第四話 夢幻の白鯨(4)ー1


             4


 十月二十四日、土曜日。

 選手権予選の三回戦がついにやってきた。

 僕らの試合は本日の二試合目、十三時キックオフである。一試合目の勝者は次週、二試合目の勝者と対戦することになる。勝ち上がったチームがていさつのために会場に残ったのは予想通りだが、それだけでは説明出来ない数の観客がスタンドに詰めかけていた。

 片側にしかスタンドがない小さな競技場が、満員の観客で埋まっている。

 どう見てもマスコミとしか思えない一団も、スタンドの最前席に陣取っていた。

 インターハイ予選で浴びた注目も凄まじかったけれど、五ヵ月が経ち、より拍車がかかったように思える。

「おい。ゴミ王子」

 づき先輩のウォームアップを手伝っていたら、かえでが背中にボールをぶつけてきた。

ざわりだから、あのだんまくを燃やして来いよ」

 先生が世間の注目を浴びるのは別に良いのだ。そもそもこのムーブメントは、サッカー部の廃部を阻止するために、いとこのまいばらさんとさんを使って、先生が作り上げたものである。プライベートがしんしよくされようとごうとくでしかない。

 しかし、僕の場合は違う。コーチとして世怜奈先生の隣にいたせいで、多くの写真に共に写ってしまい、望まぬ注目を浴びることになってしまった。

「自分でやれよ。スタンドじゃ暇だろ。どうせ試合なんて見ていないんだから」

「ふざけんな。てめえ、喧嘩売ってんのか?」

 マスクの下の鼻をすすりながら、楓は軽く僕を蹴ってきた。

 スタンドの一角に群れをなす若い女性たちの背後に、派手な弾幕が幾つも張られている。

せてくれ! ガラスのファンタジスタ!』

『完全燃焼! 王子! たかつきゆう!』

『ア・イ・シ・テ・ル・優雅様!』

 もう、ここまでくると、あらのいじめなんじゃないかと思う。

 一体、何が彼女たちを駆り立てるんだろう。僕はアイドルじゃない。そもそも彼女たちは、僕のプレーなんて一度だって直接見たことはないはずだ。

 今大会でも僕にはエースナンバーの10番が与えられている。

 世怜奈先生はメディアに僕の怪我を公表していない。それどころか調子を問われる度に「絶好調過ぎて怖い」とか「恐るべき進化を遂げている」などと有りもしない事実をふいちようしていた。

 わざわざ不利な情報をさらすことはない。利用出来るものは利用すれば良いとも思う。心理戦を好む先生のやり方に不満はないものの、現実問題としてこういった問題も発生する。

 僕のプレーを見るために集まった観客の期待は、すべてが失望へと変わるだろう。身勝手な期待に応える義理などないとはいえ、わざわざ会場まで足を運んでくれた大多数の観客に対し、罪悪感を覚えないのかと言われれば、さすがにそんなことはなかった。

「モ・エ・ツ・キ・テ・キ・エ・ロ・優雅様」

 目の前の試合に集中したいのに、楓は楓で今日も死ぬほど鬱陶しい。

「おい、病人。ベンチに雑誌を置いていくな。さっさとスタンドに消えろ」

 サッカー雑誌を手におりが現れる。

「うるせえよ。俺に命令するな」

 反射的に言い返した楓の胸に、伊織は手にしていた雑誌を押しつけた。

「良いか。てめえを許すのは今回だけだ。もしも来週、また下らない理由で離脱してみろ。その時は本気でぶちのめす」

「は! やってみろよ! 俺とお前が本気でやりあったら、どちらかが死ぬことになるぜ?」

 何でこいつは格闘漫画の主人公みたいなことを言っているんだろう。

 まったくもって反省しない馬鹿というのは困った生き物である。三日前のお昼休み、三馬鹿トリオは屋上で水風船をぶつけ合うという遊びを繰り広げている。十月下旬の屋外でびしょ濡れになって遊び続けた楓は、完璧に風邪を引き、昨日まで三十九度を超える熱を出して寝込んでいた。

 三回戦のGKゴールキーパーおうろうに務めさせる。大人しく家で休めという命令が下ったのに、もう治ったと言い張り、楓は先発するつもりで会場へとやって来た。

 今大会では事前登録された選手の中から、二十名が当日に出場選手としてしんせいされる。レッドスワンの男子部員は僕を入れると二十三名のため、当日、三名が外れることになる。楓は出場出来ると言い張ったが、先生に取り合ってもらえず、あっさりとベンチ外のき目にあっていた。

 スタンド観戦で残りの部員に風邪をうつされても迷惑だ。さっさと帰れば良いのに、ものにされたようで面白くないのだろう。何かと理由を見つけては部員たちに絡んでいる。

 スタンドから届く黄色い声援とシャッター音、楓から向けられる心底どうでも良いしつ、僕は目の前の事態に集中することさえ難しい状況に追いやられていたものの、部員たちは程よい緊張感と共にウォームアップの汗を流していた。

 デビュー戦を前に昨日は眠れなかったのか、てんは目の下にくまを作っている。しかし、それ以外のメンバーには特に気負った様子も感じられない。

 央二朗には申し訳ないが、楓の離脱でチームの意識が引き締まったことも事実だ。

 本日の相手は春先に練習試合を経験しているチームである。その試合で僕らは五対〇という圧勝を飾ったし、負けるかもしれないと思っている選手はいないはずだ。

 しかし、まんしんしている時に足をすくわれるのがサッカーという競技である。

 彼らはこの組み合わせが決まった時から、シード校を倒すために作戦を練ってきたはずだ。


 キックオフ前に全員で円陣を組むというのが、伊織の決めたチームのルールである。

 ウォームアップが終わり、監督、マネージャー、控え選手、全員で肩を組んでいく。

「全員で今一度、思い出そう。この大会で敗退した瞬間に、レッドスワンは廃部になる」

 仲間たちを伊織がそのよく通る声でしていく。

「俺たちの目標は圧勝することでも、良いサッカーをすることでもない。観客やマスコミに何を思われても関係ない。勝利のために積み重ねてきたことを思い出せ。楓の欠場にも、歓声にも惑わされるな。最後まで自分たちのやり方を貫き通す。行くぞ!」

 伊織の声に仲間たちの想いが重なり、先発メンバーがフィールドへと入っていった。

 僕には子どもの頃から、テレビで試合を観る度に不思議に思うことがある。それは、監督や選手、解説者が口にする『自分たちのサッカー』という言葉だった。

 サッカーほど広範囲を流動的に動き続けるスポーツは存在しない。チーム戦術を言葉で完璧に定義するなんて不可能だし、定義出来ない概念に実態が存在するとも思えない。どうして多くの人間が、口々に抽象的なことを言うのか不思議だった。

 しかし、今ならば分かる。明確な方針をチームが共有している時、そこに存在するのは、やはり『自分たちのサッカー』としか形容出来ない何かなのだ。レッドスワンのサッカーは、徹底的に守備に重きを置き、とにかく失点を避けるサッカーである。トーナメントではゴールを割られない限り負けることはない。守り切れるチームが一番強い。

 リスクをおかすのはレッドスワンのサッカーじゃない。地味なゲームで構わない。観客が退屈でも関係ない。作り上げたのは一点を守り切れるチームである。


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