最終話 赤白鳥の星冠(2)


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 敵将、づかりゆうせいはレッドスワンがどんな戦い方を見せると予測していたんだろう。

 一週間前の会見で彼は、こちらが準決勝で見せた攻撃的な姿勢を評価していた。とはいえ決勝戦でレッドスワンが守備的に戦ってくることは、ある程度、予測していたに違いない。しかし、僕らがここまで極端に引いて守るとは考えていなかったはずだ。

 左に位置する美波高校のベンチ、手塚の顔には、呆れにも似た苦笑いが浮かんでいる。

 キックオフからのわずかな時間で意図が理解出来るほどに、こちらの布陣は露骨だった。

 一概に守備的に戦うと言っても、様々なやり方がある。単純に守備の選手を増やしても良いし、全員でブロックを形成しても良い。攻撃時に敵のウィークポイントを突くように、守備では敵のストロングポイントを潰すのが基本となる。

 今日の試合でレッドスワンが取った戦術は、最終ラインを徹底的に下げることだった。

 普段、レッドスワンの最終ラインは、他のチームと比べ、かなり高い位置に設定される。

 だかが加わる前の守備陣は、戦術理解度が非常に高かった。

 もりこし先輩は二年生まで文系首席だったし、おりけいろうさんに次ぐ理系次席である。知力の高い二人が、SBサイドバツクと連携して仕掛けるオフサイドトラップは、チームの武器の一つだった。

 最終ラインを高く保てば、さかきばらかえでの飛び出しを存分に生かすことも出来る。GKゴールキーパーと最終ラインの間にスルーパスを送られても、楓がいる限り、ほとんどピンチには陥らないのだ。

 しかし、この試合に限ってのみ、先生はこれまでのやり方を完全に放棄した。

 美波高校の監督に就任して以来、手塚は一貫して俊足の選手を推薦で獲得している。激しいプレスを前線から仕掛け、ボールを奪ったら即興で芸術作品を作り上げるように、スピードで敵を粉砕する。戦術にかんがみれば、もちづきづかのべはらまさのスリートップはさいてきかいだろう。

 手塚が現在のチームを、美波高校史上最強と自負するのも理解出来る。

 世怜奈先生はそんな美波高校のオフェンスに対して、四人のDFデイフエンス、三人のボランチ、七枚の壁をゴール前に配置していた。敵のスピードを殺したいなら、スペースを与えなければ良い。ペナルティエリアを数の力で無理やりふさぎ、敵の得意な攻めを封じ込めたのだ。

 ボールを奪っても攻撃は前線の三人に任せ、七人はカウンターを潰すために自陣に待機する。たった三人で美波高校の激しいプレスをかわすことは出来ない。アタッキングサードにすらボールを運べない状態が続いていたが、ここまでは敵にもチャンスを作らせていなかった。

 スペースがない状態では、自慢の足の速さを生かせない。

 づき先輩が守るレッドスワンの左サイドに、敵ウイングの延原が何度もアタックを仕掛けていたけれど、ことごとく止められていた。延原のドリブル突破を仕留める度に、葉月先輩はコーナー付近に設置されたカメラに向かって勝利のパフォーマンスを見せている。

 学力が壊滅状態の葉月先輩にとって、今大会は推薦を獲得するための貴重なアピール機会だ。いつも以上にまされた集中力を発揮している。

 敵のエース、望月弓束はさすがのテクニックを見せ、密集地帯でも一人、違いを作り出していたが、スペースのない場所で、びんしようせいに優れる穂高と、けたはずれのパワーを誇る伊織を同時にかわすことは出来ない。決定機を生み出すまでには至っていなかった。


 前半戦も二十分を過ぎると、手塚の指示で敵は攻め方を変えてくる。

 ゴール前の壁を突破するのではなく、ミドルシュートで状況を打開しようとしてきたのだ。遠目からのシュートによって、守備陣を釣り出そうというのだろう。

 しかし、現状、バイタルエリアはレッドスワンの司令塔、じようけいろうの支配下にあった。

 サッカーではスピードやスタミナといった要素に加え、もう一つ、欠くわけにはいかない重要な身体能力がある。それは、両目の『りよく』だ。

 アレルギー性けつまくえんの問題でコンタクトレンズを使用出来ない圭士朗さんは、スポーツゴーグルを着用してプレーしている。とはいえ、きんがんだからといって彼が視力に恵まれなかったと判断するのは早計だ。一概に視力と言っても、その能力には様々な種類がある。

 移動する物体を捉える『どうたいりよく』は、スポーツ選手にとって欠かせないものだろう。だが、サッカーではそれ以外にも重要な視力がある。

 その一つは、距離を摑む『しんりよく』だ。圭士朗さんは遠近感や立体感を摑むこの能力に長けているため、誰よりも正確なパスを繰り出せる。加えて、一瞬にして多くの情報を得る『しゆんかん』にも恵まれており、攻守において敵の位置情報を常に的確に把握していた。

 圭士朗さんは圧倒的な身体能力を持つ選手ではない。楓や伊織、リオといったプレイヤーと勝負する際、ただのフィジカル勝負であったなら、ほとんど勝つことは出来ないだろう。

 しかし、ひとたび、フィールドに立てば攻守においてぼんぴやくの選手とは一線を画すプレーをろうする。それは、圭士朗さんが優れた視力と頭脳を持っているからだった。


 危険なスペースを誰よりも早く察知し、圭士朗さんがそのことごとくを潰すため、美波高校のミドルシュートは、ほとんど脅威を作り出せていなかった。

「片腹痛いぜ! そんなシュートが入るわけねえだろ! 靴選びからやり直せ!」

 敵のミドルシュートを難なくキャッチした守護神の楓が、ごうがんそんに言い放つ。

「枠に飛ばせよ! 俺に仕事をさせろ! 時間稼ぎでもしてんのか!」

「だから入るわけねえだろ! 威力が弱すぎんだよ! ちゃんとミートしろ!」

「これじゃ俺の実力が示せねえんだよ! 少しくらい惜しいシュートを打てよ、無能ども!」

 敵のシュートを止める度に、楓のぞうごんがフィールドに響きわたっていた。

 挑発の言葉に敵が腹を立てれば立てるほど、楓はとしてその能力を発揮し始める。

 これは僕の持論だが、高校サッカーでもミドルシュートが決まるのは、ひとえにGKのレベルが低いからだ。弾丸シュートが決まるシーンなど、ほとんど見た記憶がない。決まるのは大抵、目測を誤ったGKの頭上を越えるループ気味のシュートである。

 ほとんどのチームのGKは百七十センチ台だ。リーチがものを言う場面が最も多くあるポジションなのに、百八十センチに届くGKすら、高校レベルの大会では数が少ない。

 新潟大会に出場したGKで最高身長の百八十九センチ。抜群のジャンプ力と反射神経。必要な要素をすべてね備える楓から、簡単にミドルシュートでゴールを奪えるはずがなかった。

 もちろん、美波高校の選手たちは並の選手ではない。実際、エースの望月弓束はペナルティエリアの外からでも、驚くほどに強烈なシュートを放っている。だが、そんな彼に対しても、万全の態勢からシュートを打てないよう、圭士朗さんが常に身体を寄せていた。


 二ヵ月前からチームは強豪校との練習試合において、何度もこの形を試している。

 この守備陣形で最も怖いのは、ミドルシュートが味方に当たって、コースが変わってしまうことだ。人間の身体は一瞬で逆方向に移動出来るようには出来ていない。楓は反射神経に優れるが故に、ディフレクションしたボールへの反応を苦手としている。

 十分な距離がある位置からのシュートには、ギリギリまで身体を寄せるが、ブロック出来る自信がないなら、不用意に足を出さないことが徹底されていた。全力で打ったロングシュートなど、そもそもほとんど枠内には飛ばない。仮に飛んでも楓ならば対処出来る。


 あらゆるパターンを想定して、今日まで完璧に準備をしてきた。

 前半戦、美波高校には十本以上のシュートを打たれ、こちらは一本も打てていない。

 それでも、スコアは〇対〇のままだ。サッカーはシュート数を競う競技じゃない。


 夢の舞台を目指す決勝戦。

 レッドスワンの命運は、後半戦に持ち越されることになった。


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