第五話 空蝉の鹿鳴草(5)


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 前半の結果だけを見れば、慎重になった僕の判断は間違っていたということになるだろう。

 レッドスワンは〇対一というスコアで、前半終了のホイッスルを聞くことになったからだ。

 敵監督の指示がこうそうし、偕成学園はレッドスワンの右サイドを抑え切ることに成功する。何度かチャンスは作ったが、最後の壁として立ちはだかるGKゴールキーパーかいどうが、すべてのシュートをシャットアウトしてしまった。

「ちくしょう! 地方予選は全試合を無失点で抑えるつもりだったのに! 俺の全国デビューが台無しだ!」

 ドレッシングルームに戻ると同時に、かえではキーパーグローブを壁に投げつける。

 前半三十八分、ワンツーで抜け出した敵MFミツドフイルダーの強烈なシュートを楓は横っ跳びで弾いたが、零れ球を、別のMFに無人のゴールに押し込まれてしまった。どうじようには仕事をさせなかったが、懸念されていた後方からの飛び出しで失点してしまったのだ。

 楓はデビュー以来、公式戦で六試合連続無失点という驚異的な成績を残していた。七試合目にしてついにその記録が途絶えてしまったということになる。

 前回の対戦とは真逆の結果でハーフタイムを迎えたものの、チームの空気は悪くなかった。

 前半戦、チャンスは十分に作れている。偕成に対して、攻撃的なやり方でも引けを取らずに戦えたという事実は、単純に大きな自信に繫がるだろう。

「おい、ゆう! けいろうさんをボランチに戻せよ。バイタルがスカスカでキリがねえ!」

 前半、偕成学園のシュート数は九。その内、五つが枠内に飛び、一つがゴールに繫がった。

 問題は圭士朗さんがいないことだけではない。おにたけ先輩が前線に上がるようになったことで、そのほころびを突かれたのだ。このレベルを相手にするには、だかの経験値が足りていない。加賀屋との一対一では十分な守備を見せているものの、後方からの飛び出しでマークのずれを作られ、敵に幾つかのチャンスを許してしまった。

「圭士朗さんのポジションは変えないよ。今日の目標は打ち勝つことだ」

「俺は一点だってやりたくねえんだよ! 負けたらレッドスワンは廃部だぞ!」

「負けた場合のことを考えるなんて楓らしくないね。あの失点でびびったのか?」

「この俺が恐怖なんて感じるわけねえだろ。頭を卵に叩きつけるぞ!」

「僕は監督にこの試合の指揮を任された時、一つのお願いをした」

 先生はベンチに腰掛けたまま、僕らのやり取りを微笑みながら見つめている。

「偕成に勝てば、決勝は全国ベスト4の美波高校だ。挑戦者として相応しいレベルに達するためにも、チームの課題を確認した上で勝利したい。そういうやり方を取る許可をもらった」

「課題の確認だと?」

「僕はお前に言いたいことが山ほどある。楓の実力があれば、今日の失点は防げたはずなんだ。だけど、お前は失点してしまった。それはGKとしてまだ足りないものがあるからだ。それに気付かない限り、お前はナンバーワンになんてなれやしない」

「てめえ、このに及んで俺に喧嘩を売っているのか?」

 ハーフタイムはわずかに十分だ。

 楓の相手だけで時間を使うわけにはいかない。穂高にも向き直る。

「このレベルを相手に、ボランチの助けがない状態で立ち回る経験を、穂高に積んで欲しかった。いつも周囲がサポート出来るわけじゃない。全国でもCBセンターバツクを務めたいなら、流動的な攻撃に一人でも対処出来るようにならなきゃならない」

「……優雅ってさ」

 穂高がぽつりと呟く。

「大人しそうな顔をしているくせに、結構、大胆なことするよな。負けたら終わりなのに、冒険するんだもん」

「取られた分だけ取り返せる自信があるからだよ。そう確信出来るだけの戦術を練ってきた」

「指揮する奴は、そのくらいの気持ちでいてくれなきゃ困るさ」

 キャプテンのおりが僕の肩に手を置いた。

「で、後半はどう戦うんだ? 何か考えがあったから次の作戦を待ったんだろ?」

「今日の戦いで一番避けたかったのは、ハーフタイムに対策を立てられることだった。前半は主導権を握り始めた時点で残り時間が少なくなっていたしね。次の手をさらすのは意図的に待ったんだ」

「つまり、俺は後半の頭から仕掛けて良いってことだな?」

 口を開いたのは、本日、トップ下を務める圭士朗さん。

「ああ。一点ビハインドの状況だ。後半の頭から全開で行こう。てん、スタミナは残ってるか? この作戦を続けるには、まだお前の力が必要だ」

「行けるに決まってるでしょ」

 前半戦で誰よりもしようもうしたはずなのに、天馬はいつもの強気な眼差しで吐き捨てる。

「俺なんかより鬼武先輩を心配したらどうっすか? 十回以上駆け上がってたんだから」

「先輩はこの程度のスプリントで、ばてるようなきたえ方はしていないよ」

「はいはい。どうせ俺は体力がないですよ」

 軽口を叩きながらも、天馬の目には強い意志の火がともっていた。序盤戦、僕らは一年生の彼に、捨て石となる働きを求めている。彼の働きを無駄にしないためにも、後半はよりハードに戦わねばならない。

「世怜奈先生。後半も作戦通りに進めて良いですか?」

 僕の質問に対し、彼女はいつもの緊張感のない顔で笑って見せた。

「好きなようにやりなさい。君のことを信じてなきゃ、初めからこんなことは任せない」

 預けられた信頼を誇りに変えて、僕らは後半のピッチへと向かう。


 現在のスコアは〇対一。

 ここまでは最少スコアだが、このゲームが大人しい結末を迎えることはないだろう。


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