第六話 錨星の挑発(2)


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 あかばね高校サッカー部、通称レッドスワンの指揮を執るのは、就任二年目のまいばら。教職四年目の二十六歳で、強豪校では異例の女性監督である。

 対する県の絶対王者、美波高校サッカー部の指揮を執るのは、就任七年目のづかりゆうせい。こちらも三十二歳と、まだまだ若い監督である。

 手塚は就任三年目で初優勝を飾ると、以降、四期連続でインターハイ予選、選手権予選を制し、全国大会の常連監督となった。

 世界的に見ても、サッカーほど長くじゆうこうな歴史を持つスポーツは存在しない。そして、歴史とは裏腹に、につしんげつの勢いで革命的な進化を遂げているスポーツでもある。トレンドとなった戦術、指導法が、わずか数年で時代遅れになることも珍しくない。

 テクノロジーの進歩と共に、あらゆる分野がデータ化されるようになり、サッカーは経験や勘だけでは勝てない競技となった。より知性が重要視されるようになった現代において、指導現場に若い芽がたいとうするのも、当然の流れなのだろう。


 会見のテレビ中継は、準決勝を放送したローカル局でそのままおこなわれる。

 会場には地方紙の記者以外にも、多くの報道陣が駆けつけていた。

 SNSでその容姿が話題となり、爆発的な人気を得た世怜奈先生は、大会前に数々のインタビューに応じ、燃料を燃やし続けている。現在も世間の関心はまったくおとろえていなかった。

 緊張感のない微笑をたたえる世怜奈先生の隣に座す手塚劉生もまた、不敵な笑みを浮かべていた。およそ教師らしくない長い髪の下に、くろぶちの眼鏡を覗かせ、自信家であることを隠しもせずに、不遜な態度で会見の開始を待っている。

『美波高校は五期連続、赤羽高校は十三年振りの決勝進出となりました。まずは美波高校からお話をうかがいたいと思います。準決勝を六対一、貫禄の勝利となりましたが感想を』

 インタビュアーの質問を受け、小さく鼻で笑ってから手塚は口を開く。

『五大会連続で同じカードじゃつまらない。マスコミ的にも面白くなったでしょうね』

 そっけなく述べた彼の発言からは、感情がよく読み取れなかった。

『では、続いて赤羽高校、舞原監督に今の気持ちを聞いてみたいと思います。念願叶っての決勝進出、気持ちもたかぶっているのではないですか?』

『見当外れなコメントには、切り返しが難しいですね。五月に宣言した通り、今、県で一番強いのは私たちです。これまでの勝利と異なるかんがいはありません』

『随分とたかしやな女性だ。ここまで現実が見えていないと、いっそすがすがしい』

 苦笑いを嚙み殺しながら、手塚が口を開く。

『偕成相手の戦い方には、正直、驚きましたよ。レッドスワンは守備一辺倒の退屈なチームだと思っていましたからね。まさか、あんな牙を隠し持っていたとは』

『一週間後にはその喉元に突き刺さっていますよ。すぐに笑えなくなる』

 気付けば、インタビュアーを無視したぜつせんが始まっていた。

『まさか点の取り合いで、我々に勝てるとでも?』

『お山の大将を猿山から引きずり下ろすなど、ぞうもないことです』

『猿山ときたか。可愛い顔をしてアグレッシブな方だ』

 両監督はお互いに乾いた微笑を浮かべているが、インタビュアーの表情は凍りついていた。

『準決勝にテレビ放映が入るなんて異例と言わざるを得ない。会見にこれだけの報道陣が集まるのもね。今やクラブユースの躍進にやられて、高校サッカーの権威は落ちる一方だ。舞原先生には感謝していますよ。どういう形であれ、注目を集めてくれたことに変わりはない。舞台を整えてくれたあなたに敬意を表して、こちらも一つ、火に油を注ぎましょう』

 世怜奈先生から視線を外すと、手塚はテレビカメラを見据えて微笑む。

『入手した確かな筋からの情報によれば、赤羽高校サッカー部は今大会で優勝しない限り、本年度をもって、長い歴史に幕を下ろすそうです』

 一瞬で会場にざわめきの波が起こる。

 緊張感のない顔でひようひようと喋っていた世怜奈先生もまた、思わず表情を曇らせてしまった。

『……何の話でしょうか?』

『誤魔化さなくて良いですよ。どうせ、すぐに実現する未来だ。レッドスワンは決勝で我々に敗れ、廃部となる。せっかく出てきたライバルの命をこの手で消すのは忍びないが、負けてやるわけにもいかない。決勝戦がレッドスワンの公式戦ラストマッチとなる』

 唇を真一文字に結んだまま、世怜奈先生は反論の言葉を述べない。

『赤羽高校の経営者は何を考えているんでしょうね。僕には理解出来ないが、一つ、提案出来ることもある。舞原先生、次年度はうちの高校へいらして下さい。そもそも先生は美波高校のOGらしいじゃないですか。ぜひ、うちでアシスタントコーチを務めて欲しい。あなたは修練を積むことで本物の逸材にもなれるはずだ。僕の下に来て学ぶべきです』

『妄想がはかどっているようですね』

『妄想じゃないさ。すべて真実だ。事実、あなたは否定していない』

 そうごうを崩し、世怜奈先生は呆れたように笑って見せた。

『否定する必要がありますか? そもそも決勝で勝利するのは私たちです』

『良いね。まったく面白いよ。強気な女性は嫌いじゃない。これ以上の論戦はすいでしょう。決着はフィールドでつければ良い』

 立ち上がり、それから、手塚は何かを思い出したように世怜奈先生を見つめた。

『そうだ。もう一つ大切なことを伝え忘れていました。舞原先生、決勝戦で僕が勝利したあかつきには、選手権への出場権のほかに副賞が欲しい』

『……副賞?』

『あなたにデートを申し込みます。結婚を前提に僕とお付き合い願いたい』

 あまりにも予想外の発言が飛び出し、会場に戸惑いが広がる。

 すべての視線が集中した先で、世怜奈先生は……。


「……おい。何でうちの監督は、あんなにきよどうしんになっているんだ?」

 中継画面を見つめながら、おりが呆れたように呟く。

 タブレットの画面越しでも、世怜奈先生が動揺していることがはっきりと分かった。先生は不審者のごとく視線をさまよわせた後、テーブルに用意されていたコップに手を伸ばす。しかし、ぎこちない動きで摑みそこね、そのままコップを床に落としてしまう。

「そういや男と付き合った経験がないって言ってたな」

 腕組みをしながら中継を見つめていたおにたけ先輩が、そっけなく告げる。

「女子大出身だし、このサッカーけの生活で、出会いがあるとも思えない。恋愛に対するめんえきがないのかもな」

 先輩の推測を裏付けるように、コップの中身をぶちまけた世怜奈先生は、そのままの姿勢で完全に固まってしまっていた。

 この人数の記者に囲まれた状況で、半分プロポーズみたいな告白である。平常心を保てという方が無理なのかもしれないが、いつもの飄々とした彼女は完全に消えてしまっていた。


 会見場では、決め顔のまま手塚がさつそうと立ち去っていく。

『……け、決勝戦が大変楽しみになってきたと表現したら良いのでしょうか』

 硬直状態の世怜奈先生を一人、画面に残し、インタビュアーが無理やり締めに入る。

『それでは次週、第九十四回全国高校サッカー選手権大会、新潟県予選、決勝でお会いしましょう。ビッグスワンのスタジアムから生中継でお送りする予定です』


 あの舞原世怜奈と手塚劉生があいまみえるのだ。

 何かが起こるかもしれないと期待した視聴者は少なくないだろう。しかし、事態は明後日の方向に飛び火し、想定外のしゆうえんを迎えてしまった。

 世怜奈先生は認めなかったものの、レッドスワンに理事会から課された存続条件までもが、しゆうもくの前に晒されている。決勝戦に集まる注目度は、さらに増すに違いない。

 その運命の日がどんな一日になるのか。最早、誰にも想像がつかなかった。


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