第五話 空蝉の鹿鳴草(6)


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 監督が交代し、新生レッドスワンが始動したのは、もう十四ヵ月も前の話になる。

 就任直後、先生は適性ポジションを考察し直すため、練習試合で多くのコンバートを試していった。今や不動の司令塔となったけいろうさんも、コンバートを経験した一人である。

 圭士朗さんはSBサイドバツク志望だったが、パス精度の高さとキープ力を根拠に、守備的MFミツドフイルダーのボランチへとポジションを変えられた。とはいえ、練習試合では攻撃的MFのトップ下でも試されている。しかし、トップ下は最も削られやすいポジションだ。先生は線の細い圭士朗さんに、僕の二の舞を演じさせないために、最終的にその案を断念していた。

 前回の対戦で、敵は最もフィジカルに優れるどうじようを圭士朗さんのマークにつけている。結果的にその判断が逆転勝利を呼び込んだのだから、今回も同様の作戦を取ってくることは想像にかたくなかった。予想されるマークを圭士朗さんから引きはがすこと。戦術考察はまずそこから始まったわけだが、彼のポジションを一列上げた背景には、堂上との戦いを避ける以上の理由があった。

 圭士朗さんは抜群のキープ力を誇るものの、見ての通り当たりには強くない。では、生来的に華奢なタイプは、フィジカルの弱さをいつまでもこくふく出来ないものなのだろうか。

 ウェイトトレーニングを繰り返し、きんだいを起こすことで選手はフィジカルを作っていく。長年、そういったレジスタンストレーニングには、があると言われてきた。

 筋肉を大きくするにはこうを伴う筋トレが不可欠である。

 筋肉というのは持久力に優れるきんせんと、瞬発力が高いそつきんせんで構成され、負荷が低い内は遅筋が、負荷が高くなると速筋が働く。筋肥大を起こしやすいのは速筋であるため、筋肉を鍛えるには高負荷で鍛えるしかない。だが、高負荷のトレーニングに耐えられる人間は少ないし、成長期の身体では安全性にも不安がつきまとう。

 生来的に線の細いタイプが、きようじんなフィジカルを手に入れるというのは、物理的にも難題だったのである。しかし、近年、低負荷トレーニングでも筋肥大を起こせることが、数々の論文によって発表されてきた。全力を出し切り、肉体を限界まで追い込むことをオールアウトと呼ぶ。低負荷トレーニングを限界まで繰り返し、オールアウトに至ることで、遅筋だけではこたえられなくなった肉体に、速筋の動員という現象が発生することが分かったのだ。

 この新しいメソッドにより、高負荷トレーニングが向かない人間でも、安全かつ平和に筋肥大を起こし、肉体を強化することが出来るようになった。

 インターハイ予選から半年。

 圭士朗さんは身長が一センチ伸び、体重は三キロ増加した。変わらず線は細いものの、肉体は大きく強化されている。百八十三センチ、六十四キロの身体は、決して貧弱なものではない。

 トップ下に入った圭士朗さんは、厳しいショルダーチャージを何度かお見舞いされていたが、以前のように当たり負けはしていない。並の選手に倒されるような鍛え方はしていないのだ。

 だからこそ、最も激しい戦場となる敵のバイタルエリアに僕は圭士朗さんを送り込んだ。

 彼こそがてんおにたけ先輩に続く、レッドスワンの第三の矢だったからだ。

 後半開始と共に、偕成学園は一人の選手交代をおこなっている。鬼武先輩に良いように振り回されていた左SBを、より守備の得意な選手へと代えたのだ。

 しかし、後半開始から三分も経たない内に、再び右サイドの攻防は激化する。圭士朗さんがしつようなまでに右サイドに流れ、ワンタッチのパス交換でげんわくのリズムを刻み始めていた。

 僕は突破に限定して考察するなら、最強の攻めは『ワンツー』だと確信している。

 ワンツーとは、パスを出すと同時にスペースへ走り出し、味方からのワンタッチの折り返しを受けるプレーである。壁パス的なシンプルな攻撃だが、敵は最初のパスに反応してしまったが最後、折り返されたボールには絶対についていけない。

 前半戦、僕が天馬に横パス禁止を厳命したのは、手数を減らすことで、こちらの攻撃パターンを敵の頭の中に固定化するためだった。すべてはこの第三の攻撃のための布石である。

 圭士朗さんが機をうかがいながら右サイドへ走り込み、天馬と鬼武先輩にワンツーのパスを供給し始めたことで、偕成の守備は今度こそ修復不可能な混乱に陥っていく。

 動けないポストプレイヤーなどしよせん、二流である。おとりの動きという意味で、FWフオワード常陸ひたちにはまだまだ改善すべき点が多々ある。一方、圭士朗さんの動きはとうそくみようとしか言いようのないものだった。危険が生まれる瞬間にのみスペースへ現れるため、敵は動きを摑めない。

 圭士朗さんの右サイドへの介入は、完全に手がつけられない一手となっていた。


 やがて偕成学園がろくに対策も打てないまま、その時が訪れる。

 圭士朗さんとのワンツーで敵をかわした天馬が、裏に抜けた鬼武先輩にスルーパスを通す。

 前方にボールをトラップすると、鬼武先輩はペナルティエリアへと突っ込んでいった。

 CBセンターバツクのブロックは間に合わない。鬼武先輩が顔を上げると、ゴール正面に常陸が、左サイドからリオが走り込んでいた。常陸にはCBがついていたが、リオはフリーになっている。

 人間の目は角度のついた動きに弱い。一流のGKゴールキーパーからゴールを奪いたいなら、折り返してのシュートがベストだ。高速で中央に折り返されたボールをダイレクトで叩き込めば、正面をつかない限り、反応される可能性は大幅に減る。

 ペナルティエリアの十分に深い位置まで進入すると、鬼武先輩は中央を見据えながら、大きく左足を踏み込み、クロスのモーションに入る。

 その動きを見て、GKのかいどうが一歩、右足を前へと出した。

 クロスの角度が甘ければ、常陸かリオに渡る前にカットしてしまうつもりなのだ。

 そして、誰もがかたを飲んでその攻防を見守った次の瞬間、鬼武先輩は右足のアウトサイドで、ゴールマウスを見ずに、ニアにシュートを蹴り込んでいた。

 中央へのクロスをケアしようとしていたGKは一歩も動けない。

 わずかな隙間しかなかったGKと右ポストの間をすり抜け、回転のかかった強烈なシュートがゴールネットに突き刺さる。

 後半七分、おにたけしんすけの強烈な一撃で、レッドスワンは同点に追いつく。

 やはり僕の信頼に狂いはない。

 鬼武先輩は間違いなく、今大会、最強のSBだった。


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