第四話 夢幻の白鯨(1)ー2


 ガラスの壁とアクアウォールが広がるメインエントランスには、れかけの観葉植物が並んでいた。吐季さんは本当に管理人の務めを果たしているのだろうか……。

「上がれよ。この紅茶を二人に飲ませてやれって、世怜奈さんに言われてる」

 届け物を渡すと、部屋に上がるよう促された。

 僕らが話を聞きやすいよう、先生がせきを打ってくれていたらしい。

 吐季さんの自宅は驚くほどにさつぷうけいだった。これだけせんれんされたマンションだというのに、ほとんど家具すらなく、無駄に広大なスペースが広がっている。吐季さんは美しさを突き詰めて、じようぶつをすべて排除したような容姿の人だ。その生き方も同様なのかもしれない。

 リビングに案内され、れてもらった紅茶に口をつける。

「世怜奈先生に吐季さんの昔の話を聞きました。中学二年生の時、球技大会で上級生のチームをすべて倒して優勝したことがあるって。意外でした。子どもの頃は学校行事に真面目に参加していたんですね」

「まさか。普通に休むつもりだったのに、クラスメイトに取引を提示されたんだよ。もしも優勝出来たら、年度末まで掃除を代わる。だから、真剣にやって欲しいって」

「そうだったんですね。先生は吐季さんが本気でプレーしているようには見えなかったと言っていました。どうやって自分たちよりじゆんたくな戦力をようする敵を倒していったんですか?」

「そんなことを聞いてどうするんだ? サッカーのことは、お前らの方が詳しいだろ」

「今回の選手権予選、順当に勝ち上がれた場合、また準決勝で偕成と当たります。その指揮を先生に任されたんです。自分は決勝で当たるだろう美波対策に集中したいからって」

 吐季さんは呆れたように嘆息する。

「生徒に指揮を任せて、決勝に残れなかったら笑い話にもならないな」

「本当にそう思います。それで、色々と考えてはいるんですが、これだっていうアイデアが見つからなくて。吐季さんの話を聞いて、参考に出来たらって思ったんです」

「そういうことか。わざわざ生徒に届けさせるなんて言うから、変だと思ったんだ」

 小さく溜息をついてから、吐季さんはおつくうそうに思い出話を始める。

「俺は相手の動きをしようあくするために、弱点をしつように攻めるよう、チームの意識を徹底させただけだよ。素人にとってサッカーが難しいのは、盤面の状況が整理出来ないからだ。敵も味方も何処に動くか分からない。そのせいで自分が位置すべき場所の判断もつかない。だから、それを整理出来る状況を作った。弱点を攻められ続けたら、お前ならどうする?」

「対策を打ちます。その場所の守備の枚数を増やすか、信頼出来る選手をコンバートするか」

「だろうな。そんなことは誰の目にも自明だ。ということは、その瞬間から敵の動きを予測出来るということだ。予測し得るパターンに対して準備を整えていれば、迷う必要がない。味方の動きが決まることで連動も容易になる。盤面さえ整理出来れば、あとは身体能力の問題だ。サッカー部でなくとも運動神経の良い奴はいるからな。十分に勝負は挑める」

 吐季さんは淡々と語ったが、実際はそんなに簡単な話ではなかったはずである。しかし、吐季さんはそれを実行に移し、実際に成功させて見せた。

「対戦相手の弱点を毎回見つけられるわけじゃないですよね。球技大会じゃ、十分に敵を視察する時間があったとも思えません。相手に弱点がなかったら、どうするんですか?」

「それは偕成の話か? インターハイ予選を観ただけだが、確かに目立つような弱点はなかったかもしれないな。だが、そんなものはまつな問題だ。敵の弱点を突くというのは、この話の本質じゃない。重要なのは敵にそこをケアしなければならないと思わせることだ」

「……思考を誘導することが、最大の目的ということでしょうか?」

「最大じゃない。唯一の目的だ。イニシアチブさえ握ってしまえば、事象は手の平の上で転がる。能力のない奴に達成し得ない理想を要求しても意味がない。物事を複雑にするのは愚者の悪い癖だ。ぶんそうおうをわきまえさせて戦わせること、それこそがへいこうの取れたやり方だ」

 吐季さんの言葉は冷たいが、要するにチームメイトの実力を見極め、それに見合った作戦を立てたということだろう。彼にはそれが出来る選定眼があった。

 相手の動きを限定するために攻撃を仕掛け、意図した戦場に誘導することで主導権を握る。そんな戦術、考えたことすらなかった。今年度の偕成学園を視察したビデオが、手元には何試合分もある。三回戦が始まれば直前のチーム状態も分かるだろう。おぼろげながら見えてきたかもしれない。はいを舐めさせられ続けた相手に、今度こそ僕らはリベンジを……。


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