第三話 秋霖の切片(4)
4
どれくらいの時間、まどろんでいたのだろう。
ゆっくりと
「……
「ああ……。ごめん。うとうとしていた」
「うとうとって言うか完全に寝てたでしょ。
何故、あんな馬鹿な
すぐにMRIは撮ってもらえたものの、かかりつけの
「両足とも
「ごめん……」
「別に。私に謝られても意味がない」
「……原因不明ってさ、絶望を告知されるよりも性質が悪いのかもな。手術も出来ない。回復の見込みも分からない。信じられるものがないんだ」
左膝、前十字靭帯の断裂は、選手生命を終わらせかねない大怪我だった。手術が成功するかも分からなかったし、上手くいっても復帰までに一年を要する大怪我だった。それでも、回復する見込みは確かに存在していた。
しかし、右膝は違う。壊れてしまった理由が分からない。何故こんなにも痛むのか、その原因は不明のままだ。安静にすること以外に出来ることがなかった。ただ……。
「最近、右膝、ほとんど痛んでなかったんだ。もしかしたら、このまま治るんじゃないかって期待を抱いていた。卒業する前に、もう一度、ピッチに立てるんじゃないかって……」
掛け布団の下、右膝に手をやると、歩行をサポートするための装具が装着されていた。
「とりあえず二週間は
「心配しなくても、もう蹴らないよ」
「信用出来ない。いかに
早歩きのような足音が聞こえ、扉の向こうに
「良かった。帰っちまってたら、どうしようかと思った」
掛け時計は午後七時半を指している。練習が終わった後で駆けつけてくれたのだろう。
「つーか、ここ個室じゃん。お前、入院すんの?」
「運営に関わってる
「何だそりゃ。舞原ってそんなに偉いのか? 訳分かんねえな」
「伊織、お前はそんな話をしにきたのか?」
圭士朗さんにたしなめられ、伊織は表情を引き締める。
「膝の具合はどうだ? 一応、先生から報告は聞いたけど、本当に大丈夫だったのか?」
「検査に異常がなかったことを大丈夫だったと言うのなら」
「また靭帯をやっちまったのかと思って、生きた心地がしなかったぜ。そうだ、これ」
伊織は鞄からビデオカメラを取り出すと、ベッド脇の大型テレビにコードを繫ぐ。
「お前、自分が蹴ったボールの弾道を見てないだろ? マジでやばいぜ」
伊織が再生ボタンを押すと、
あの時は、あまりの激痛で、ボールの軌道など追いもしなかったわけだが……。
僕がボールを蹴った位置は、ペナルティエリアから十五メートルほど離れていた。直接ゴールを狙うには距離が離れていると言って良いだろう。
全力で放たれたシュートは縦回転により、ゴールの手前で急速に落ちていく。そして、めいっぱい身体を伸ばした楓の指先をかすめて、そのままゴール左隅に突き刺さっていた。
「こんなに強烈なドライブシュートは初めて見たよ。怪我をした足で、これだけのトップスピンをかけるんだもんな。正直、才能の差が
「俺は子どもの頃から一緒にやっていたから、優雅が落とすシュートが得意なのは知ってたぜ。見てみろよ。この楓の顔。最近、調子に乗りまくってたから良い薬だ」
地面に膝をつく楓の顔から血の気が引いていた。信じられないといった眼差しで呆然としている。
「不意を突かれたからだよ。僕が蹴ってくるって分かっていれば……」
「いや、あの時、楓はお前を挑発するために、俺と
仲間たちが僕に駆け寄るその後ろで、楓はボールを地面に叩きつけて悔しがっていた。
「この軌道は何度見ても
「優雅が凄いのは分かったから、そのくらいにして」
ビデオを巻き戻し始めた伊織に、華代の鋭い声が飛ぶ。
「褒められることをやったわけじゃないでしょ。キャプテンなんだから、ちゃんと
ばつの悪そうな顔で伊織が視線を逸らし、代わりでも
「お前、洞察力は鋭いのにな。時々こういう
「どういう意味?」
「身勝手な期待を押しつけるのも悪いと思って、ずっと言わずにいたけどな。どうやらお前は病的に自分に無頓着みたいだから、はっきり言うぞ。高校に入って
……そうか。その言葉で初めて気付く。
親友と呼べるほどに仲良くなれたのに、僕らは一度も試合で共にプレーしたことがない。
翌日、九月十七日、木曜日。
お昼休み、予期せぬ来訪者が教室に登場した。
「おい、優雅。
昼食時に現れたのは、怒りに顔を歪ませる
高身長と印象的な茶髪のせいで、楓は抜群に目立つ生徒である。三馬鹿トリオの奇行は有名なため、何が始まるのかと教室中の視線が僕らに集まっていた。
「行かなくて良い。優雅は怪我をしているんだから、話があるならここでして」
近くに座っていた華代が、
「てめえ、たった一度ゴールを奪ったくらいで、俺に勝った気でいるんじゃねえだろうな?」
「そんなつもりはないよ」
「良いか。昨日は久しぶりにボールを蹴ったてめえに花を持たせてやったんだ。わざと止めないでやったんだからな!」
「地面にボールを叩きつけて『
「うるせえ女だな! 黙ってろ! てめえは俺の何なんだ?」
「マネージャーだけど」
目つきの悪い大男の激昂にクラスメイトたちは
「お前、そんなことを言うためにうちのクラスまで来たのか?」
「あ?
駄目だ。いつものことだけど、まったく話が嚙み合わない。誰か早く解放してくれ。
「てめえ、足は大丈夫だったんだろうな? さっさと直して、もう一回勝負しろ。悪化させて逃げやがったら、ぶっ飛ばしてやる。お大事にしやがれだ。分かったか、ゴミ!」
……一応、楓なりに心配してくれているのだろうか。心の底から面倒臭い奴だった。
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