最終話 情熱の赤翼(6)


             6


「月夜に釜を抜かれたな!」

 決定的なシュートを止められたくせに、リオが決め台詞を吐き捨て、その背中にだかが飛び乗る。

 後方からおにたけ先輩が走ってきていたことには気付いていたけれど、まさか、あの場面でおりがパスを選択するとは思わなかった。生粋のFWとして育ってきたのに、何故、この土壇場でパスという選択肢が選べたんだろう。僕の知らぬまに伊織は少しずつ変わり始めていた。

 ゴールを決めた鬼武先輩は喜ぶ素振りすら見せずに、ゴールマウスの中のボールを拾う。

「まだ時間はある! 戻れ! とどめを刺すぞ!」

 それは、流れの恐ろしさを熟知している者の言葉だった。

 ゴールが味方に与える勇気は計り知れないものがある。同時に、タイムアップ寸前で勝利を逃してしまった相手へのダメージも尋常ならざるものがあるはずだ。

 少なくとも今は偕成学園の方が僕らより地力は上だろう。だからこそ、流れを引き寄せることが必要になる。たった一撃で流れは変わるのだ。

 けいろうさんが負傷した際に止められた時間が、まだ残っている。

 発表されたアディショナルタイムは五分だった。


 偕成学園を倒し、レッドスワンに二度と消えない命の火を灯す。これを最後の闘いにするわけにはいかない。こんなところで終わるわけにはいかない。

 まだ、かえでも、僕も戦えていないのだ。

 このチームには計り知れないポテンシャルが眠っている。圭士朗さんの無念だって、きっとフィールドでしか晴らせない。


 偕成学園の選手は完全に浮足立っていた。

 あっさりとプレスにかかり、ボールが僕らのものになる。

 勢いに乗った穂高は、投入された直後のような躍動感を見せていた。常陸ひたちとのワンツーで再びサイドを突破し、中に切れ込んでからクロスを折り返す。

 低い弾道で上げられたクロスはCBがクリアしたが、僕らのコーナーキックとなった。

 同点に追いついたことでCBに戻っていた伊織が、ゆっくりと上がってくる。

 セットプレーはレッドスワンの最大の武器だ。圭士朗さんはいなくとも、づき先輩もキッカーとしての能力では引けを取らない。

 中立の観客は正直だ。スタジアムを包む空気は、レッドスワンの逆転を願うものへと一変している。自然と沸き上がった手拍子が、スタジアム中にでんしていった。

 先生や僕を目当てに足を運んだ野次馬たちも、劇的な展開を目にし、全員がフィールドの攻防に心を奪われている。

 たとえサッカーに興味がなかった人間だとしても、こんな試合を前にして、胸が熱くならないはずがない。

 有史以来、最も多くの人間を熱狂させ、最も多くの国や地域で愛されてきた競技が『フットボール』である。目の前で繰り広げられているのはプロの試合じゃない。たかだか高校生の地方予選だが、何もかもが理屈じゃないのだ。

 時代も、国籍も、人種も、性別も、何もかもを超えて人々は熱狂するだろう。

 サッカーには語り尽くせない情熱が詰まっているからだ。


 大歓声を浴びながら、葉月先輩がコーナーキックのボールをセットする。

 ペナルティエリアには伊織、常陸、リオの長身トリオに加え、もりこし先輩、鬼武先輩、りよういちけんが待ち構えていた。

 零れ球で構わない。どんなに不器用なゴールでも構わない。とにかくあと一点を押し込めば、レッドスワンの勝利は間違いない。

 圭士朗さんと交代で入ったふうすけと快速の穂高だけを後方に残し、チームはリスクを恐れずに最後の攻撃に挑もうとしていた。

 葉月先輩はクロスの名手をお手本に、毎日、鏡の前で真似をしていたという。身体を斜めに倒して、その美しいフォームからボールが放たれる。

 弓なりの軌道で放たれたボールは、左サイドから左足で放たれているため、回転でゴールラインから離れていく。GKが飛び出して触ることは出来ない。

 ボールを蹴る前に葉月先輩はサインを送っていた。合図の通り、伊織とリオが待つファーにボールは落下していったが、偕成学園の選手も全員が自陣に戻っている。それでも、ジャンプした伊織の高さは、文字通り頭一つ抜けていた。

 マークについていたCBを弾き飛ばし、伊織はヘディングシュートを試みる。

 ヘディングシュートのセオリーはボールを地面に叩きつけることだ。人間の目は直線の動きに強いが、地面に反射させることで角度をつけることが出来る。

 伊織はしっかりとシュートを地面に叩きつけたが、先の波状攻撃を立て続けに防いだように、再びあの名手が片腕一本で跳ね返ったシュートを弾く。

 GKが弾いたボールが敵DFの背中に当たり、リフレクトしたボールが逆サイドに高く上がる。その落下点に誰よりも早く入ったのは常陸だった。中学生までバスケットボールをやっていたその経験が、彼の空間把握能力を形作っている。

 常陸はしっかりと周りを見た上で、ヘディングでボールを真横に落とす。常陸がフィニッシャーとして選んだのは、同点ゴールを叩き込んだ鬼武先輩だった。先輩も自分に落としてくれると信じていたのだろう。迷うことなくボレーシュートにいったが、偕成学園はゴールを決めたばかりの男を再びフリーにするようなチームではない。

 鬼武先輩のシュートはどうじようの決死のスライディングで弾かれ、ボールが跳ね返る。

 再びリフレクトしたボールに最初に反応したのは、抜群の嗅覚を誇る伊織だった。フィフティフィフティのボールを無理やり自分のものとすると、ゴールを真っ直ぐに見据える。

 伊織の位置からゴールまではおよそ十メートル。彼の目の前の空間には、味方も敵も密集している。シュートモーションに入った伊織は、飛び込んできたDFをフェイクでかわし、逆に切り返す。ゴールまでの道筋を確認するために、伊織は再びルックアップする。

 そして、それはその一瞬で起こった。伊織の背後に忍び寄っていた堂上が、スライディングタックルを試み、伊織ごとボールを刈り取ったのだ。

 すべてはペナルティエリアの中で起きている。伊織が倒された瞬間、PKを得たと思った選手もいたことだろう。だが、主審は笛を吹かなかった。

 堂上はギリギリのところでボールにも触っていた。

 ボールごと伊織を蹴り飛ばした後で、堂上はすぐさま立ち上がると、転がったボールを拾う。それから、ペナルティエリアの外へ向かって三メートルほどボールを前進させ、顔を上げて前方を見据えた。

 ハーフウェイラインの後方から、猛然とレッドスワンのエンドに向かってダッシュしていたのは、もう一人のFW、あきらだった。

 堂上は大きな歩幅で踏み込み、カウンター攻撃のために走る加賀屋に向かって、ロングフィードを放つ。センターマークの辺りでポジショニングしていた封介の頭上を越え、スルーパスのような形でボールは転々としていく。

 カウンターに移った加賀屋に誰よりも早く気付いたのは、守備についていたもう一人、穂高だった。それぞれのチームで最速を誇る二人が、堂上のパスを全速力で追いかける。

 そして、その軍配は加賀屋に上がった。穂高がスピードで負けたわけじゃない。加賀屋が走り出した方が圧倒的に早かったのだ。

 人間はいきなり最高速度に到達出来るわけじゃない。

 穂高が堂上の意図に気付いた時には、加賀屋は既にスピードに乗っていた。全速力で駆けていく敵には、穂高の足をもってしても追いつけない。

 加賀屋はバイタルエリアでパスに追いつき、そのままゴールに向かって突進する。

 完璧なパスに抜け出し、GKとの一対一を迎えた加賀屋は何処までも冷静だった。一度、後方を確認し、誰も自分に追いつけないことを確信する。

 加賀屋が再びGKを見据えたその時、おうろうが勝負に出た。

 既に一度、加賀屋にはゴールを割られている。このFWはコースを狙う精度とGKに反応させない威力のシュートを持っている。待ち構えていては止められない。

 央二朗は加賀屋に向かってダッシュを始める。

 かわされてしまえばフォローはいない。だが、ノープレッシャーでシュートを打たれるよりも止められる可能性は高い。その時、央二朗が選んだ選択肢は、決して不用意なものではなかっただろう。

 だが、GKが自分に迫って来るのを見た加賀屋は、ドリブルの歩幅を変える。大きな一歩で転がるボールの横に軸足を踏み込み、次の瞬間、加賀屋は爪先でボールを浮かせていた。


 それは、時間が止まったようにふわりと浮いたループシュートだった。

 なす術を持たない央二朗の頭上をゆっくりと越え、そのシュートは美しい軌道を描いて、無人のゴールに吸い込まれていく。

 一瞬、スタジアム中の音が消えた後で……。

 歓喜と悲鳴のきようせいが爆発する。


 インターハイ予選、準決勝。

 赤羽高校対偕成学園の戦いは、二対三というスコアで決着がつく。

 僕たちレッドスワンは再び、準決勝で偕成学園に敗北を喫することになった。


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