第二話 勿忘草の炎帝(3)-4


 最後の勝負が始まる。

 天馬が仕掛けた攻撃は、最初の対戦と同様のものだった。結局、これが一番得意なパターンなのだろう。左足のアウトサイドでボールをコントロールしながら、斜めに突っ込んでいく。

 そして、それは不意に起こった。フェイントのために減速し、天馬がまたぎフェイントを一つ入れた次の瞬間、伊織が自らの足をもつれさせ、たたらを踏んで転倒したのだ。

「あいつは一生、主演男優賞にはノミネートされないな」

 誰がどう見てもわざとらしい転び方だったが、ボールのコントロールに集中している天馬は気付かない。自らのフェイクで伊織を転倒させたと思ったのだろう。

 唇を強く結び、インフロントでボールを蹴り出すと、敵の消え去ったフィールドをしつそうしていく。転倒した伊織が追いつけるはずないし、元より追いかけるつもりもないのだろう。満足そうな顔で立ち上がると、伊織はゴールに突進していく天馬の背中を見守った。

 残るはGKとの一対一である。楓と天馬の間には、まだ距離がある。早めにシュートを打っても良いし、出て来たGKの頭上をループシュートで狙っても良い。角度をつけてかわすことも出来るだろう。このシチュエーションなら選択肢は山ほどある。PKを決めるより簡単だ。

「やっと来たか! 待ちくたびれたぜ!」

 ゴールライン上でステップを踏んでから、楓が前方に走り出す。

 楓は本気で止めるつもりだったが、FWなら絶対に決めなくてはならない場面である。

 GKが前に出たのを見て取り、天馬はシュートモーションに入る。まだ楓とは距離がある。フェイントをかけることも、コースを狙うことも出来たはずだが、相当なフラストレーションがまっていたのか、天馬が選んだのはフルパワーでシュートを放つことだった。

 ドリブルの勢いそのままに放たれたシュートが、ゴールの隅、最高のコースに飛んでいく。いかにリーチのあるGKでも、手が届かない位置は存在する。それは、蹴った瞬間に誰もがゴールを確信するような見事なシュートだった。しかし……。

 バックステップを踏んだ楓が、ほとんどりかえるような体勢でジャンプし、後方に大きく手を伸ばす。そして、目を疑うような光景が実現してしまった。

 天馬はコースを狙ったわけじゃない。怒りに任せて放ったシュートが、偶然にも最高のコースへと飛んだだけなのに、楓はすさまじい反射神経でボールに反応し、指先で触れると、紙一重のところで枠外へとらしていた。


 深い溜息と共にうつむき、圭士朗さんが右手で顔を覆う。

 その隣で、華代も引きつったように口を半開きにしていた。

 ぼうぜんと立ち尽くす天馬に、楓は高笑いを浴びせる。

「見たか一年ぼう! 俺様からゴールを奪うなんて百年早えんだよ! 幼稚園から出直してこい! この無能が!」

 楓は駆け寄ってきた穂高、リオと共に、よく分からない勝利の舞いを踊り始める。

 どうして、こいつらはいつも余計なことしかしないんだろう。

 敗者をろうするように踊り続ける楓の肩に、華代が全力でボールをぶつけた。

「いってえ! 何すんだよ、マネージャー!」

「早く練習に戻りなさい! さっきドッジボールしてたでしょ!」

「残念だったな! 顔面はセーフだから、俺はまだアウトになってないぞ!」

「そんなの知らないわよ! 大体、当たったのは肩でしょ! 先生に言いつけて強制補習を増やすからね!」

「そういうことやめろよ、ブス!」

 何だかんだ言いながらも、三馬鹿トリオは女子に弱い。

 華代のげつこうを受け、三人はすごすごと天馬の前から姿を消すことになった。

 天馬はその場に崩れ落ちたままだ。

 五度目の勝負でようやく伊織をかわし、GKとの一対一を作ったのに、こんしんのシュートはまさかのビッグセーブにあってしまった。

 フィールドでじゆうの眼差しを浮かべているのは、伊織も同様である。わざと転んで得点機を作ったのに、空気の読めない楓に最後の最後で計画を潰されてしまったのだ。

「こんな下らないことに、むきになりやがって。サッカーなんてただの球遊びじゃないか」

 片膝をついて立ち上がると、天馬は伊織を睨みつける。

「その球遊びで手も足も出なかったのはお前だろ」

「最後はあんたをぶち抜いたよ。もう忘れたのか?」

「GKとの一対一を外しておいてよく言うぜ。大体、忘れてるのはてめえの方だろ」

 天馬は膝の砂を払って立ち上がる。

「……忘れてなんかいないさ。約束通り、もうグラウンドには来ない。どうせ、サッカー部はすぐに廃部になるんだ。あんたたちの努力は全部、無駄だ」

「負け犬がえるな。さっさと消えろ」

「言われなくても消えてやるよ。俺はもうサッカーはしない。ガキの遊びはうんざりだ」


 売り言葉に買い言葉の言い争いを経て、天馬は一人、グラウンドから去って行った。

 去り際に放たれた言葉が、彼の本心だとは思えない。伊織の突き放すような言動だって、すべてはほう便べんである。しかし、こういう結果になってしまった以上、二人は共に引けなかった。

 天馬を見送った後で、伊織はにがむしつぶしたような顔で僕らの下に歩み寄る。

「キャプテン、どうやって責任を取るつもり?」

 華代の感情のこもらないれいてつな問いが突き刺さる。

「あの子、優雅の勧誘で心が動きかけていたから、あのまま入部したかもしれなかったのに。余計なことをしたせいで、もう絶対にサッカー部には近付かないと思う」

「分かってるよ。俺の失策だ。途中までは完璧だったんだけどな。楓の野郎……」

「楓のせいじゃないでしょ。本能で動く猿に何を期待しているの? 問題は過程だよ。あんなに完璧に仕留めることないじゃない。相手は一年生、長いブランクだってあったのに。自分の実力を考えて、ちょっとはげんしなよ。わいそうに。あの子、完全に自信を失ったと思う」

「中途半端な手加減は、全力を出すより難しいさ」

 華代に責められるのは、さすがに憐れと思ったのだろう。圭士朗さんがフォローする。

「結果なんて誰にも分からなかったんだ。終わってしまったことをあれこれ言っても仕方ない。優雅、この後どうするつもりだ? 一人ではんもんを続けるのもつらいだろ?」

 伊織との勝負にいどむ直前、一度、天馬の心は動きかけていたように思う。しかし、だからこそ、ただの話し合いでほんさせることは、もう不可能な気がしてしまう。

 監督から直々に命じられたミッションだ。

 簡単に諦めるわけにはいかないとはいえ……。

「ほとぼりが冷めてから、もう一度、勧誘してみるよ。ただ、率直に言って自信はない」

「いずれにせよ、選手権予選には間に合いそうにないな。ファウルをもらってくれそうな選手は大歓迎だったんだが」

 レッドスワンの攻撃は、かなりの部分をセットプレーに頼っている。起点となるファウルをもらえるドリブラーは、チームにとって大いなるプラス材料となっただろうけれど……。


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