第二話 勿忘草の炎帝(4)ー1


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 むろてんきりはらおりが勝負した、その日。

 放課後の部活動が終わり、個人練習が始まった後で校舎へと向かった。

 第一グラウンドに面する校舎にある音楽室、そこで吹奏楽部が活動をおこなっている。四階の窓から聴こえてくる演奏は、トレーニング中のBGMとなっており、僕は一度ならず楽曲をリクエストしたこともある。

 吹奏楽部の練習が終わるのは、大抵、サッカー部と同じ頃合いだ。階段を上りながら耳を澄ましてみたけれど、もう演奏は聴こえてこない。彼らの本日の活動も終わったのだろう。

 音楽室へと続く廊下に立ち、帰宅していく吹奏楽部の中に、目的の人物を探していた。

 十分ほど待っただろうか。ふじさきが音楽室から現れ、廊下に佇む僕に目を留める。

ゆう君。あれ、どうして……」

「この前の続きを話せないかなって思って」

「あ……。じゃあ、かばんを取って来て良いかな。準備室に置いてあるの」

 隣にいた友達に断りを入れてから、真扶由さんは小走りに音楽準備室へと入って行った。


 真扶由さんに告白されたのは先月末のことだ。あれから、もう十日が過ぎている。

 どういう結論に達するにせよ、僕は十日という数字を一つの基準にしようと考えていた。待たせられるだけの心は苦しい。長く膝の怪我に苦しめられている僕は、延期される期待の辛さを理解している。初めから必要以上の時間をかけるべきではないと思っていた。

 屋上に出て海岸線に目を向けると、太陽が沈みかけていた。

 第一グラウンドでは仲間たちが照明をつけて個人練習を続けている。あかりに照らされるチームメイトはここから視認出来るが、向こうがこちらを識別するのは難しいだろう。

「サッカー部、大会に向けての準備は順調? 先生に優雅君が大変なことを頼まれたって、が言ってた」

 同情でもするように、真扶由さんは苦笑いを浮かべて見せた。

「神室天馬って奴が一年生にいてさ。部に勧誘するよう言われたんだ。でも、難航してる。よく分からないへその曲げ方をしている奴で、どうアプローチして良いか分からない」

「先生、優雅君のことを頼りにしているんだね」

「どうだろう。サッカーのことならともかく、こんな問題を頼まないで欲しいっていうのが本音だよ。他人の気持ちなんてよく分からない。大体、本当はあいつだってサッカーが好きなはずなんだ。そうじゃなきゃ、あんなに上達出来るはずがない。それなのに、どうして……」

 思い出したら、また憂鬱になってきた。世怜奈先生に直接頼まれた案件だし、彼の加入がチームにとってプラスになると考えられる以上、コーチとしても投げ出すわけにはいかない。しかし、これ以上、何をどうすれば良いのか見当もつかなかった。

「ごめん。愚痴になってしまった。今する話じゃないね」

「ううん。優雅君の話なら何でも聞けてうれしいよ。サッカーの話をしている時、いつも優雅君は真剣だもの。多分、私はそういう姿を見ていたかったんだと思う」

「優しいね。真扶由さんは」

 素直に思ったことを口にしたのに、彼女は寂しそうに微笑んだだけだった。

「……私、覚悟は出来ているよ」

 どう切り出せば良いか分からず、黙り込んでしまった僕を促すように彼女が呟く。

 晩夏の風に撫ぜられて、表情を隠すようになびいた髪を、真扶由さんは耳にかけた。

「この前の続きを話したいってことは、告白の返事をもらえるんだよね?」

「うん。そのつもり」

「そっか。もう少しだけ、淡い期待を続けていたかったな」

 今にも泣き出しそうな顔で、真扶由さんは笑って見せる。

「優雅君に告白した女の子たちのうわさを、何度か聞いたことがあるの。中学でも高校でも優雅君は一度も交際の申し込みに頷いたことはないって」

 女子の情報伝達網は、いつだって男子にとって深遠な謎だ。

 何がどうなると、そんな話が出回るんだろう。振られてしまったなんて不名誉な話のはずだ。告白されたことを僕が誰かに話すことはない。つまり当事者である女の子の口から噂は始まるはずである。そんなことをしなければならない理由が、まったく理解出来ない。

「確かに何度か、こういうことはあったけどさ。真扶由さんは今までの人たちとは違うよ」

「違うって、どういうところが?」

「だって友達でしょ。僕は真扶由さんのことを友達だって思ってる。だから、簡単に答えなんて出せなかった。傷ついて欲しくないって思うから」

「友達か……。嬉しいような、寂しいような、複雑な言葉だね」

 友達と恋人の境界線。

 まだ子どもでしかない僕にとって、そのさかいは目をらすだけでは見えもしない。

「この十日間、ずっと考えていた」

 強張った眼差しで見つめる彼女に、僕はきちんと伝えなければならない。

「想いを伝えられた時、最初にわき上がった感情は戸惑いだった。けいろうさんの気持ちを知っていたから、ずっと真扶由さんのことは友達の想い人として見ていた。だから、いざ向き合おうと思っても、すぐには頭が切り替えられなかった」

 僕は話すのが得意ではないから、回りくどくなってしまう。

 しかし、たとえスマートではなくとも、彼女に対しては正直でありたかった。

「僕は真扶由さんの家族構成も、音楽以外に趣味があるのかも知らない。演奏曲目をリクエストしたことだってあるのに、吹奏楽部で担当している楽器さえ知らないんだ」

「私が吹いているのはアルトクラだよ」

 苦笑いを浮かべるしかなかった。名前を聞いても楽器の形さえ想像出来ない。

「ごめん。初めて聞く楽器の名前だ」

「ううん。今のは私の言い方がずるいの。ちょっと意地悪しちゃった。正確に言えば、アルトクラリネット。クラリネットなら思い描ける?」

「聞いたことはあるけど、やっぱり形までは想像出来ないや」

 今、僕らの間にある差異もまた、そういうことなのだろう。

 そして、その差異を埋めることは、きっと、とても難しい。


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