第三話 秋霖の切片
第三話 秋霖の切片(1)
1
ガラスウォールの向こうで、
「雨の日のパリが、一番甘く香るって言ってたね」
映画館を出ると
「私、
「いや、知らなかったよ。前にも観たことあったんだけどな」
「近くに栗の木林があったら良かったのにね。私、きっと今日なら雨を好きになれると思う」
本日、映画館でリバイバル上映されていたのは『
サブリナ・フェアチャイルドをオードリー・ヘプバーンが演じた恋愛映画だが、観たことがなかったという真扶由さんは、最後までその展開にハラハラさせられたらしい。
「前にも観たことがあったってことは、優雅君はオードリー・ヘプバーンが好きなの?」
パステルブルーの傘を差してから、真扶由さんは僕の顔を覗き込んでくる。
「そうだね。多分、彼女のことは、きっと誰だって好きなんじゃないかな」
「言われてみれば確かに……。私も昔から好きだった。『ローマの休日』しか観たことがなかったのに不思議」
自分の傘を広げ、真扶由さんの隣に立つ。彼女と僕は頭一つ分の身長差がある。
「次に向かうのはパン屋だったっけ? あれ、『
「一応、パン屋さんかな。でも、スイーツも充実しているから、ケーキ屋さんって言っても問題無い気がする。楽しみだな。久しぶりなんだよね」
多くの女の子がそうであるように、真扶由さんも甘い物が大好きらしい。
付き合い始めた二人は、一体、何をすれば良いんだろう。
恋愛経験がないのは彼女も同様である。真扶由さんも僕と等分の揺れ幅で、この新しい関係性に戸惑っていた。
曖昧な時間を過ごすことで、緊張が不安に、期待が失望に変わり、
だが、僕らは毎日、共に遅くまで部活動に励んでいる。放課後に遊び歩くなんて考えられないことだった。
『今日も激しい練習をしていたね』とか『夕御飯のポトフが
この交際の目的は互いを知ることにある。能動的な努力も必要だろう。共に午前にしか練習がない日曜日、初めてのデートに出掛けてみようという話になったものの、すぐに何処へ出掛けるのかという次の難問が顔を現す。
僕にはサッカー以外に夢中になれるものがない。真扶由さんも似たようなもので、楽器を
恋愛というのは鏡のようなものなのかもしれない。サッカーの次に熱中しているものは何か。そんな問いを前に考察を始め、熟考の末に辿り着いたのは、古い映画を観ることだった。
結局のところ、僕は
十五分ほどバスに揺られ、真扶由さんのお気に入りだというお店に到着する。
今日は一日中、こんな天気なのだろうか。相変わらず
Little Puddingなる名の
「プリンを丸ごと一つ入れて焼いたパンが大人気なの。一度、優雅君にも食べて欲しいな。お土産に買っていこうよ」
「お土産ってことは、今食べるのは……」
「迷ってたけど、私はスフレにしようと思う」
そんな風に告げて、真扶由さんは
キャラメリゼされたクリームブリュレの表面を、スプーンの先で壊していたら、
「恋する女性はスフレを
少し前にスクリーンでも聞いた台詞が
「あの映画、楽しんでもらえたみたいだね」
真扶由さんが注文したのはスフレチーズケーキだが、商品は別に焦げてなどいない。
「一生の
「
「駅で合流するまで、ずっと緊張で頭がどうにかなりそうだったの。会話が途切れたらどうしよう。沈黙に動揺して、言わなくて良いことを口走っちゃったらどうしよう。色んな可能性を考えてしまって、昨日はろくに眠れなかったんだ」
「僕なんか緊張に値するような男じゃないのに」
真扶由さんは首を勢いよく横に振る。
「そんなことない。月に手を伸ばすなって、サブリナもお父さんに言われていたじゃない。私、耳が痛かった。失敗しちゃ駄目だ。上手くやらなきゃ駄目だ。緊張で足が地につかないような感覚でいたのに、不思議だよね。駅で優雅君と会った瞬間から、ずっと楽しく過ごせてる」
胸の辺りに手を置いて、想いを
「ざわついていた心が優雅君と会った途端、穏やかになって、それからは街の風景が明るく見えるの。映画で耳にする台詞の一つ一つが、胸の砂地に染み込むみたいだった」
「その感覚は理解出来るかも。緊張していたはずなのに、不思議と今は穏やかな気分だから」
「優雅君も楽しく過ごせている?」
不安と期待をない交ぜにした顔で問われ、肯定しようとしたまさにその時……。
「だから、いい加減に分かってよ! もう、うんざりなんだってば!」
真後ろのテーブル席から、少女の悲鳴にも似た叫び声が上がった。
店内は
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