い過ぎる。

 今年の高校選手権が一体どんな大会になるのか。最早、その断片さえ想像出来なかった。

「お前! 七海ちゃんと知り合いだって何で隠してたんだよ!」

「ギルティ! ギルティ! ギルティ!」

 穂高とリオに摑みかかられた楓は、放心状態で抵抗も出来ずに床に転がる。

 誰にでも出自があり、すべての因果には理由がある。

 どうやらさかきばらかえでと櫻沢七海は幼馴染のようだし、楓が現在のようにがった性格になってしまった背景には、彼女の存在があるようだ。

 この世界は驚きで満ちている。

 世怜奈先生や僕に興味を抱いていなかった人間でも、この騒動により、レッドスワンを嫌でも注視するようになるだろう。いや、話はそんな小さな世界では完結しない。高校サッカーに微塵の興味も抱いていなかった人間ですら、僕らのチームに注目するに違いない。

 櫻沢七海が王子と断言し、求愛した榊原楓は、古豪レッドスワンの正GKだ。

 彼が国民的女優の相手として相応しい選手なのか、世間は無責任に評価を下そうと見つめるはずだ。わずか一日で、楓はあらゆる選手の中で最も有名人となってしまった。


 そして、二日後。

 最後のサプライズがレッドスワンを襲う。

 第九十四回、高校サッカー選手権大会。

 抽選の結果、レッドスワンの初戦の相手は、前年度王者、鹿しませいように決まる。

 青陽にはあの有名なおやだかすずたつひろすずそうへいがいる。J2のクラブに内定が決まっている高校ナンバーワンGKと、楓はいきなり初戦で対決することになったのだ。


 こんな人生を、一体、誰が想像し得ただろうか。

 舞原世怜奈に率いられて以降、信じられないような出来事が降りかかってばかりだった。

 しかし、誰一人として目の前の戦いにひるんでいる者はいない。

 この胸には、かき消せない勇気が燃えている。


 いつだって未来は白紙だ。

 僕たちはそんな未来に、余白いっぱいまで希望を描くのだ。




The REDSWAN Saga Episode.3『レッドスワンの奏鳴』に続く


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