第五話 空蝉の鹿鳴草(7)ー2
後半二十九分、戦況を見守り続けてきた偕成のベンチが動く。
敵はこの場面で、一気に二枚のカードを切ってきた。
ボランチと右SBに代えて、攻撃的な選手を二人投入してきたのだ。何もかもがこちらの思い通りにはいかないという教訓だろう。それは、最も恐れていた交代カードでもあった。
これだけ徹底的に右サイドからやられているにも関わらず、敵はそこに守備の選手を投入するのではなく、反対サイドに攻撃的な選手を二人入れてきた。
新しい左SBは城咲葉月ほど有能ではない。それを短い時間で見抜いたのだ。
レッドスワンが戦力を集中させた場所で真っ向勝負するのではなく、自分たちの潤沢な戦力を計算した上で、最も効果的な一手を打つ。敵はこちらの挑発に乗ってこなかった。
残り時間は十分強、お互いが右サイドに攻撃能力の高い選手を揃え、打ち合いに興じる。
分が悪いのは明らかにレッドスワンの方だった。僕らは葉月先輩という守備の
仕掛けられる波状攻撃を、それでもギリギリのところで防げているのは、伊織が身体を張って最終ラインに立ちはだかっているからだ。初めての公式戦で敵の矢面に立たされ、浮足立った蓮司はミスを連発していたものの、そのことごとくを伊織がカバーしていた。
いつもと比べて圧倒的に手薄な守備陣の中央で、伊織は真の覚醒を見せる。
ハイボールを跳ね返し、ドリブル突破を仕留め、身体を投げ出してシュートを弾き返す。
有能なCBと連動することで、GKはその能力を存分に発揮することが出来る。伊織がコースを消すから、激しいプレッシャーを与えるから、敵は十全な体勢でシュートを打てない。
伊織と楓の二人は、時間経過と共に圧倒的な個の力を発揮し始めていた。
じわじわとタイムアップが迫る中、第五の矢を放つことに決める。
「
僕が二枚目の交代カードとして選んだのは、穂高のコンバートによってポジションを失い、今日のゲームで控えメンバーとなった森越先輩だった。
後半三十七分。
疲れの見えていた一年生ボランチ、狼と交代で、先輩をピッチへ送り出す。
だが、森越先輩を送り出した理由は、彼らの予想とは百八十度異なるものだ。
ゲームは再び、右サイドから動く。
中央から流れた圭士朗さんとのワンツーで前に出ると、葉月先輩はそのままノールックで、寄せていたSBの頭上を越えるループパスを出す。
走り込んだのは右サイドを駆け上がり続けていた鬼武先輩ではなかった。鬼武先輩がまだ後方にいたからこそ、敵のSBは葉月先輩にプレスをかけていた。ループパスに反応出来る選手などいるはずがなかったのに、反転した敵SBの真横を、一陣の風が駆け抜ける。
葉月先輩のループパスに反応したのは、最後尾から一気に走り込んだレッドスワンのスピードスター、
僕らはこの試合、リードを奪うまで守りに入るつもりはない。
森越先輩を投入したのは、守備を固めるためじゃない。一ヵ月前までアタッカーだった穂高を最前線に送り込むためである。守備に
敵の右サイドの選手は、ここまで散々、縦横無尽に走らされている。スピードに乗った穂高に追いつけるはずもなかった。
独走で敵陣深くまでえぐったところで、穂高は顔を上げる。
これまで右サイドからのクロスに対しては、FWの常陸がニアに、左サイドに入っていたリオがファーに走り込んでいる。だが、今回はそれも異なっていた。
ゲーム終盤、第五の矢を放った際の動きについて、僕は事前に明確な指示を出している。
フィニッシャーの常陸とリオに、遠いサイド、ファーに走り込むよう告げてあったのだ。
二人の動きをしっかりと確認してから、穂高は利き足で高さのあるクロスを送り込む。
先に落下地点に入ったのはリオだった。
ボールの処理をリオに任せ、常陸は中央に切れ込む。
レッドスワンの最多スコアラー、リオの強烈なヘディングシュートを予測し、ファーに移動したGKの二階堂は、両足を地につけ、万全の態勢でシュートを待ち構えた。
ゴールマウスを見据え、リオが上半身を後ろに反らして高く飛び上がる。
強烈な一撃がリオの頭から放たれる。誰もがそれを予想した次の瞬間だった。
リオはヘディングの直前で身体を捻ると、ボールを真横、中央に折り返す。
決定的なシュートチャンスだった。ここで打たずに、いつシュートを打つのだという状況でもあった。それにも関わらず、リオはパスを選択する。
偕成学園の誰もが呆気に取られて、折り返されたボールを見送ったけれど、レッドスワンの中にリオのプレーに意表を突かれた選手はいない。嫌になるほどに練習で試した形だからだ。
第四の矢を放ってもゴールを奪えないなら、認めざるを得ないだろう。
二階堂は楓にも匹敵する選手だ。そして、彼の武器はその異常な反射神経で間違いない。
闇雲にシュートを放ち続ける。そんなのは作戦じゃない。
僕らは絶好調の二階堂からゴールを奪う方法を用意しておく必要があった。
正面からシュートを放つより、クロスからシュートに持ち込んだ方がゴールは生まれやすい。人間の目は角度に弱いから、クロスを送り続ければ、いつかはゴールが生まれるだろう。しかし、これまでに生まれた得点は、完全にGKの裏をかいた鬼武先輩のゴールのみだ。
穂高を前線に上げることで守備陣は確実に手薄になる。穂高がチャンスを作ることに成功した
常陸とリオを左サイドにポジショニングさせたのは、手順をもう一つ増やすためである。
一回で駄目なら二回、角度をつけてやれば良い。
右サイドから左サイドに送り、再度、折り返したボールを中央で合わせるのだ。
打点の高いヘディングで折り返されたボールが、中央に切れ込んだ常陸の脇に転がる。
マイナス気味になってしまったものの、常陸は何とか踏みとどまりシュート体勢に入る。
リオからのヘディングを予想していた二階堂は、折り返されたボールに反応してしまい、完全に体勢を崩していた。今、シュートを放てば、さすがに反応出来ないだろう。しかし……。
「常陸! スルーしろ!」
鋭い声が響き、常陸はシュートモーションに入っていた足を上げてボールを避ける。
その後ろから飛び込んだのは、彼に叫んだ圭士朗さんだった。
バランスを崩した体勢からでは強いシュートが打てない。枠内に飛ぶかも分からない。ミートの得意ではない常陸に無理なシュートを打たせるより、確実な方法を取ろうとしたのだ。
圭士朗さんはスルーされたボールの軌道に入ると、軽やかなトラップでゴール前に迫る。
GKとの距離はわずか三メートル。
二階堂はさすがの
コンマ数秒でめまぐるしく変わった盤面だ。周囲を確認する時間なんてなかったはずなのに、圭士朗さんはその目の端に仲間を捉えていたのだろうか。シュートモーションから身体を強引に捻り、ボールをアウトサイドで左側に優しく戻すように流す。
自分から離れていくボールには、手が届かない。二階堂は飛び込んだ勢いのまま圭士朗さんに衝突し、
そして、次の瞬間。二階堂のファウルに主審がホイッスルを吹く間さえ与えずに、レッドスワンの選手がボールを無人のゴールに蹴り込む。
対偕成学園、後半三十九分。
「
逆転ゴールを蹴り込んだのは、リオ・ハーバート。
アディショナルタイム突入直前、僕らはついにゲームをひっくり返したのだ。
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