第五話 空蝉の鹿鳴草(4)


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 時間と共に、偕成学園の攻勢が激しさを増していた。

 おりどうじように仕事をさせていないし、だかもマーク相手のを抑えている。しかし、穂高にはまだCBセンターバツクとしての経験値が絶対的に足りていない。二列目の飛び出しに上手く対応出来ないせいで、敵の中盤の選手にシュートに持ち込まれるシーンが増えていた。

 普段のゲームであれば、守備的MFミツドフイルダーけいろうさんが、敵の飛び出しを潰してくれる。ところが今日のゲームでは、そのフォローに頼れない。

 飛び込んできた敵に穂高がマークにつききれず、鋭いシュートがゴールマウスを襲った。

 回転のかかったシュートを、全身のバネを使って枠外に弾き飛ばし、かえでが叫ぶ。

「穂高! 好きにやれ! 後ろには俺様がいるからな!」

「悪い。次は止める」

 左手を上げて謝罪した穂高の手の平に、楓はキーパーグローブの拳を叩き込む。

「気にするな。たまにシュートが飛んでくるくらいで丁度良い! 暇で眠っちまうからな!」

 もりこし先輩に対してはピンチの度に激昂していたくせに、まったく現金な奴だった。

 試合前にあずさちゃんが言っていた通り、今日の楓の集中力は凄まじいものがある。飛び出しも、ハイボールの処理も、ポジショニングも、ここまでは完璧と言って良い。だが、このまま押される展開が続けば、いかに楓と言えどゴールを割られてしまうかもしれない。

 ここまでレッドスワンの攻撃は、右サイドのてんのドリブルに限定されていた。そして、ダブルマークによって手詰まりにおちいった結果、彼はボールロストマシーンと化している。

 それでも、丸裸にされるまでちよくな攻撃を繰り返させたことには、明確な意味があった。


 前半二十二分、次の作戦へ移るよう、ピッチに指示を送る。

 ベンチからのサインを受け、孤軍奮闘していた天馬に、ようやく援護が加わった。

 右SBサイドバツクおにたけ先輩が、前線への攻め上がりを解禁したのである。

 押し込まれている状況で鬼武先輩を前線に上げるのは賭けだろう。それでも、リスクを負ってでも右サイドの攻めに厚みを持たせることが、僕らの攻撃の第二段階だった。

 さかきばらかえできりはらおりは、大会ナンバーワンGKゴールキーパーとCBの最有力候補である。だが、レッドスワンがようする武器は、楓や伊織だけじゃない。おにたけしんすけしろさきづき、このレベルの選手を両SBに配置するチームは、全国を見たってほとんど存在しないはずだ。

 中央でボールを処理した圭士朗さんから、右サイドの天馬に柔らかいパスが届く。

 敵の対応は素早かった。これまで同様、ダブルマークによってドリブルのコースが消され、天馬はあっという間に手詰まりに陥る。けれど、次の瞬間には盤面が変わっていた。

 後方から鬼武先輩が猛烈なダッシュを見せ、天馬を一気に追い越していったのだ。突然の攻め上がりに、敵のSBは一瞬、躊躇いを見せたものの、すぐに鬼武先輩を追いかけ始める。

 完璧に不意を突かれたとはいえ、さすがの対応と言えた。鬼武先輩を無視すれば、天馬からのスルーパスが入り、フリーになった先輩はそのまま敵陣へと突進出来る。

 しかし、そんな敵の対応こそが天馬のずっと願っていた状況だった。前方の選手が自分からマークを外し、ドリブルのためのスペースがようやく現れる。身体を前に倒すと、ふんの表情を浮かべたままギアを入れる。一瞬でトップスピードに達した天馬は、中央側をケアしていたサイドハーフを無理やりぶっちぎり、鬼武先輩が作ってくれたスペースを疾走していく。

 右サイドを独走し、ペナルティエリアの脇まで進入すると、天馬は顔を上げる。

 中に走り込んでいるのは二人。FWフオワード常陸ひたちと、左サイドでふらふらし続けていたリオだ。

 右利きの二人は、右サイドから送られてきたボールに、利き足で合わせることが出来る。

 レフティの天馬が右足で送るクロスは、精度こそ微妙だったものの、中央に走り込んだ常陸とリオのスケール感もあり、あと一歩というシーンを作り出すことに成功する。

 ゲーム開始から二十分強、ようやくレッドスワンにも決定機が生まれたのだ。


 チャンスシーンの演出は、得点が決まらずともゲームの流れを変える。

 立て続けにレッドスワンは右サイドからの攻撃を仕掛けていった。

 ウイングの天馬と、それをサポートするSBの鬼武先輩。二人の連動を説明するのは簡単だが、鬼武先輩が見せたプレーは、並の選手には真似出来ないものだ。

 絶対条件としてスピードが必要だし、守備をおこたらないために、長い距離の上下動を繰り返すスタミナも要求される。加えて、クロスの精度も、ドリブルの技能も必要とされる。しかし、鬼武先輩ならそれが出来るのだ。

 五十人以上が入部した学年にあってナンバーワンの実力を誇り、一年次からFWのレギュラーを摑んだ鬼武先輩は、すべての能力を高いクオリティで保持している。その上でサッカー選手として必要な知性もあった。

 この攻撃で最も重要なのは、天馬を追い越すタイミングである。攻め上がりが早過ぎればDFデイフエンスラインを下げてしまい、天馬のドリブルコースを消してしまう。かと言ってフォローが遅れれば、一対二になった天馬が潰されてしまう。何度でも天馬を追い越して裏に抜け出す鬼武先輩の攻めに、敵のSBはがんめんそうはくになっていた。

 鬼武先輩と天馬が上げたクロスに対し、常陸とリオがヘディングシュートを一度ずつ放ち、わずかな間にレッドスワンは敵ゴールに何度も迫る。適切なボールが配給され続ける限り、常陸とリオの高さは手に負えなくなる。

 偕成のGK、かいどうの好セーブに阻まれ、ゴールこそ割れなかったものの、ゲームの流れは明らかにレッドスワンへと傾いていた。

「サイドハーフとボランチで23番を抑えろ! SBは中にしぼらなくて良い!」

 偕成ベンチよりフィールドに指示が飛ぶ。

 守備のチームであるレッドスワンに先制点を奪われるとやつかいなことになる。インターハイ予選のてつは踏まない。そういう意識がはっきりと感じられた。

 敵監督はむきになって打ち合いに出ず、右サイドの守備の人数を増やすという対応策を取ってきた。タフな鬼武先輩といえど、あれだけの上下動を最後まで繰り返せるはずがない。敵の勢いを止めることで、引き寄せられる流れもある。実に現実的な方策と言えるだろう。


 冷たいしもつきの風が、首に巻かれたネックウォーマーを撫ぜていく。

 さんのプレゼントのお陰で、必要以上の寒さを感じずに戦うことが出来ていた。

 二人で対応すれば天馬は問題なく抑えられる。そう認識させた後で鬼武先輩が攻め上がりに加われば、必ず右サイドの守備に人数が追加されるだろう。僕は初めからそう予測していたし、実際、ほぼ計算通りに盤面は展開している。しかし、問題は次の一手だ。

 準備してきた第三の攻撃を使うべき時を、慎重に見極めなければならない。やみくもに仕掛けたのでは、せっかくの効果的な攻撃も威力が半減してしまう。

 目まぐるしい攻防を見つめながら、僕はそのカードを切るべき時を待っていた。


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