第四話 夢幻の白鯨(4)ー2


 その日、おこなわれた三回戦。

 僕らは結局、四対〇というスコアで完勝することになった。

 攻めに人数をかけていないにも関わらず、複数の得点を取れたことは自信に繫がるはずだ。楓がいない状態で、クリーンシートを達成出来たことも同様である。

 目の下に隈を作っていた天馬も、早速、途中出場でゴールという結果を残していた。

 中学時代、王様のようにプレーしてきたへいがいだろう。天馬はチームのために走るという意識がはくであり、体力もないため、とにかく守備をさぼるきらいがあった。当然、守備陣からは大ブーイングが飛んでいたし、練習試合の後でいつしよくそくはつの事態を迎えたことも記憶に新しい。

 それでも、世怜奈先生はこの短い期間で、問題児の意識を変革することに成功していた。攻撃力を生かすためにこそ守備に戻るべきだと、天馬を納得させたのだ。

 サッカーにはオフサイドという待ち伏せ禁止のルールが存在している。それ故に敵が攻撃している際にボールより前にいたのでは、攻守が切り替わっても、多くの場合、立ち止まった状態でパスを受けることになってしまう。それでは天馬の長所であるアジリティが殺されてしまうのだ。しかし、ボールよりも後ろに戻っていれば、攻撃に転じた瞬間、勢い良く前方に走り出し、スピードに乗った状態でパスを受けられる。

 期待されている攻撃力を生かすためにも、天馬には守備に戻る必要があった。そして、デビュー戦でのゴールは、彼の特徴を生かせた証拠でもある。

 本日、新たなるスタートを切ったのは、天馬だけではない。

「優雅! 俺の例のアレどうだった?」

「例のアレ?」

「決まってんだろ。新作戦だよ!」

 ドレッシングルームに戻るなり、だかとした顔で尋ねてきた。

 九月末日に穂高はあるちんじようを監督におこなっている。約一ヵ月を準備に費やし、今日のゲームの後半途中から、それは実戦に初投入された。

「敵との実力差があったから断定は出来ないけど、きゆうだいてんには達していたと思う」

「九十点なら、まあまあだな! 自分でも結構良かったと思ったんだよ!」

 穂高にも通じる言葉で喋るべきだったが、大体の意味は伝わっているし良いだろうか。

「後で穂高のプレーを集めて編集してみるよ。ポジショニングを一緒に再確認しよう」

「ああ、頼むぜ! 四回戦も頑張るからさ!」

 じようげんのまま笑顔で告げると、穂高は楓とリオの下へと走っていった。

 新しい戦い方でも公式戦で結果が出ている。

 もう疑いの余地はないだろう。僕らは間違いなく強いのだ。

 世怜奈先生が築き上げた明確なコンセプトの下、レッドスワンは科学的に正しい修練を積み、必要な能力値を必要なところまで上げている。全国の何処を見回しても、僕らより頭を使って練習してきたチームは存在しないはずだ。胸を張ってそう断言出来るだけの一年間だった。


 十月三十一日、土曜日。

 正GKの楓が復帰した状態で、レッドスワンは四回戦に挑む。

 その試合で僕は、ウォームアップを始める前に、衝撃的なシーンを目にすることになった。

 幾つも用意された応援弾幕の中の一つ『魅せてくれ! ガラスのファンタジスタ!』なる弾幕をフェンスに掲げていた人物に、見覚えがあったのだ。

 四回戦を二対〇で勝利した後、世怜奈先生が一人になったタイミングで近付く。

「先生、ちょっと聞きたいことがあるんですけど良いですか」

「どうしたの? 何だか怖い顔をしてるけど」

「弾幕をセットしていた人たちの中に、見覚えのある顔があったんです」

 機械仕掛けの人形のように、世怜奈先生は顔を水平に動かして視線を逸らす。

「あれ、陽凪乃さんとはるちゃんですよね? どうして先生のいとこが、ガラスのファンタジスタをあおる弾幕を用意していたんですか? きちんと説明して下さい」

 陽凪乃さんは先生の五つ年下のいとこで、陽愛ちゃんは七歳になる陽凪乃さんの妹である。データを重視する先生に協力を求められ、サッカー経験者の陽凪乃さんは、試合ごとの解析に力を貸してくれていた。とはいえ陽凪乃さんが応援弾幕を掲げる理由などないはずである。

「世間に注目を浴びること、僕が嫌がっているって知っていますよね?」

「……陽凪乃の奴、見つかるなって言ったのに」

 悪戯をとがめられる子どものように、先生は口をとがらせていた。

「やっぱり先生が裏で手を引いていたんですね。どういうことか説明して下さい」

「前も言ったじゃん。フェイクは露骨なくらいで丁度良いんだって。あれだけ派手な弾幕を見せられたら、どんなチームも優雅の情報集めに時間をく。敵に無駄な準備をさせることは、こちらが適切な準備をおこなうことと同じ価値があるの」

「だからって、あんな物を……。あれ、確か最初に弾幕が現れたのは、インターハイ予選の県総体でしたよね。まさか、あの頃から先生が仕組んでいたんですか?」

「優雅の人気に火をつけたのは世間だったと思うよ。そりゃ、ちょっとは油を注いだけど」

「先生、悪いと思ってないですよね?」

「この度のぎわまことかんであり、ざんねんえません」

 確信犯というのは性質が悪い。ものすごい棒読み口調だった。

「もう十分に火はついたんだから、陽凪乃さんにあんな仕事を頼むのは止めて下さい。ただでさえ毎試合、面倒な解析をお願いしているのに、申し訳なさ過ぎます」

 素直な気持ちを告げると、世怜奈先生は曖昧に笑って見せた。

「一つ、勘違いがあるかな。最初に手伝いたいって言ってきたのは陽凪乃なんだよね。私がサッカー部の監督をやるって聞いて、興味を持ったみたい。あの子の事情は少し特殊でさ。昔、ちょっとした事件があって、それ以来、ほとんど外出出来なくなってしまったの」

 舞原家はゆいしよ正しき東日本有数の旧家である。世怜奈先生の母親は本家の血統筋という話だ。いとこの陽凪乃さんもまた、何不自由ない暮らしを送ってきたと推測される。しかし、そんな人間であっても幸せになるというのは簡単なことではないのだろうか。

「小学校に上がる前からクラブチームに入るくらい、サッカーが大好きだったのにね。陽凪乃はもう随分と長くボールにも触っていなかった。そんな陽凪乃がレッドスワンに勇気をもらって、観戦にまで来るようになったんだよ。サッカーにはさ、人を笑顔にする力があるの」

「……僕たちを手伝うことを、陽凪乃さんは負担に感じていないってことですか?」

「あの子はレッドスワンのことを本当に好きになったんだと思う。試合も凄く楽しみにしてる。同じサポート役でも、吐季の方は本気で死ぬまでの暇潰しくらいに思ってそうだけどさ」

 もう一試合勝てば、次はいよいよ僕が指揮を執る偕成戦である。

 準決勝も陽凪乃さんは観に来てくれるだろうか。


 続く準々決勝は、同じシードチームとの対戦となった。

 文化の日に開催された準々決勝の相手は、これまでの相手とは一線をかくす強敵だったものの、相手が強くなければ本当の実力は測れない。それまでの試合では表面的にしか見えていなかったチームの力を、僕はたりにすることになった。さかきばらかえでという恐らく大会ナンバーワンのGKを擁しながら、レッドスワンは敵に枠内シュートを一本も打たせなかったのだ。

 楓に仕事をさせるまでもない状態で、チームは二対〇というスコアの勝利を手にする。

 それは、再び偕成学園への挑戦権を手に入れた瞬間でもあった。

 レッドスワンは二年連続でインターハイ予選の準決勝にて、偕成学園に敗北している。

 待望し続けたリベンジの時が、目前に迫っていた。


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