第三話 秋霖の切片(5)


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 幸いにも右膝の痛みは数日で引き、予定より早く松葉杖生活から解放されることになった。

 とはいえ、あの日以来、から厳しく監視されるようになり、放課後の練習では荷物運びさえやらせてもらえなくなってしまった。男としてはめいこの上ない話である。

 僕が突き刺したドライブシュートは、ほかにも幾つかの変化をレッドスワンに生んだ。

 かえでは練習でさえゴールを奪われることを嫌悪するようになり、常に本気を見せるようになった。守護神は間違いなくれつな意志が必要なポジションである。芽生え始めたGKゴールキーパーへのしゆうちやくしんは、楓をまた一つ上のステージへと導こうとしていた。

 僕のプレーにしよくはつされたのは、新加入のてんも同様である。一撃で流れを変えられる選手こそがエースに相応ふさわしい。そんな風に考えた天馬は、それまで以上にアグレッシブな姿勢を見せるようになる。しかし、強い気持ちが必ずしも良い結果を生み出すとは限らない。

 天馬の意識下で起きた革命により、すぐに新たなる火種が具現化することとなった。

 九月二十六日、土曜日。

 その日、レッドスワンは隣県の強豪と、二試合の練習試合を組んでいた。事件はその二試合目で発生する。GKがおうろうに代わった二本目のゲームで、レッドスワンは久しぶりに二点差をつけられて敗北してしまったのだ。

 楓が不出場とはいえ、DFデイフエンス陣はレギュラー組だった。インターハイ予選のように、不測の事態で正GKを欠くこともあるだろう。この布陣できつした二点差の敗北は痛恨と言えた。

 予想外の失点を積み重ねてしまった理由は明確である。

 ひとえに自己中心的なプレーで天馬がチームの規律を乱したせいだ。セットプレー時の守備ポジションを守らない。取られてはいけない位置でボールをロストする。セルフィッシュなプレーが敵に決定機を与えてしまった。

 試合後、天馬はこれまで楓以外の誰にも言い出せなかったことを大声で口にする。

「うるさいな。ミスったことは認めるけど、反省しろって言うなら、俺よりも先に責められなきゃいけない人がいるんじゃないですか?」

 ぼうじやくじんな態度を皆に責められ、天馬は逆切れ気味に吐き捨てる。

「失点のきっかけは俺がボールをロストしたことかもしれない。でも、後ろにはDFがいたじゃないか。謝れって言うなら、最終的に敵に突破されたもりこし先輩はどうなんすか」

 現在、最終ラインのかなめとなるCBセンターバツクを務めるのは、おりもりこしまさ先輩の二人である。キャプテンでもある伊織の実力を疑う者はいないが……。

「負けたのは森越先輩のせいでしょ。先輩が一対一を止めてくれりゃ、逆転負けなんてしなかったんだ。問題は先輩が戦えるレベルに達してないからじゃないんすか」

「おい、一年。もう一回言ってみろ」

 反射的に声をあららげたのはおにたけ先輩だった。

「てめえのせいでカウンターをくらったんだ。しりぬぐいをしてもらったお前に、将也を責める資格なんてあるわけねえだろ。何回、ボールを失ったか覚えてねえのか?」

「覚えてるわけないだろ。FWフオワードは何回ミスってもゴールを決めりゃ良いんだよ」

 頰に生々しいきずあとを持つ鬼武先輩は、部内でも断トツの強面こわもてである。チームでは副キャプテンを務めているし、その圧倒的な存在感から後輩には誰よりも恐れられている。しかし、天馬はそんな鬼武先輩を前にしても、まったくおくすることがなかった。

「つーかさ、マジでCBを代えた方が良いんじゃないの? あの程度のドリブルに突破されるような奴が、美波のスリートップを止められるわけないじゃん」

 せきにんてんとどまらず、チームメイト批判まで始めた天馬に、今度はキャプテンの伊織がいきり立つ。天馬の前まで歩み寄ると、問答無用でそのむなぐらを摑んで持ち上げた。

「いってえな! 何すんだよ。離せ!」

「ドリブル突破されたCBが悪い? 違うだろ。失点は敵に独走を許すような場所でボールを失ったお前の責任だ。セットプレー明けは守備陣がそろってないんだから、仕掛けたら危険なことくらい分かれよ。失点しないことがファーストプライオリティだって何度も話したよな」

「そんなダルい攻め方してるから点が入らないんだろ。後ろに一人残ってるのに何で勝負しちゃ駄目なんだ。あれか? 後ろに下手くそがいることを気にしてろって言いたいのか?」

「どうして、お前は先輩に対して敬意を払えないんだ!」

 天馬の胸倉を摑んだまま、伊織は彼を壁に押しつける。

 背中を強打し、天馬が痛みに顔を歪めた。

「フィールドに先輩も後輩もないだろ! 下手くそを下手くそって呼んで何が悪いんだ!」

「てめえは他人に偉そうに説教出来るレベルじゃねえだろ!」

「やめろ、伊織。手を離してやってくれ」

 激怒していた伊織の肩に、ちゆうの森越先輩が手を置いた。

「俺だって分かってるんだ。天馬の言っていることが完全に間違っているわけでもない」

「いいえ。間違いですよ。こいつがチームのルールを無視するから、ピンチが生まれたんだ。本来、存在しなかったはずの危機で、先輩が責められるなんておかしい」

「俺に伊織のような守備力があれば、天馬のミスだってフォローしてやれたはずなんだよ」

 森越先輩が伊織の手首を摑み、ようやく天馬が解放される。

「天馬、お前の発言にも一理ある。フォローしてやれなくて悪かったな。次はもう少し頑張ってみるからさ。呆れないで一緒に続けてくれ」

 あれだけの暴言を吐かれたにも関わらず、森越先輩は天馬をかばおうとしていた。まさかやりだまに挙げた人物に助けられるとは思っていなかったのだろう。天馬は気まずそうにうつむく。

「でもな、チームの戦術ルールは守っていこう。そうしてくれないと上手くフォロー出来ない。皆、天馬の突破力には期待してるんだ。問題はそれを何処で生かすかじゃないのか?」

 天馬は苦々しそうな顔のまま、肯定も否定もしなかった。

「話はまとまったのかな?」

 ドレッシングルームの隅でパソコンを操作していた先生が顔を上げる。

「話さなきゃいけないことは皆が言ってくれたし、私は結論だけ言うよ。今後しばらく天馬には控え組でプレーしてもらうわ」

「……俺がFWとして失格ってことですか?」

「君は本当に極端だね。もっと肩の力を抜いて、ゲームを楽しんだら良いと思うよ」

「一ヵ月後には廃部になってるかもしれないのに、楽しんでる余裕なんてないだろ」

「むしろプレッシャーがかかるからこそ楽しむべきなんだよ。その方が頭も働くからね」

 相変わらず世怜奈先生は緊張感のないふわふわとした微笑を浮かべていた。

「天馬に控え組でプレーをしてもらうのは、選択すべきプレーを学んで欲しいからだよ。後ろの陣形が不安な方が、ミスを犯した場面での影響度が分かりやすいでしょ。勝負を仕掛けて良い場面と駄目な場面、君にはなるべく早くそれを理解してもらわなきゃならない」

 選手権予選の初戦となる三回戦まで、残り一ヵ月弱。果たしてそれまでに天馬をチームに融合させることは出来るのだろうか。

 森越先輩が大人の対応をしたことで、天馬とチームの間に大きな亀裂が走ることはなかった。しかし、真に問題なのは、天馬の暴言が完全に的外れな指摘ではなかったことだ。王者、美波高校の最大の武器は、快速スリートップによるショートカウンターであり、今の森越先輩の実力で抑えられるとは、正直思えない。

 試合までの残り期間を考えても、布陣を変えるなら一刻も早く試さねばならない。

 その前提で、僕がすうしたアイデアは一つだけである。森越先輩のポジションにレギュラーボランチの誰かをコンバートするのだ。これ以外には適当な解決法が思いつかない。

 ボランチの数を二枚にすれば、二列目にリオ、だか、天馬の三人を並べられる。現有戦力のベストイレブンを先発させるという意味でもえたやり方だろう。

 だが、ボランチの一人をCBにコンバートしたいと提言することは、森越先輩に失格のらくいんを押すことと同義でもある。他人を裁く行為は、自分への失望よりも遥かに心苦しい。

 選手権予選には敗者復活戦などない。石にかじりついてでも勝つ必要がある。

 勝負が始まる十月になったら先生に進言しよう。準備期間を考えれば、そこがタイムリミットになるはずだ。先生に動きが見えない以上、裁定はコーチである僕が下さねばならない。


 重たいを抱えつつ、ようやく決意を固めた長月の最終日。

 しかし、事態は予想外の方向から動くことになった。


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