第三話 秋霖の切片(2)-3


「……好き勝手に言ってくれるけどさ」

 声のトーンを落として、天馬に告げる。

うらやましいのは僕の方だよ。代われるものなら代わって欲しい」

「はあ? 何でだよ。あんな彼女がいて、それだけ恵まれているのに……」

 あんじよう、食いついてきた天馬に言葉を続ける。

「今の僕にはサッカーをするための身体がない。だけど、天馬は違うじゃないか。サッカーをやっていないのは君自身の意志だろ。あてつけでいらちをぶつけるなよ」

 きっと、僕には神室天馬という人間を理解出来ない。多分、神室天馬にも高槻優雅を理解することは出来ない。だけど、互いに互いを理解出来ないという事実を共有することは出来る。その上で、告げるべき言葉も、差し伸べるべき手も、残っているような気がした。

「本当に僕は君より恵まれているのか? すべては立ち位置の問題だ。君は頭が悪過ぎる」

「喧嘩売ってんのか? 俺の何処が……」

「良いから黙って聞けよ。インターハイ予選の準決勝、僕らは二対三でかいせい学園に敗れている。その試合でゴールを守ったのは君と同じ一年生だった。うちの正GKゴールキーパーの実力は分かるだろ? あのGK無しでも、僕らは偕成を追い詰めたんだ。しかも、試合の途中で司令塔も負傷離脱していた。それだけ戦力を落とした状態でも、レッドスワンは偕成と対等に戦えるチームだった。世怜奈先生や僕が君を勧誘しているのは何のためだと思う?」

「廃部を阻止するために力を貸して欲しいんだろ?」

 わざとらしく溜息をついて見せる。

「君はまったく分かっちゃいない。正GKと司令塔が復帰すれば、県で優勝するくらい出来るに決まってるだろ。そんな小さな目標は追っていない。目指しているのは全国の頂点だ」

「……馬鹿げてやがる。頭が悪いのはあんたたちの方じゃないか」

「今の戦力じゃ県大会を制するのがせきの山かもしれない。だけど、君が加われば全国でも勝てるチームになる。世怜奈先生はそう確信しているから勧誘したんだ。廃部を阻止するために力を貸せ? 笑わせるな。そんな小さな目標のためにスカウトなんてするものか」

 いつの間に僕の唇はこんなになめらかに動くようになったんだろう。

 世怜奈先生のサポート役を務めてきた影響なのか、説得のための方便にも似た言葉が、次から次へと出てくる。

「君は好きな人の後を追って、赤羽高校に入学したのかもしれない。だけど、僕を倒したかったって言葉も本当だろう? 僕は五歳の時にはサッカーを始めていた。でも、君は中学から始めてあれだけの選手になったんじゃないか。どちらが天才かなんていちもくりようぜんだ」

「……それでも、周りが認めているのはあんたばかりだ」

「だったら実力で周りを黙らせろよ。何故、そうしないんだ? 僕は今年の予選には出場しない。だけど、来年は復帰を目指す。君と僕がそろったのに、全国優勝出来ないと思うのか? 今のままじゃ必ず後悔するぞ。あがいてみろよ。それだけの才能を独りよがりに捨てるなよ。今のメンバーなら、間違いなく廃部は阻止出来る。だけど、サッカーには常にジャイアントキリングの可能性がつきまとう。偕成やなみに返り討ちに遭う可能性だって否定出来ない。だから、頼む。力を貸してくれ。来年、僕にも戦わせてくれよ」

 深く頭を下げた僕を、天馬はどんな顔で見つめているんだろう。

 なまぬるい小雨を背中に感じていたら……。

「頭なんて下げるなよ。あんたの言ってることは分かったからさ」

 顔を上げると、天馬は面白くなさそうな顔で頰をいていた。

「確かに俺とあんたが共闘すれば、全国でも優勝出来るかもしれないな」

 ……いや、あおっておいて何だが、本気で信じたのか?

「確かに俺は自分のことをあやまっていた。それは認めてやっても良い。だが、あんたや監督が気付いていても、ほかの部員は違うだろ? 特にキャプテンの無駄にでかい男は、俺の才能になんて微塵も気付いていなかったぜ。あれだけ無様にぶち抜かれたのに」

 やはり天馬はあの日の伊織の演技には気付いていないようだった。

「監督とアシスタントコーチが加入に賛成しているんだ。誰にも文句は言わせない。ただ、あれだけのたんを切ったんだから気まずいのも分かる。皆には僕から説明するつもりだ」

 気付けば、いつの間にか雨が上がり、空の向こうに虹がかかっていた。

「これでもまだ納得してもらえないなら、その時は仕方ない。もう二度と誘わないよ」

 天馬に斜め後ろを向くよう促す。

 虹のアーチに目を留め、天馬は意味深にあごに手をやった。

「もしも、もう一度、サッカーをする気になったなら、会いに来てくれ」

 それを最後に告げて、バス停に向かって歩き出す。

 数歩進んだところで、

「待ってくれ」

 喉の奥から絞り出したような声が届いた。

「俺が入部するって言ったら、本当にあんたが上手いこと説明してくれるのか?」

 振り返ると、天馬がうような目で見つめていた。

「ああ。それがコーチの仕事だからな」

「でも、文句を言う奴がいたら……」

「そいつをレギュラーから外す。チームの決定に従えない奴は必要ない」

「……分かった。あんたが、そこまで言うなら、入部してやっても良い」

 ようやくがんめいな心を動かすことに成功したようだった。

「助かるよ。先生には明日、紹介して良いか?」

「任せるさ。あんたは俺が認めた唯一の選手だ。あ、でも守備は嫌いだから、出来るだけ前線で使うように言っておいてくれ」

 最後まで面倒臭い男だったが、天馬は世怜奈先生が一目置いた選手である。彼女が欲しいと言うくらいだ。戦力として計算出来るのだろう。

 この数ヵ月、どうやら本当に遊び歩いていたようだし、勘やスタミナを取り戻すために、どれだけの時間がかかるかも分からないけれど……。

 翌日、レッドスワンにはようやく、四人目の一年生が入部することになった。


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