第一話 天泣の恋心(3)


             3


 八月二十七日、木曜日。

 夏休み明けの授業が再開してから、早いものでもう四日がっていた。

 放課後、掃除を終えて教室を出たところで、さんに呼び止められた。

ゆう君、これから部活だよね? 急いでる?」

 時計に目をやると、ウォームアップ開始の時刻が迫っていた。とはいえひざに異常を抱える僕はどんな練習にも参加しない。先生とのミーティングも本日は練習終了後だ。

「急いでるってことはないかな。何か用事があった?」

「じゃあ、少しだけ時間をもらえないかな。話したいことがあるの。出来れば人がいないところに行きたいんだけど……」

 一体何だろう。

 けいろうさんについて相談したいことでもあるのだろうか。

 夏休みが終わったら告白すると聞いていたが、Xデーまでは知らされていない。昨日までの圭士朗さんに普段と変わった様子は見られなかったし、まだ告白はしていないような気もするのだけれど……。


 真扶由さんに先導されて屋上に出ると、した熱風にさらされ、背中に一筋の汗が伝った。

 貯水タンクが作る日陰を見つけ、彼女と共にそこへ移動する。

「話っていうのは?」

 いつの間にか、真扶由さんの顔から困ったような微笑が消えていた。こんな風に半ば引きつった表情の彼女は見たことがない。言いにくい話なのだろうか。

「どんな言葉を使っても正確には伝えられない気がするから、正直に話すね」

 彼女の張りつめたような眼差しが、さらにゆがむ。

 真扶由さんは一度、小さく息を飲み込み、それから……。


「優雅君のことが好きです。出会った頃から大好きでした。私と付き合って欲しいです」


 彼女の唇からこぼれたのは、そんな言葉だった。

 あまりにもきよを突かれてしまったせいで、告げられた言葉を、ありのままの事実としてとらえることにさえ、随分な時間を要してしまった。

「……どうして? それ、本当に?」

 表情もろくに作れないまま、そんな風に聞き返すことしか出来なかった。

 しんな想いを伝えられて、それを問い返すというのは、もしかしたらとても失礼なことなのかもしれない。しかし、そうすることしか出来なかった。

 十七年の人生で、何度か女の子に告白されてきた。

 だけど、真扶由さんは過去に相対してきた、どんな女の子とも違う関係性の相手であるように思う。

 去年、僕は大会で授業を欠席する度に、ノートを見せてもらっていた。もちろん、彼女が最初にノートを貸したのは、小学校からの友人である圭士朗さんだったが、おまけで僕も助けてもらうようになり、そんな習慣は圭士朗さんが別のクラスになった今年も続いていた。中学生までなら、そんな風に女子に頼るなんて考えられないことだったはずである。

 真扶由さんとしやべるのは、用事がある時に限った話ではない。

 曇り空を見つめていて「雨の日と晴れの日、どっちが好き?」なんて聞かれてみたり、代表戦の前に「明日の先発FWフオワードって誰だと思う?」なんて尋ねられてみたり、そういう雑談みたいな会話を交わす機会だってひんぱんにあった。

 多分、真扶由さんは僕にとって初めて出来た異性の友達だった。何より親友の圭士朗さんが焦がれる少女でもある。告白されると同時に、反射的に断り文句を考え始めてしまうような、何度も経験してきた一風景と同じだなんて思えるはずがなかった。

「こんなことでうそはつかないよ。こんなことじゃなくても噓はつきたくないけど」

「ごめん。疑っているわけじゃないんだけど、圭士朗さんが……」

 唇を動かしてから、口をすべらせてしまったことに気付いた。それは僕が告げて良い話じゃない。他人が告げることを許されるような軽い想いじゃないのだ。

 失言に気付き、つくろすべもないまま動揺を見せると、真扶由さんの顔に微笑が戻った。

「大丈夫。知ってるよ。もう、全部、知ってるの」

「……どういう意味?」

「三日前に告白されたから。プレゼントを渡されて、その時に聞いたの。長野で優雅君たちと一緒に選んだんだって。だから優雅君が私にそういう感情を抱いていないことは分かってる」

 困ったように告げた真扶由さんの両目に、涙が浮かび上がっていた。

 彼女の腕を確認する。ながそでの下にブレスレットは……。

「プレゼントは受け取らなかったよ。受け取るわけにはいかないって思ったから」

 僕の視線に気付き、真扶由さんはそう言った。

「ごめんね。叶わないって知っているのに、こんなことを言うなんて自己満足でしかないって思ったんだけど。三日間考えて、考えて、考えて、やっぱり伝えなきゃって思ったの。優雅君に伝えない限り、スタートラインにさえ立たせてもらえないって分かったから」

 真扶由さんのそうめいな瞳から、一筋のしずくが零れ落ちる。

「私は入学してすぐに優雅君に惹かれてしまった。君のはかない声がたまらなく好きだったの。もう隠し事をしたくないから正直に話すね。サッカー部だった優雅君と圭士朗さんが仲良くなったことを、私は打算的に喜んでいた。圭士朗さんとは小学生の頃から友達だったから、二人が一緒にいる時なら話しかけることが出来た。優雅君の声を聞くことが出来た。でも、その裏でこんなことになっているなんて夢にも思っていなかった」

 真扶由さんは圭士朗さんの想いに気付いていなかったのか……。

 僕らが当たり前のようにベクトルを感じ取っていたのは、圭士朗さんから直接、話を聞いていたからなのだろう。

 よくよく考えてみれば、感情の起伏を見せない彼の淡い想いをさとるなんて、他人に出来るはずがない。それは想いのほこさきである真扶由さんも例外ではなかったのだ。

「プレゼント選びを手伝っていた優雅君が、私に好意を抱いているはずがない。そう理解していたけど、だからって簡単には諦められなかった。私だって軽い気持ちで優雅君のことを一年以上、好きだったわけじゃないから。ごめんね。優雅君はとても優しい人だから、こんなことを言われても困ってしまうって分かってる。でもさ……」

 真扶由さんの両の瞳から涙があふした。

「せめてスタートラインに立たせてもらえないかな。私は卒業するまで君のことを想い続けると思うから。だから、少しだけで良いから考えてもらえないかな。私のことを恋人に出来ないか考えて欲しいの」


『圭士朗さん、本気で真扶由に告白するつもりなのかな』


 今更ながら、合宿最終日にが言っていた言葉の意味を理解する。

「華代はこのこと、知ってたんだよね」

 真扶由さんは小さく頷いた。

「うん。優雅君のことを相談出来るのは華代だけだったから」

 男子が男子の完結した世界の中でそうしていたように、少女たちもまた、一つの恋を前に、空想や推測を繰り広げていたのだろう。

「……ごめん。ちょっと混乱してて。今は何も言えそうにない」

「うん。分かる気がする。三日前に圭士朗さんに話を聞いた時は、私も同じだったから」

 圭士朗さんは真扶由さんに想いを伝えたが、その恋は叶うことがなかった。

「一つ聞いても良いかな。僕のことを好きだって、それは圭士朗さんにも?」

「やっぱり優雅君は友達想いだよね。そういう優しいところが、私はとても好きだよ」

 照れたように告げてから、

「ごめんなさい。どうして良いか分からなくて、それも素直に話してしまったの。だから、圭士朗さんも理解してる」

 だとすれば、圭士朗さんは一体どんな気持ちで昨日までの練習に臨んでいたんだろう。どんな感情を嚙み殺しながら、へいぜいの表情を見せようと努めていたんだろう。

 圭士朗さんの気持ちを思っても、真扶由さんの気持ちを思っても、息が苦しくなる。

 ままならない世界に、胸が張り裂けんばかりに痛んでいた。

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