第二話 勿忘草の炎帝(4)-2
「こんな時じゃないと言えそうにないから伝えるね。真扶由さんにはとても感謝している。大会の度にノートを見せてくれてありがとう。真扶由さんの字を見ていると、不思議と落ち着くんだ。きっと、君はとても誠実な人なんだろうなって、そういう心の奥みたいな場所まで、ノートの向こうに透けて見える気がするから」
この十日間に気付いたことを一つずつ告げていく。
「登校して、教室に入って、まだぼんやりとした頭に、真扶由さんの『おはよう』って声が届くと、一日のスイッチが入る気がするんだ。『明日は雨だよ』とか『もうすぐ夏だね』とか、真扶由さんの声を聞くことで季節を意識していたようにも思う」
「……お喋りな女だね」
「二年連続で同じクラスになって、半径数メートルの距離で過ごして、知れば知るほどに思い知るんだ。僕は白と黒しか入っていないクレパスみたいな人間で、真扶由さんは二十四色の
「……優雅君はモノクロなんかじゃないよ」
「そうだね。もしかしたらモノクロではないかもしれない。ただ、少なくとも二十四色ではない。僕の儚い声が好きだって、そう言ってくれたけどさ。やっぱり儚いことが良いことだなんて思えないんだよ。真扶由さんが音楽を愛しているのは、心に
圭士朗さんが真扶由さんを好きになった理由だって、今なら理解出来るような気がする。
自分の目には映らない世界を映してくれる人。真扶由さんはそういう人なのだ。
「君のような感覚を持てたら、きっと、世界はもう少し明るくなるんだろうね。僕はサッカー以外のことに関心を持てない、つまらない単色の人間だ。でも、真扶由さんは違う。君には僕の知らない側面が沢山あって、まだ見たことのないそれは、きっと素敵な形をしているんだと思う」
付き合うという行為の本質は何処にあるんだろう。結婚ならば理解は出来る。どちらかが死ぬまで共に生きましょうということだ。けれど、交際と結婚では大きく意味合いが異なる。
「付き合うってどういうことなんだろうって考えて、ようやく思い当たったんだよ。それは、すべてを知っているわけではない互いのことを、もう少しだけ理解してみませんかってことなのかなって。僕には恋愛感情というものが嚙み砕けていない。君のことも、ほかの女の子のことも、特別だって感じたことはない。……でもさ、もしかしたら、それは誰のことも理解しようとしていなかったからなのかもしれない」
これまで、周囲にいる女の子たちは二の次以下の存在だった。だから誰に告白されても悩むことすらなかった。しかし、彼女は違う。
「僕は感情の欠落した人間だから、真扶由さんのことを予期せぬ形で傷つけてしまうかもしれない。これから先のことだって、何も約束出来そうにない。だけど、それでも許されるのであれば、君のことをもう少し知ってみたいと思う」
「……それって、つまり、どういうこと?」
「付き合ってみたいって思ったってことだけど」
口を小さく開けて、真扶由さんは固まってしまう。
「ごめん。……もしかして僕は無茶苦茶なことを言ってるかな?」
十日間、悩みに悩んで、ようやく辿り着いた答えを正直に伝えたのだけれど……。
「ううん。そんなことない」
我に返ったように、真扶由さんは勢いよく首を横に振った。
「まさか付き合っても良いって言われるとは思ってなかったから」
上ずった声で告げる彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「絶対に振られるって思っていたの。告白しても迷惑をかけてしまうだけ、こんなのピリオドが欲しいだけの自己満足だって、そう思っていたから」
「別に迷惑だとは思わなかったよ」
「でも、だって……優雅君は圭士朗さんと友達でしょ?」
「圭士朗さんは自分の感情を理由に、誰かを嫌ったりするような人じゃないよ。それに言われたんだ。俺のことを理由にしないでくれって。自分の心で答えを出してくれって」
圭士朗さんのことだ。僕がこういう未来を選び取る可能性を予測出来ないはずがない。すべてを覚悟した上で、それでも彼女のことを想い、あんな風に言ったのだ。
だから僕はこの十日間、必死に自分と向き合って、この結論を出すに至った。
彼女の瞳から、透明な涙が零れ落ちる。
「ごめん。何があっても泣かないようにしようって決めていたのに……」
僕は他人の感情に
僕が交際を了承したからじゃない。そんなことで人間はこんな風に泣いたりはしない。
彼女は圭士朗さんの優しさを思い知ったのだろう。自分は想いに応えなかったのに、彼はそれで恨んだりはしなかった。足を引っ張ることを選んだりはしなかった。自らが報われる道ではないにも関わらず、純粋に自分の幸せを願ってくれた。そういう圭士朗さんの優しさが、彼女の胸をどうしようもなく揺らしたのだ。
日が落ちた後で真扶由さんと別れ、サッカー部の仲間たちが待つグラウンドへと戻った。
伊織、圭士朗さん、華代と並んで歩く、街灯の下の帰り道。
真扶由さんと付き合うと決めたことを、事実のまま三人に告げる。
伊織や華代は分かりやすいくらいに動揺していたけれど、圭士朗さんは穏やかな微笑を崩すことなく、分かっていたとでも言うように頷いてくれた。
「優雅に彼女が出来るとかマジかよ。信じらんねえ……。いつの間に……」
伊織は失礼なまでに何度も首を捻っていたが、その気持ちは理解出来ないこともない。僕自身、こんな日がくるなんて夢にも思っていなかったのだ。
電車通学の圭士朗さんはバス停へ向かわない。
大通りに出ると、別れ際、圭士朗さんは僕の肩に軽く手を置いた。
「優雅、お前がきちんと彼女のことを好きになれたら良い。俺はそう思ってるよ」
「僕は自分自身のことさえ信用出来ていない人間だけど、誠実でありたいとは思ってる。それだけは約束出来る」
「十分だよ。それに、俺はお前のことを信頼しているしな」
きっと圭士朗さんは、噓をつくのもとても上手い。
彼の心の中にある本当の痛みは、彼自身にしか分からないだろう。
しかし、僕は彼が笑ってくれる限り、その
何だか本当に色々なことがあった一日だった。
帰宅後、夕食も風呂も忘れて、ベッドに倒れ込む。
僕の毎日は、これから大きく変わることになるのだろう。
だけど今日だけは、そんな未来に想いを
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