第六話 錨星の挑発(6)


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 インターハイベスト4の県絶対王者、美波高校。

 彼らを倒すための準備を、僕らは九月から始めている。偕成対策を始めたのが試合の一ヵ月前だったことを考えれば、遥かに入念な準備をしてきたと言えるだろう。

 準決勝までの四試合、彼らの戦い方はほとんど変わっていない。対戦相手によって多少、DFデイフエンス陣はいじっているものの、前線に関してはそのスタイルを一貫している。ませた最強のほこで攻め勝つ。畏怖を覚えるほどに、自信を前面に押し出した戦い方だ。

 決戦の舞台に疲労を残さないため、前日練習は軽いメニューで構成されることになった。

 いつもより短い一時間で練習が切り上げられ、個別の居残りトレーニングも禁止される。

 先生は選手たちに就寝時間、起床時間の目安まで細かく指定していた。

 明日、美波高校に敗れれば、レッドスワンは廃部となる。文字通りの意味で本日が最後の練習になる可能性もあるわけだが、そんな素振りを見せる者は一人もいなかった。

 美波高校が格上の相手であることは分かっている。それでも、全員が自信を持って決戦に挑めるのは、論理的に構築された準備があるからだった。


 練習後、おりたちと別れて校舎側にある正門へと向かう。

 部活後に会いたいとさんに言われていたからだ。

 この季節は日が落ちるのも早い。既に街は完全に闇に染まっていた。

 街灯の下、彼女の吐き出す息が白く染まっている。

「お待たせ。校舎の中で待っていたら良かったのに」

「そう思ったんだけどね。私の方が遅れてしまったかなって思ったから」

「これ、良かったら」

 部室棟の自販機で買ったホットココアを彼女に手渡す。

「……ありがと」

 自分の分の缶に口をつけると、血液をノックするように、温かさが身体中を走っていった。

 寒さで指先に力が入らないのか、真扶由さんはプルタブを上手く開けられずに四苦八苦している。彼女の手から缶を取り、代わりにプルタブを開けてやった。

「ごめんなさい。何から何までお世話になります」

 受け取る時に触れた真扶由さんの細い指は、僕とは比べ物にならないくらい冷えていた。

「それで話っていうのは?」

 こんな晩秋だ。寒空の下、帰途につく生徒たちは、足早に校門を抜けていく。

 言い出しにくいことなのだろうか。真扶由さんの横顔が曇る。

 お喋りと言ったらへいがあるけれど、僕と一緒にいる時、大抵、真扶由さんはじようぜつに喋っている。こんな風に口ごもる姿は、ほとんど見たことがなかった。

「……人が行き来する場所じゃ話しにくいこと? 移動する?」

 思い詰めたような眼差しのまま、なかなか話を始められない真扶由さんに問う。

「少し歩くと公園があるから、そっちに行こうか」

 頷いた彼女を先導し、校門から五、六分の距離にある小さな公園へと移動した。

 思えば、この公園に足を踏み入れるのも二度目のことである。真扶由さんからの予期せぬ告白を受けたその日も、練習の後で僕はけいろうさんとここに来た。

 屋根の下にあったベンチに真扶由さんが腰を掛け、その向かいに身体を半身にして座る。

 街灯が照らし出す公園には、僕らのほかに誰もいなかった。

「……ごめんね。明日は大切な決勝戦なのに、私なんかのために時間を取らせちゃって」

「もう準備は終わってるから大丈夫だよ。二ヵ月以上前から準備をしていたしね」

「そうなんだ。凄いね。吹奏楽部にも大会はあるけど、サッカー部の準備って想像がつかないな。対戦相手のことも研究するわけでしょ?」

「もちろん。強いチームを倒すためには対策を立てないと」

 吹奏楽部が挑戦するのはコンクールだろうか。同じようにライバルがいるのだとしても、集中すべきことの本質は大きく異なっているように思う。

にも沢山の仕事があったんだろうな」

「うん。皆、頼りきりだったよ。決勝戦にピークがくるようにコンディション調整出来たのも、華代の計画があったからかな」

「誰が欠けてもレッドスワンじゃないってことだね。そういう絆があるって羨ましいな。チームメイトに働きを認められている華代は、幸せ者だと思う」

 真扶由さんはこごえる両手を吐息で温める。

 冷えた風に溶けたように、世界から音が消えていた。


「……嚙み殺している感情って、いつか壊れてしまうのかな」

 彼女が何を言い出したのか、よく分からなかった。

「私がゆう君に告白してしまったのも、そういうことだったのかもしれない。絶対に断られるって思っていたのに、告白せずにはいられなかった。押し留めていたら壊れてしまうんじゃないかってそんな風に思ったから」

 思い詰めたような眼差しを見て、図らずも気付く。

「優雅君が付き合ってくれることになって、もう二ヵ月が経つんだね」

 多分、これが彼女の話したかった本題なのだろう。

「凄く嬉しかった半面、ずっと恐怖みたいな感覚もあったんだ。幻滅されたらどうしよう。あきれられたらどうしようって、ずっと不安だった」

「呆れられるかもってのは、僕も同じことを思っていたけどね」

 真扶由さんは真っ直ぐに誰もいない宙を見つめる。

「優雅君は今も私のことが好きではないでしょ?」

 思わず戸惑ってしまうような直球の質問だった。

 どんな回答を期待して、そんなことを言ってきたのだろう。真扶由さんの気持ちをはかることさえ、にぶい僕には出来そうにない。

「……まだ、よく分からないっていうのが正直なところかな。ごめんね。本当はもっと、きちんと向き合えたら良いんだけど、どうしても今は……」

 サッカー部のことを一番に考えてしまう。でも、それは仕方のないことだとも思うのだ。だってレッドスワンは明日には死んでしまうかもしれないのだから。

「責めているわけじゃないの。私がお願いして付き合ってもらったんだもん。そんなこと出来る義理もないし、今のままでも私は十分に幸せだから。ただ……」

 小さく唇の端を嚙んでから、

「やっぱり、恋人っていうのは、お互いを好きな人間同士がなるものなんじゃないのかなって、最近、強く思うの。だから、今の私たちの関係を一旦、白紙に戻して欲しくて」

「……白紙?」

「うん。友達に戻って、それから、それでも、いつか私のことを好きになってもらえたとしたら、その時に今度こそ、本当の恋人になって欲しい」

 彼女はずっと、それが言いたかったのだろうか。

「僕に幻滅したのなら、そう言ってくれて大丈夫だよ。はっきり言ってくれた方が……」

「ううん。本当に優雅君を嫌いになったわけじゃないの。それは誤解しないで欲しい」

 慌てたように真扶由さんは首を横に振った。

「今まで以上に、この二ヵ月で優雅君のことを好きになったような気がしているから。でも、だからこそ、やっぱりきちんと好きになってもらってから付き合いたいの」


 彼女と向き合う道の上で、僕が何かを間違ってしまったんだろうか。

 それとも、僕という人間にそもそも間違いがあったんだろうか。


「……分かった。真扶由さんが望む形は理解したと思う」

「ごめんね。大切な試合の前日に、こんなことを言ってしまって」

 感情なんて誰のものでもないはずなのに、何を想えば良いのか分からなかった。

 明日の指揮を任されていなくて本当に良かったと思う。こんな精神状態で万全の采配を振るのは、さすがに難しい。

「多分、私は明日も優雅君のことばかり見ていると思うな」

 彼女の言葉を聞き、チリチリと心臓の辺りが痛んだ。

 いつの間にか、心に小さな穴が開いているような気がした。

 彼女自身が断言したように、僕はまだ真扶由さんに恋心を抱いていない。それなのに、どうしてあざみたいな何かが心に生まれるんだろう。


 淡い想いと、ぬぐい去れない感情を抱えながら。

 僕は決戦の舞台に向かうことになった。


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