第二話 勿忘草の炎帝(3)-1


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 九月七日、月曜日の放課後。

 神室かむろてん、勧誘作戦を実行に移す瞬間は、想定以上に早くやってきた。

 サッカー部になんて入らないと宣言をしてから四日後、再び彼がグラウンドから見える位置に姿を現したのだ。口ではあんな風に言っていたものの、やはり未練たっぷりなのだろう。

 天馬の姿に最初に気付いたのはだった。作戦の火蓋を切るのは、僕と華代の役目である。おりに合図を送ってから二人で近付いていく。僕らに気付いたら立ち去ってしまうのではというねんもあったが、一度こちらを睨んできただけで、天馬はグラウンドを見つめ続ける。

「君、四月に体験入部に来てくれた子だよね。見ているだけじゃ、つまらないでしょ。もう一度、練習に参加してみたら?」

 他意のない口調で華代が先に話しかける。華代の口調は普段から抑揚に乏しいため、演技めいたわざとらしさを感じることもなかった。

「混ざりたいわけじゃない。無駄なことに汗をかいてる奴らのアホづらを眺めていただけだ」

「天馬。後から思い出したんだ。君さ、試合で僕のマークについたことが何度かあったよね。背が伸びていたから気付かなかったけど、三乃松のレフティのことはよく覚えてる。あの当時、僕が振り切れなかったのは君くらいだから」

 正直に言えば、彼のプレーは記憶に残っていない。僕は伊織に指示された台詞せりふを述べているだけである。お前の記憶に残っていると言われたら、大抵の選手は舞い上がる。噓でも良いから、まずは褒めろと指示を受けていた。

「ふん。結局、一試合通してあんたを止めることは出来なかったけどな」

「味方のサポートがあったからだよ。うちのキャプテン、きりはらおりっていうんだけど、FWフオワードだったあいつのサポートがなければ、どうなっていたか分からない。伊織のことは覚えてる?」

「あんなでかい奴、忘れられるわけないだろ」

「伊織は高校に入ってから、CBセンターバツクにコンバートされたんだ。レッドスワンは戦力がじゆんたくとはがたい。そのせいで守備的に戦うって選択をいられている。伊織以外にも能力の高い先輩がDFデイフエンスにコンバートされててさ。前線は頭が痛いことに、あのありさまだよ」

 視線の先、フィールドから脱走した三馬鹿トリオがドッジボールを始めていた。

「一人狙いやめろ! きようだぞ! 一人狙いはやめろ!」

 叫ぶだかをめがけて、リオとかえでがサッカーボールをぶつけまくっている。あいつら、本当に全員まとめて燃え尽きれば良いのに。

「今、うちにはづき先輩っていうナルシスト一人しか左利きがいない。チームにアクセントをつけるって意味でも、君はのどから手が出るくらいに欲しい選手なんだ」

「……あんただってレフティだろ」

「僕は膝を痛めているから、選手権予選には出られない」

「あんた抜きで優勝を目指しているのか? 本当に現実が見えてないんだな」

「難しいのは分かってる。ただ、僕らは必ず成し遂げられると信じている。サッカーは個人競技じゃない。知性で戦力差は覆せるはずなんだ」

 気付けば、天馬の表情からとげとげしさが消えていた。心が動き始めているのだろうか。

 今はまだ立案された作戦の前段階だが……。

「廃部になるチームのために戦うなんて、時間の無駄だって思うのも分かる。でも、一度、練習だけで良いから出てみないか? 本当に無駄な努力をしているのか、確かめてみないか?」

 あと一押しで天馬は入部を決めてくれるかもしれない。

 手応えにも似た雰囲気を感じているのは僕だけではないだろう。

 華代もかたを飲んで事態の推移を見守っている。

「頼むよ。君の力を貸して欲しい。強豪相手に点が取れる。そういう選手が必要なんだ」


「いらねえよ。そんな奴」

 不意に、低い声が天馬の後ろから届いた。

 彼が振り返った先、校舎とグラウンドを繫ぐ通路に、怖いぎようそうで伊織が立っていた。自らの立場を知らしめるため、伊織はわざわざ黄色のキャプテンマークを左腕に巻いている。

 打ち合わせの通りの登場だが、もう少しだけ待って欲しかったというのが正直なところだ。

 まあ、こぼしても仕方ない。こうなってしまった以上、作戦通りに進める以外にない。

ゆう、レギュラーを決めるのはお前じゃないだろ。勝手に勧誘してんじゃねえよ」

「伊織は覚えてないのか? 彼には中学時代から光るものがあった。レフティのドリブラーは貴重なんだ。僕らには新しい力が必要なんだよ」

 伊織は値踏みするような眼差しを天馬に送る。

 真相を知っている人間からすると、三流役者の棒演技にしか見えないのだが、何かのスイッチが入ってしまったのか、伊織はたけだかな態度で笑い飛ばした。

しよせんは中学レベルだ。体験入部の時に、こいつが見せたプレーは覚えてる。こんな奴、ベンチにも入れやしねえよ。背番号をやるだけ布の無駄だ」

「言ってくれるじゃないか」

「お前、どうせ強豪校には勝てないって思ってんだろ。ただの負け犬じゃねえか。実力もねえ。根性もねえ。こんな奴、必要ねえよ。十回戦っても俺なら一度も負けないね」

「じゃあ、試してみるか? あんた、高校でCBにコンバートされたらしいじゃないか。俺が一番、けいべつしているディフェンダーを教えてやるよ。ファウルでしか敵を止められないぼうだ。あんたのようにな!」

「なめた口を利いてんじゃねえぞ。てめえみたいな根性無しに練習を覗かれてると気分が悪いんだ。来いよ。叩き潰してやる。負けたら二度とグラウンドに顔を出すな」

「上等だ。全部員の前でづらをかかせてやる。キャプテンマークを渡す相手を決めておけ」

 何故、レッドスワンの周囲には、こうも単純な人間が多いのだろう……。

 彼のプライドをくすぐった後で挑発し、フィールドに引きずり出す。伊織が立案した作戦は、ここまで完璧に成功していた。

 天馬はグラウンドに入ると制服の上着を地面に叩きつけ、一年生部員にスパイクを借りる。

 突然の部外者の登場に、フィールドの戦術練習がいつたん止まることになった。

 先生はかんの良い人だ。説明などされなくとも状況を把握したのだろう。

 満面の笑みを浮かべてベンチに戻ると、膝を抱えて楽しそうに僕らを眺め始める。


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