第五話 空蝉の鹿鳴草

第五話 空蝉の鹿鳴草(1)


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 準決勝、かいせい学園との決戦は、もう明日に迫っていた。

「サッカーのフィールドがしようばんだったら、もう少しシステマチックに考察出来たのにな」

 お昼休みを利用して、けいろうさんと二人で戦術確認の詰めをおこなっていく。

 この数ヵ月で大きな成長を遂げたとはいえ、レギュラー陣の実力も選手層も、偕成やなみの方が上だろう。だからこそ、知性という武器を使い、最後まで考え続ける必要がある。当面の目標は敵を術中にはめることだが、相手を思い通りに誘導するのは、弱点を突くより遥かに難しい。選手は将棋のこまのように決められた動きをしてくれるわけではないからだ。

 前回の対戦で、圭士朗さんには後半の頭からマンマークがついていた。守備的MFミツドフイルダーのボランチとして心臓部に構え、攻撃ではタクトを振り、守備ではバイタルエリアを制圧する。そんな圭士朗さんの影響力の高さを見て取り、敵監督はマンマークをつけてきた。

 あの日、偕成に敗北した最大の要因が、圭士朗さんの負傷退場にあることは間違いない。彼を失った途端、レッドスワンはバランスを失い、あっという間に逆転を許してしまった。

 明日も偕成は試合の頭から、こちらの司令塔を徹底的に潰そうとしてくるだろう。しかし、僕はむしろそこに突破口があると見ていた。初めて戦う敵が怖いのは、何を仕掛けてくるか読めないからである。意表を突かれるから動転し、混乱によって思わぬミスを犯してしまう。

 敵が圭士朗さんに対して用意してくるだろう対策を、こちらがりようすれば良いのだ。


 起こり得る状況をれつしていたら、携帯電話がメールの着信を告げた。

『今、何処にいる?』

 戦術確認に夢中だったこともあるだろう。質問された理由も考えずに現在地を伝え、再び話に戻る。そして、メールの返信から五分が経った頃……。

ゆう君」

 名前を呼ばれ、振り返ったところで自らの想像力の貧困さに気付く。

 先ほどのメールの送り主はさんだった。所在地を尋ねられたのだから、彼女が会いに来ることは容易に想像出来たはずなのに、話に夢中でまったく考えもしなかった。

 ここは二階、ドリンク売り場に併設された休憩所である。飲み物を買った際に覗いたらほかに人がいなかったので、部室へ行くのを止め、僕らはここで作戦会議を始めていた。

「あれ、圭士朗さん……」

 幾ら本人がつくろおうとしても、流れてしまった気まずい空気は誤魔化せない。

 圭士朗さんは理系だから校舎も違う。告白を断って以降、会う機会があったとも思えない。突然の再会に、真扶由さんが戸惑うのも無理のない話だった。

 真扶由さんと付き合い始めてからも、僕と圭士朗さんの関係には変化が生じていない。気まずくなったりもしていないし、彼が僕に悪感情を抱くようになったということもない。

 変わったことといえば一つだけ。話題として真扶由さんの名前が出なくなったことくらいだ。気付けば、僕らはどちらからともなく彼女の話題を避けるようになっていた。

「席を外すよ」

 動揺する真扶由さんの姿を見て取り、圭士朗さんが立ち上がる。

「ごめん。作戦会議をしていたんでしょ? 私が後にするよ」

「遠慮しなくて良い。教室じゃ話せないことがあったから昼休みを選んだんだろ」

「でも、二人は明日の相談をしていたんじゃないの?」

 真扶由さんはテーブルの上に散乱したメモに目を落とす。試合に備えて動線を視覚化するため、僕らは戦術パターンを紙に書き出して話を進めていた。

「この一週間、優雅君は放課後、一分一秒を争うようにグラウンドに向かっていた。それって今がとても大切な時期だからだよね。邪魔をしたくないの。お昼休みの内に渡したい物があったんだけど、教室の椅子の上に置いておこうと思う。戻ったら確認してみて」

「いや、せっかく来たんだ。直接、顔を見て渡したら良い」

 口早に告げると、返事も待たずに圭士朗さんは休憩スペースから立ち去ってしまった。

 気をかせてくれたのは分かるが、僕らにとっては圭士朗さんも大切な友人である。言葉では上手く説明出来ない微妙な状況を、単純に消化することは出来なかった。

「渡したい物って何?」

「明日、偕成学園との試合でしょ?」

「覚えててくれたんだ」

「あんなに悔しい気持ちになったことってなかった。ずっと気にしていた試合だもの。いよいよリベンジの時がきたんだね」

 彼女と付き合い始めて、もうすぐ二ヵ月が経つ。けれど、サッカー部の命運を決める大会のただなかということもあり、クジラを見に行って以降、ほとんど話さえ出来ていなかった。

 今大会で優勝出来なければサッカー部は廃部になってしまう。そんな事情を僕は彼女に伝えていない。が話しているかも分からない。ただ、僕らがじんじようならざる覚悟を抱えて戦いに挑んでいることを、真扶由さんは十分に察しているようだった。

「週末からかんが押し寄せるって聞いて、何か出来ることはないか考えていたの。出場しない優雅君は、絶対に身体が冷えるだろうなって思ったから。それで、これを見つけて……」

 後ろ手に持っていた紙袋から、真扶由さんが取り出したのは……。

「ネックウォーマー?」

「最初は自分で編んでみようかと思ったんだけどね。彼女って言っても試験的なものだし、重たいプレゼントになっても嫌だから、普通にお店で買うことにしました」

「ありがとう。プロでも着用している選手がいるし、欲しいなって思ったことあるんだよね」

「音楽室から確認していたから、優雅君が持っていないことは分かってた。喜んでもらいたかったから、きちんとリサーチしました」

「そっか。びっくりしたけど、早速、使わせてもらうよ。この時期の試合は寒くてこたえるんだ。助かる。……真扶由さんは明日も部活?」

「うん。午後から大会の練習」

 明日の試合は、僕が采配を振ることになる。

 可能ならば彼女にも見て欲しかった。そんなことを思ってしまう自分の心が不思議だった。

 僕には両親がいない。足の悪いおちゃんが試合を観戦に来たこともない。自分の試合を誰かに見て欲しいなんて思ったのは、もしかしたら初めてのことかもしれなかった。

「明日もサッカー部が勝てば、決勝は観戦が振替授業になるって顧問が言ってた。決勝の舞台はビッグスワンだったよね。私、実は一度も行ったことがないの」

 そうか。意識していなかったけれど、決勝戦は全校生徒が見に来るのか。

 確かに決勝には毎年、それぞれの学校の生徒がスタンドに詰めかけていた気がする。

 興味のない生徒からすれば、寒空の下、土曜日に駆り出されるなんて迷惑この上ない話だろう。しかし、真扶由さんのようにその時を楽しみに待ってくれている生徒だっている。

 僕らは誰かのために戦ってきたわけじゃない。それでも、決勝戦では、そういう気持ちを背負うことになるのだろうか。答えはその時になるまで分からないけれど、まずは明日、偕成学園を倒さないことには、どんな物語も始まらない。

 レッドスワンの存亡を賭けた戦いは、残り二試合だ。


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