第三話 秋霖の切片(3)
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九月十四日、月曜日。
監督に就任した当初、
守備的な選手を増やしたことで、前線のレギュラー枠はわずかに三枚となった。天馬の加入によって、層が薄かった攻撃陣にも、ようやくポジション争いが始まることになった。
現在、ワントップの
常陸に得点が期待出来ない以上、二列目の二人には、常陸の分まで決定力が求められる。そういった事情を
どういった戦術を取るにせよ、セットプレーを最大の武器とするレッドスワンにおいて、高さのある常陸とリオがレギュラーから外れることはない。
残るレギュラーポジションは、あと一枠である。
これまでは三馬鹿トリオのもう一人、スピードスターの
天馬は貴重なレフティである。ポジショニングするサイドによっては、左利きにしか出来ないプレーというのも存在するからだ。
九月十六日、水曜日の放課後。
天馬の加入から三日が経ったその日、改めてセットプレーの確認がおこなわれた。
セットプレーには様々な種類があるが、試合中、最も多く発生するのは、ファウルが犯された時に与えられるフリーキックだろう。敵を引っ張る。突き飛ばす。足を引っかける。ボールに手で触れる。一連の反則がゴール前のペナルティエリア内で犯された場合は『
GKと一対一の状態でおこなわれるPKは決まる確率が高いため、試合に与える影響があまりにも大きい。皆、それを理解しているから、エリア内ではファウルを犯さないよう細心の注意を払うし、軽度な反則であれば主審が意図的に笛を吹かないこともある。
逆にエリア外のファウルであれば、PKを取られることは絶対にない。そのため、決定的なピンチが生まれそうな場面では、ペナルティエリアの手前で、カード覚悟で敵を止めに行くということも起こり得る。PKと比べれば
現在、フィールドではそんな『直接フリーキック』の確認がおこなわれていた。
「先輩! 俺にも蹴らせてくれよ! 自信、あるんだって!」
不動のキッカーである
「なあ、一回くらい良いだろ? 減るもんじゃないんだしさ」
「いい加減に諦めろ! お前は左利きだろ。葉月先輩が引退したら考えてやるから下がれ!」
伊織に
直接フリーキックでは、ボールを味方に合わせても良いし、キッカーがそのままゴールを狙っても良い。直接狙う場合は利き足が重要になる。インサイドで蹴ったボールは、回転によって蹴り足とは逆側に曲がっていくため、右サイドからは左利きの選手が、左サイドからは右利きの選手が蹴った方が、角度の問題でゴールを奪いやすいからだ。
僕は両足を同じように使えたため、怪我で離脱する前は、監督に指名され、長短左右どんな位置からでもキッカーを担当していた。しかし、現行のチームでは、右利きの圭士朗さんと左利きの葉月先輩が、場面に応じて交代しながらキッカーを務めている。
GKに
「っしゃぁ! 甘過ぎるぜ! ラジオ体操からやり直せ! お前らじゃ役不足だ!」
葉月先輩の完璧なフリーキックを横っ跳びで弾き飛ばし、楓が吠える。
「楓、練習が終わったら辞書を引いてレポートを提出しなさい。『役不足』の意味が違うよ」
ノートパソコンに目を落としたまま、世怜奈先生が抑揚なく告げる。
レッドスワンではフリーキックを味方に合わせる場合、大抵、圭士朗さんがキッカーを務める。狙った位置にピンポイントで蹴る技術が、チーム随一だからだ。
一方、葉月先輩には異なる武器がある。
「俺のクレセントムーンシュートを止めるとは生意気な奴だ」
返ってきたボールに意味もなくキスをしてから、葉月先輩は楓を睨みつける。
バナナシュートと言えば全員に通じるのに、何故、わざわざ三日月シュートなどと英語で言うのだろう。赤点常習犯のくせに
「
振り返った圭士朗さんの顔に、悔しそうな表情が浮かんでいた。
もう十五分以上フリーキックの練習が続いているのに、二人はまだゴールを奪えていない。楓は調子に乗れば乗るほど、実力を発揮するタイプである。当たり出すと手がつけられない。
圭士朗さんと葉月先輩の
「楓は右利きだから、大抵、左に身体を寄せて右のスペースを大きくあけます。そのせいで右側を狙いたくなるんですが、もしかしたら逆を突いた方が効果的かもしれません」
この角度なら左足の方がゴールを狙いやすい。僕のアドバイスを受け、葉月先輩が回転をかけてゴール左上を狙う。しかし、やはり楓が抜群の反射神経で枠外に弾き飛ばしてしまった。
続け様に圭士朗さんも狙ったが、完璧なコースへ飛んだにも関わらず防がれてしまう。
「優雅! てめえのアドバイスなんて時間の無駄だ! どうせ俺からゴールは奪えねえ!」
相変わらずの
「どうやらキッカーを交代した方が良さそうだな! 自信がないなら代わってやるぜ? 俺はフリーキックを蹴らせても超一流のGKだからな!」
楓の投げ返したボールが圭士朗さんと葉月先輩の間を割り、僕の下に転がってくる。
楓は腰を落とし、フラットな姿勢で両足に均等に体重を乗せていた。
左右、どちらにも瞬時に飛べる理想的な姿勢だ。口先だけじゃない。確かに
その時、僕の頭を支配していたのは、どんな感情だったんだろう。
ボールの軌道を追う内に、一種のトランス状態に陥っていたのかもしれない。目の前にボールが転がってきた次の瞬間、僕は無意識の内に軸足を踏み込み、左足を振り抜いていた。
「ちょっと優雅! 何してるの!」
華代の悲鳴がフィールドを切り裂き、
「馬鹿! 何やってんだよ! 自分の状況が分かってんのか!」
信じられないほどの激痛が、軸足にした右膝に走っていた。
自分の身に何が起きてしまったのか。理解するより早く、重力に負けた僕の身体は、その場に崩れ落ちていった。
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