第四話 夢幻の白鯨

第四話 夢幻の白鯨(1)ー1


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『準決勝の指揮をゆうに任せても良いかな』

 先生より新たな指令を受けてから、早いものでもう一週間が過ぎていた。

 この三年間、かいせい学園はなみ高校に勝っていない。当初、僕は美波対策を任されるよりは簡単だと考えたのだけれど、すぐにこれがとてつもない難題であると気付くことになった。

 美波高校には分かりやすい特徴があるが、偕成学園にはこれといった特徴がない。攻守にバランス良く選手をそろえており、特筆すべき長所がない代わりに弱点もないのだ。

 オーソドックスに強いというのは、挑戦者からすると本当にやつかいだった。


「優雅、、今日はおつかいを頼むわ。これをに届けて欲しい」

 放課後、部活前のミーティングで世怜奈先生の下に出向くと、新入部員であるてんのパーソナルデータと、プレゼント包装がされた小包を渡された。

「吐季って食事に関心がないから、放っておくと水分もとらないんだよね。でも、紅茶なら自分でもれるの。それで弟がイギリス旅行のお土産に買ってきたってわけ」

 世怜奈先生に弟がいたというのは初耳だった。彼女のゆうほんぽうな感じは、一人っ子ゆえなのだと思っていただけに、意外と言えば意外である。

 まいばらさんは部員の個別フィジカルトレーニングを管理する、世怜奈先生のいとこだ。引きこもりらしく、無駄に時間があるのだからと、去年から無理やり手伝わされている。

「優雅、今、行き詰まっているでしょ。吐季と話すとヒントが摑めるかもしれないよ。吐季ってさ、まあ、所謂いわゆる一つの天才なの。あらゆることにやる気がないし、愛想もないし、与えられた才能を何もかも捨てているみたいな男だけど、私が本物の天才だって思ったのは吐季だけ」

 吐季さんとは何度か会ったことがあるが、彼の人間性や才能までは分からない。

「舞原の子どもは大抵、同じ私立中学に通うんだけど、私たちの母校には全学年合同の球技大会があったの。吐季は一つ年下だから、あいつが二年生の時の話だったかな。その年、吐季のクラスはサッカー部の生徒が一人もいなかったのに優勝してるんだよね」

「吐季さんって運動も出来るんですか?」

「まあね。ただ、絶対に全力を出さないの。自覚的にたいな奴だから、いつもどうしたら楽が出来るか、そんなことにばかり頭を使っていた。あの球技大会の時もそう。手を抜けるところは手を抜きながら、サッカー部が混じった上級生のチームを倒していったってわけ」

「つまり吐季さんが一人で何とかしたってわけではないんですね?」

「他人をこまのように使っていたはずだよ。どう? ちょっと興味がわいてきたでしょ?」

 対偕成学園のアイデアが行き詰まっている今、興味を引かれないと言えば噓になる。

 劣る戦力で球技大会を制した方法。そんな方法があるなら、ぜひとも聞いてみたい。


 吐季さんは市内で最も家賃が高いというマンション、ノーブルハイツに住んでいた。

 経営者である親族にマンションの一室を与えられ、管理人として暮らしているらしい。

「どんな仕事をしたら、こんなところに住めるんだろう」

 あまりにもごうしやな造りのマンションを前に、華代がこぼすように呟く。

 これだけ大きな建物なのに、入居出来るのはわずかに八世帯であるという。しかも、その内の一室は管理人の吐季さんが使用しているのだ。一般人には理解出来ない世界の話だった。

「そう言えば、華代はどんな家で暮らしてるの?」

「この建物を見た後で、よくそういうことが聞けるね」

 非難めいた言葉と共に華代が振り返る。

「うちもマンションだよ。先生に聞いたら、家賃は十分の一どころの話じゃなかったけど」

 華代の家庭は四年前に両親が離婚している。弟とも死別しているため、現在は父親と二人暮らしだったはずだ。

「優雅はさ、将来の家族のことって考えることある?」

 季節の花々が咲き誇る花壇を眺めながら、華代が問う。

「将来の家族?」

「両親のせいにするわけじゃないけど、私は自分が家族を持つ姿を想像出来ない」

「家族か……。いない方が当たり前だったからな」

 僕は無口で感情を見せない祖母と二人で生きてきた。二年前に施設に入った祖母とは、もう半年以上会っていない。にんしようが進んだ祖母は、僕を思い出すことさえ出来ないだろう。

「優雅は家族が欲しいって思うことはないの?」

「今のところは考えたこともないかな」

と付き合っているのに?」

 華代の瞳は僕を非難しているようにも見えたし、憐れんでいるようにも見えた。

「僕らはまだ高校生だよ」

「でも、好きだから付き合ってるんじゃないの?」

「よく分からないんだ。自分のことなのにさ、昔から自分の気持ちがよく分からない」

「その言葉は多分、優雅にとって偽りのない事実なんだろうね。そうやってはっきり言ってもらえば私は理解出来るよ。でも、優雅は自分の話をほとんどしないから、周りの人間には正しく伝わっていない気がする。それがかなしいし、時々、ずるいとも思う」

 僕は今、華代に非難されているのだろうか。それとも同情されているのだろうか。

「……約束の時間だ。行こう。吐季さんが待ってる」


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