第三話 秋霖の切片(3)


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 九月十四日、月曜日。

 むろてんが入部したことで、レッドスワンの所属選手は僕を除いても二十二名になった。GKゴールキーパーも二人いるため、にんがいなければフルメンバーの紅白戦を実施出来る計算になる。

 監督に就任した当初、先生は4‐2‐3‐1のシステムを採用していた。しかし、インターハイ予選の途中から、守備的MFミツドフイルダーを増やす4‐3‐2‐1のツリー型フォーメーションを多用している。

 守備的な選手を増やしたことで、前線のレギュラー枠はわずかに三枚となった。天馬の加入によって、層が薄かった攻撃陣にも、ようやくポジション争いが始まることになった。

 現在、ワントップのFWフオワードは、離島出身のバスケットボール経験者、ぜん常陸ひたちが務めている。

 おりに続いて身長を百九十センチの大台に乗せた常陸は、圧倒的な空間把握能力を生かし、ポストプレーで抜群の存在感を見せている。しかし、はっきりとした弱点もあった。サッカー経験が浅いため、シュートやドリブルといった基本的なテクニックに難があり、独力で得点を生み出すことが出来ないのである。

 常陸に得点が期待出来ない以上、二列目の二人には、常陸の分まで決定力が求められる。そういった事情をまえるなら、ファーストチョイスは三馬鹿トリオの一人、ニュージーランド人のリオ・ハーバートで固いだろう。恵まれた身体能力に任せた雑なプレーが散見されるものの、抜群の決定力を誇り、二人に次いで、この夏に身長を百九十センチに届かせている。

 どういった戦術を取るにせよ、セットプレーを最大の武器とするレッドスワンにおいて、高さのある常陸とリオがレギュラーから外れることはない。

 残るレギュラーポジションは、あと一枠である。

 これまでは三馬鹿トリオのもう一人、スピードスターのときとうだかが入る場合が多かったが、天馬の入部により、穂高は絶対のレギュラーではなくなってしまった。

 天馬は貴重なレフティである。ポジショニングするサイドによっては、左利きにしか出来ないプレーというのも存在するからだ。


 九月十六日、水曜日の放課後。

 天馬の加入から三日が経ったその日、改めてセットプレーの確認がおこなわれた。

 セットプレーには様々な種類があるが、試合中、最も多く発生するのは、ファウルが犯された時に与えられるフリーキックだろう。敵を引っ張る。突き飛ばす。足を引っかける。ボールに手で触れる。一連の反則がゴール前のペナルティエリア内で犯された場合は『PKペナルテイキツク』が与えられ、エリア外で起きた場合は、その場所からの『直接フリーキック』となる。

 GKと一対一の状態でおこなわれるPKは決まる確率が高いため、試合に与える影響があまりにも大きい。皆、それを理解しているから、エリア内ではファウルを犯さないよう細心の注意を払うし、軽度な反則であれば主審が意図的に笛を吹かないこともある。

 逆にエリア外のファウルであれば、PKを取られることは絶対にない。そのため、決定的なピンチが生まれそうな場面では、ペナルティエリアの手前で、カード覚悟で敵を止めに行くということも起こり得る。PKと比べればはるかに難易度が高いものの、ペナルティエリア付近でのセットプレーは、直接ゴールを狙えるビッグチャンスである。

 現在、フィールドではそんな『直接フリーキック』の確認がおこなわれていた。

「先輩! 俺にも蹴らせてくれよ! 自信、あるんだって!」

 不動のキッカーであるけいろうさんとづき先輩に、天馬がしつこく食い下がっていた。

「なあ、一回くらい良いだろ? 減るもんじゃないんだしさ」

「いい加減に諦めろ! お前は左利きだろ。葉月先輩が引退したら考えてやるから下がれ!」

 伊織にいつかつされ、天馬はすごすごとボールから離れていく。無駄に自信家の天馬だが、同じレフティの葉月先輩にかなわないことは、この三日間で理解していたようだ。

 直接フリーキックでは、ボールを味方に合わせても良いし、キッカーがそのままゴールを狙っても良い。直接狙う場合は利き足が重要になる。インサイドで蹴ったボールは、回転によって蹴り足とは逆側に曲がっていくため、右サイドからは左利きの選手が、左サイドからは右利きの選手が蹴った方が、角度の問題でゴールを奪いやすいからだ。

 僕は両足を同じように使えたため、怪我で離脱する前は、監督に指名され、長短左右どんな位置からでもキッカーを担当していた。しかし、現行のチームでは、右利きの圭士朗さんと左利きの葉月先輩が、場面に応じて交代しながらキッカーを務めている。

 GKにかえでを据え、長身選手に壁を作らせて、葉月先輩と圭士朗さんが順番に蹴っていた。

「っしゃぁ! 甘過ぎるぜ! ラジオ体操からやり直せ! お前らじゃ役不足だ!」

 葉月先輩の完璧なフリーキックを横っ跳びで弾き飛ばし、楓が吠える。

「楓、練習が終わったら辞書を引いてレポートを提出しなさい。『役不足』の意味が違うよ」

 ノートパソコンに目を落としたまま、世怜奈先生が抑揚なく告げる。

 さんきやくにセットしたビデオカメラを回しつつ、先生は二人のキッカーのデータを、ひたすらパソコンに入力していた。入る見込みのない直接フリーキックは味方のを落としてしまう。本日の練習により、先生は狙っても良い距離と角度を明確に定めようとしていた。

 レッドスワンではフリーキックを味方に合わせる場合、大抵、圭士朗さんがキッカーを務める。狙った位置にピンポイントで蹴る技術が、チーム随一だからだ。

 一方、葉月先輩には異なる武器がある。ゆがんだ美学を反映するような極端なカーブ。意味不明なナルシズムのごとくどうが読めない無回転シュート。先輩は多彩なキックの技術を持っている。パワーでも軍配が上がるため、直接狙える場面では葉月先輩が蹴ることが多かった。

「俺のクレセントムーンシュートを止めるとは生意気な奴だ」

 返ってきたボールに意味もなくキスをしてから、葉月先輩は楓を睨みつける。

 バナナシュートと言えば全員に通じるのに、何故、わざわざ三日月シュートなどと英語で言うのだろう。赤点常習犯のくせにうつとうしい……。

ゆう! 何かアドバイスをくれ! このままじゃ終われない」

 振り返った圭士朗さんの顔に、悔しそうな表情が浮かんでいた。

 もう十五分以上フリーキックの練習が続いているのに、二人はまだゴールを奪えていない。楓は調子に乗れば乗るほど、実力を発揮するタイプである。当たり出すと手がつけられない。

 圭士朗さんと葉月先輩のそばまで近付き、口元を隠して二人だけに聞こえる声で告げる。

「楓は右利きだから、大抵、左に身体を寄せて右のスペースを大きくあけます。そのせいで右側を狙いたくなるんですが、もしかしたら逆を突いた方が効果的かもしれません」

 この角度なら左足の方がゴールを狙いやすい。僕のアドバイスを受け、葉月先輩が回転をかけてゴール左上を狙う。しかし、やはり楓が抜群の反射神経で枠外に弾き飛ばしてしまった。

 続け様に圭士朗さんも狙ったが、完璧なコースへ飛んだにも関わらず防がれてしまう。

「優雅! てめえのアドバイスなんて時間の無駄だ! どうせ俺からゴールは奪えねえ!」

 相変わらずのそんな態度に苛立ちが増す。

「どうやらキッカーを交代した方が良さそうだな! 自信がないなら代わってやるぜ? 俺はフリーキックを蹴らせても超一流のGKだからな!」

 楓の投げ返したボールが圭士朗さんと葉月先輩の間を割り、僕の下に転がってくる。

 楓は腰を落とし、フラットな姿勢で両足に均等に体重を乗せていた。

 左右、どちらにも瞬時に飛べる理想的な姿勢だ。口先だけじゃない。確かにすきは見当たらない。だが、しかし……。


 その時、僕の頭を支配していたのは、どんな感情だったんだろう。

 ボールの軌道を追う内に、一種のトランス状態に陥っていたのかもしれない。目の前にボールが転がってきた次の瞬間、僕は無意識の内に軸足を踏み込み、左足を振り抜いていた。

「ちょっと優雅! 何してるの!」

 華代の悲鳴がフィールドを切り裂き、

「馬鹿! 何やってんだよ! 自分の状況が分かってんのか!」

 けつそうを変えた伊織が駆け寄ってきたけれど、その手が触れるより先に視界が暗転する。

 信じられないほどの激痛が、軸足にした右膝に走っていた。

 自分の身に何が起きてしまったのか。理解するより早く、重力に負けた僕の身体は、その場に崩れ落ちていった。


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