第六話 錨星の挑発(5)


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 決勝戦を二日後に控えた木曜日のお昼休み。

 先生と共に、一人のチームメイトから呼び出しを受けた。

 部室に出向くと、クラスメイトでもあるぜん常陸ひたちが、いつにもまして緊張の面持ちを見せながら待っていた。昼食後に相談という話だったし、世怜奈先生が来るのはもうしばし後だろう。あの人はマイペースな上に、食事のスピードも遅い。

「昼休みを潰しちゃってごめんな」

「気にするなよ。どうせ決勝が終わるまでは、サッカーのことしか考えられない。それに、そろそろ、また相談されるかなって思ってた」

「……そういうのって分かるものか?」

「常陸の悩みは、ポジション的にも分かりやすいからね」

 彼はチームの最前線、FWフオワードの選手だ。レッドスワンはワントップを採用しているため、CFセンターフオワードは一人しか出場しない。そして、常陸はここまでの四試合すべてに先発したが、まだ一点も奪えていなかった。インターハイ予選から数えてみても、彼には公式戦でゴールがない。

 常陸はすい島という離島の出身である。に悩むその島では、比較的、人数が少なくても出来るバスケットボールの人気が高いらしく、彼も昔はバスケをやっていたという。

 空中にあるボールをやり取りする競技でもまれてきた常陸は、空間把握能力に長けている。落下地点の把握が正確なため、ハイボールの競い合いに負けないし、狭いスペースで敵に囲まれることにも慣れている。バスケ部時代に務めていたセンターというポジションで、選手が密集するゴール下を主戦場としていたからだろう。

 常陸はどれだけ大勢の選手に囲まれても焦ることがない。ポストプレイヤーとしての能力だけを見れば、本当に大会屈指の選手と言えた。しかし……。

「まあ、スコア的にはFWとして不本意な成績よね」

 遅れて登場した世怜奈先生が、ホワイトボードに公式戦の得点者を書き出していく。

 点を取れない試合が続いているにも関わらず、現状、上背のある常陸はレギュラーの座を確約されている。チーム戦術を考えれば当然とはいえ、ここまで無得点が続けばたまれなくなるのも無理はない。

 五月中旬に経験した地区予選で、レッドスワンは三戦全勝を収めている。

 スコアは四対〇、二対〇、三対〇だ。リオが四ゴールと爆発し、当時は左ウイングだっただかも三ゴールを決めている。残りの二ゴールは、セットプレーからおりおにたけ先輩だ。

 続けて戦った県総体は準決勝まで五試合を戦い、十一得点六失点である。

 得点者の内訳は、やはりリオが三ゴールでチーム得点王。伊織が二得点、鬼武先輩、づき先輩、穂高、けいろうさん、ひろおみりよういちが一点ずつだ。地区予選に比べてまんべんなく得点者が出たが、常陸にはゴールが生まれなかった。

 そして、先月から始まった選手権予選。

 偕成戦を含めて四試合を戦い、レッドスワンは十得点を挙げている。

 リオが四得点、てんが二得点、フリーキックで圭士朗さんと葉月先輩が一本ずつ直接ゴールを決め、伊織と鬼武先輩が、それぞれセットプレーと流れの中から一点を奪っている。


「改めて見ると、リオって決定力だけは抜群ですね」

 リオは公式戦十二試合で十一ゴールを挙げている。連戦の続いた県総体では、温存で出場しなかったゲームもあったから、実際には試合数と同じだけゴールを決めている計算になる。

 集中力はないし、走行距離も少ないくせに、ゴールという結果だけは常に残しているのだ。

「俺はほとんどの試合で先発してきたのに、未だに一点も決めていません。優雅のアドバイスをもらってから、前より得点に絡めるようになってきたけど、やっぱり情けなくて……」

 今年の四月、ワントップの役割に悩む常陸に、僕は一つのシンプルなアドバイスを送った。

「迷った時はニアに走り込んで。身体の強さを生かしてニアで勝負した方が良い」

 味方からのパスを受ける際、後ろからのプレッシャーが少なく、余裕を持って対応出来るファーにいた方が、すべての作業はより簡単になる。だが、それでは常陸の良さが生かせない。

 常陸の仕事は前線で敵を引きつけ、チャンスを増幅させることである。もちろん、ニアで合わせてボールを処理出来るならそれが一番良い。しかし、たとえシュートやパスに持ち込めなくとも、大きな選手がニアで勝負をしてくれることは、絶対にチームの助けとなる。

「確かにゴールは奪えていない。でも、常陸の貢献度は皆が理解しているよ。ゴールやアシストを記録した選手だけが偉いわけじゃない。起点となった選手がいて、敵を引きつけてスペースを作った選手がいて、そういう積み上げがゴールに繫がるんだ」

「だけど俺がゴールを決めていれば、もっと楽に勝てたゲームだってあるだろ。それに、もう一つ心配があるんだ。このままじゃ決定力のあるリオにばかりマークが集まるんじゃないかなって。そうしたら余計にチームのゴールが……」

「確かに今のレッドスワンで一番怖いのはリオでしょうね。ほとんど守備に戻らないから、大抵、カウンターの場面では最前線を走ってるし、足でも頭でも点を取れる。リオを警戒しない理由がないわ。でもさ、それって本当にうちのチームにとってまずいことなのかな」

 世怜奈先生は小首を傾げて常陸に問う。

「前線に常陸とリオ、二つのパスコースがあった時、どちらも同じ条件なら、うちのチームの選手は大抵、決定力の高いリオにパスを出す。美波高校の守備陣もそれを予想しているかもしれない。だけど、そんなことをうちの司令塔が理解していないと思う?」

 レッドスワンの司令塔は、中盤の底からリズムを作り出す圭士朗さんだ。

「ここまで常陸がゴールを奪えていないこと。私はむしろ武器になるって思うんだけどな。相手がどう動くか分からないから戦術って難しいのよ。でも、常陸が得点を奪えていないお陰で、逆に敵の守備の動きを推測出来るかもしれない。動きさえ予想出来てしまえば、あとは知性の勝負になる。レッドスワンは頭脳勝負なら絶対に負けない」

 世怜奈先生は常陸を真っ直ぐに見つめて力強く頷く。

「自分を信用出来ないなら、常陸のことを信じる私を信じなさい。大丈夫。常陸は間違いなく、このチームに必要な人間だよ」


 誰かに必要とされること。必要とされているということを確信出来ること。

 それは人間にとって、どれくらいの力になるんだろう。

 フィールドでプレー出来ない今の僕には確かめようもないが、部室を出て行った常陸の顔に、もう迷いの色は浮かんでいなかった。

「……世怜奈先生って、凄く先生って感じですよね」

やぶから棒に何?」

 頭に浮かんだフレーズを素直に口にしたら、首を傾げられた。

「先生って二十六歳じゃないですか。教師としても、サッカー部の顧問としても、まだじやくはいなはずなのに、どうしてこんなに頼りになるんだろうって不思議だったんです。生徒の悩みや不安を、いつも魔法みたいに溶かしてくれるから」

「うーん。嬉しいけどかぶりかな。優雅は善意に誤解していると思う。私、子どもの頃は、何を考えているか分からないって、大人たちに散々、奇異の目を向けられてきたんだよ」

 確かに世怜奈先生はその本心が何処にあるのか、分かりにくい人だけれど。

「でも、先生は僕らのことを、いつも正しく理解してくれるじゃないですか。世の中の教師が皆、世怜奈先生みたいに尊敬出来る人だったら良いのになって思います」

「ありがと。素直に嬉しいよ。ただ、そんな風に優雅に思ってもらえるのは、きっと私に素敵な先生がいたお陰だと思う。おしようさんに感謝しなきゃだね」

「世怜奈先生にも影響を受けた人がいたんですか?」

「もちろんいるよ。その人に会えて、初めて私は私で良いんだって思えたの。人生に迷っていた頃の私に、ありのままで大丈夫だよって教えてくれた恩人」

 ……そうか。世怜奈先生にもそういう人がいたのか。

 何だか妙にホッとしている自分に気付いた。世怜奈先生は真っ直ぐに強い人である。幾ら憧れても、自分のような人間じゃ、どれだけとしを重ねても届きはしない。そういう人だと思っていた。

 しかし、彼女にも恩師がいた。世怜奈先生に出会って、僕がようやく今を見つめられるようになったように、若かった彼女を立たせてくれた誰かが世界には存在していた。

「その人もね、高校生にサッカーを教えていたの。だから、いつか何処かの舞台で戦うことが、私の夢の一つ。もちろん、その時は圧勝して、成長した姿を見せつけるつもりだけどね」


 名前も知らない。出会うことさえないだろう誰かに、心の奥で感謝を述べる。

 世怜奈先生と出会えたことで、僕の人生は確かに変わった。そんな彼女を育ててくれた誰かは、きっと、僕にとっても恩人のはずだ。

 れん綿めんと続くきずなが世界を紡いでいくように。

 彼女から学んだ何かを、いつか僕も誰かの未来に届けられるだろうか。


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