第五話 空蝉の鹿鳴草(7)ー1


             7


かんがくいんすずめもうぎゆうさえずるからなー!」

 新しい決め台詞ぜりふだろうか。リオが敵GKゴールキーパーに向かって何かを叫んでいた。

 ベンチに腰掛ける先生に目を向けると、口のを上げてにやにやと笑っている。また古典の補習中に余計なことを教え込んだのだろう。

 サッカー部ではフィジカルトレーニングが個別に用意されている。部員は全員、プロのトレーナーによって作成されたプログラムを毎日こなさなければならず、動画で管理されているため、さぼった人間には必ず世怜奈先生による強制補習が課せられる。

 リオは普段、母語の英語ですら赤点を連発しているのに、度重なる補習がきいたのか、中間テストでは古典でベスト10に食い込むきようがくの成績を残していた。怪我のこうみようはなはだしい。


 半年前の戦いと同様、同点ゴールを蹴り込んだのはおにたけ先輩だった。

 前回の対戦ではゴールが終了間際だったこともあり、喜ぶ素振りすら見せずに、鬼武先輩は追加点を狙おうとしていた。しかし、今回はまだ三十分以上時間が残っている。

 鬼武先輩はスタンド前まで走り込むと、観客に向かって拳を突き上げていた。

 その背中にづき先輩が飛び付き、鬼武先輩におぶさると、両手の親指で自らの背番号をアピールする。葉月先輩は今回の得点にじんも絡んでいない。どういう神経で自分の背番号を強調しているのかまったく分からなかったが、スタンドは異様な盛り上がりを見せていた。

 てんへのパスを捌いてから、けいろうさんも常陸ひたちに続いて中央に飛び込んでいる。

 圭士朗さんはゴールマウスの中からボールを拾うと、地面に拳を叩きつけて悔しがるGKかいどうの脇を通り、自陣へと帰っていく。その道中で何かに気付いたように立ち止まり……。

「平安時代、だいがくべつそうに住む雀は、学生が読む教科書の文面をさえずるようになった。聞き慣れた話は自然に覚えるという意味です。あの馬鹿が言わんとしていたことは分かりませんが」

 二階堂に解説してから、圭士朗さんはセンターサークルまで悠然と戻っていった。

 鬼武先輩にラストパスを送った天馬は、駆け寄ったおりろうに手荒な祝福を浴びている。一人の力で生まれたゴールではない。GKの逆を突いた鬼武先輩のフィニッシュは見事の一言だが、精度の高いスルーパスでアシストを記録した天馬も評価されてしかるべきだろう。


 同点になった時に勢いづくのは追いついた側である。

 偕成学園は鬼武先輩を止めるために選手を交代したのに、そこを完璧に崩されて失点してしまった。采配の差が生んだ得点でもある。ダメージはただの一点では済まない。

 鬼武先輩の同点ゴールから五分後、予定通り第四の矢を放つことにした。

 ボールがタッチラインを割ったタイミングで、体力の限界が訪れていた天馬に代わり、二年生のおくむられんをピッチに送り出す。

 蓮司は今大会、初出場の選手であり、偕成もデータを持っていないはずだった。

 彼がここまで出場していないのはSBサイドバツクの選手だからである。左のしろさきづき、右のおにたけしんすけは県内最強のSBコンビであり、ここまでの三試合をフル出場している。

 現状、蓮司の実力は二人の先輩にまったく及ばない。とはいえ、二人が怪我でもすれば代役は彼になる。少しでも先輩に追いつくため、蓮司は日々、真剣に汗を流していた。

 情報のない選手が交代で入ったきた場合、参考に出来るのはメンバーの登録表くらいだ。FWフオワードに代わりDFデイフエンス登録の選手が投入されたわけだから、勢いに任せて攻めるのではなく、守備的に戦うという現実的な戦術をレッドスワンが取ったように、敵には見えるはずである。

 しかし、僕がやろうとしていることは、まったくの逆だった。


 天馬が下がったことで、執拗に攻め立てられていた右サイドの選手は、胸をろしたことだろう。ようやく狙い打ちの状況から脱せたと感じたに違いない。

 だが、サッカーは知性のゲームである。むしろ、同点に追いついたここからが本番なのだ。右サイドを完全に制圧するまで、攻撃の手を緩めるつもりなどなかった。

 突如、右サイドに顔を出し始めた選手により、再び、偕成の守備陣に混乱が生まれる。

 もちろん、そこでプレーを始めたのは、天馬と代わった蓮司ではない。蓮司に左SBのポジションを譲り、今、最も熱い戦場に駆け上がったのは、ナルシストのごん、城咲葉月だった。

 経験の浅いだかCBセンターバツクを務めている今、フォロー能力に長ける葉月先輩を前線に上げるのは、本当に大きな賭けである。しかし、再びリスクを負って僕らは第四の矢を放った。

 葉月先輩はもともと攻撃的なサイドプレイヤーである。高精度のクロスを武器としながら、緩急自在なドリブルで攻撃にアクセントをつけていく。目立ちたがり屋という性格とは裏腹に、ゴールよりアシストを記録することに美学を持ち、味方を生かすプレーに終始する。

 天馬は高い潜在能力を持っているけれど、少なくとも現時点では、葉月先輩の方が圧倒的に格上である。二人の間には修練を重ねてきた二年の差が歴然と存在している。天馬に代わって葉月先輩がウイングに入ったことで、むしろ破壊力はばいしたのだ。


 葉月先輩の変幻自在のプレーにより、敵はあおいきいきになっていた。

 これまで対峙していた天馬と鬼武先輩は、共にごうせい、直線的なプレイヤーである。スピードと切れ味を武器に勝負を仕掛けてきたわけだが、葉月先輩は泥臭い率直なプレーを嫌う。

 相手をあざわらうかのように、緩急をつけて上下左右、自由自在にボールを動かし、これまでとはまったく異なるリズムを右サイドに刻んでいく。加えて、もう一つ、葉月先輩には天馬にはない武器があった。つうていする志向を土台とした、鬼武先輩とのコンビネーションである。

 二人は一年生の夏には前線のレギュラーを摑み、長く攻撃の中心として戦ってきた選手だ。うんの呼吸で右サイドを制圧すると、相乗効果で互いの良さを引き出していく。二人によって次々と送られるクロスから、中央の常陸とリオが立て続けにシュートを放っていた。

 しかし、やはりGKかいどうかずひこじようは簡単には崩せない。

 神がかり的なセービングで、偕成はレッドスワンの逆転を許さなかった。

 葉月先輩が前線に上がってからの十五分で、既に三度は決定的な場面が生まれているものの、あと一歩が遠い。

 惜しいシーンが繰り返される度に、インターハイ予選の悪夢が脳裏をよぎる。

 あの日もそうだった。試合終盤、多くのチャンスを作り出しながら、ゴールを割ることが出来ず、最終的には痛烈な一撃を浴びて沈んでいる。


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