最終話 情熱の赤翼(5)ー2


 賢哉の投入は言葉による指示よりも雄弁だった。

 この形は練習試合でも何度も試している。全員の意識は既に統一されていた。

 僕たち二年生は赤羽高校に入学以来、『ウドの大木世代』と呼ばれ、先輩たちに馬鹿にされ続けてきた。

 背が高いだけ。優し過ぎる。根性がない。こんな奴らでは勝てない。

 そうやって嘲笑われ、前監督にも満足にチャンスをもらえないままだった。

 しかし、今は違う。

 世怜奈先生の指導の下、共通の意識を持つ一つの動体として、格上の相手にだって会心の一撃を見舞えるチームに成長している。

 ワントップだった最前線に突如、リオと伊織が加わり、明らかに偕成学園は戸惑っていた。

 パワープレイにおいて重要なのは、いかに正確なクロスを供給するかである。

 圭士朗さんがベンチに下がった今、最もクロスの精度が高いのは葉月先輩だ。そんなことは敵も十分に把握しているのだろう。葉月先輩にボールがわたる度に、偕成学園は二人がかりで激しいプレスをかけてきた。

 どんなに長身の選手を揃えても、クロスが上がらなければ戦いは始まらない。しろさきづきを抑えれば勝てる。偕成学園はレッドスワンで誰が一番危険な選手なのか、悟り切っていた。

「だけどさ、そんなこと、こっちだって把握してるに決まってるよね」

 コーチングボックスに立ち、世怜奈先生は不敵に笑う。

 試合最終盤のパワープレイで、葉月先輩にマークが集中することなど、完全に想定済みである。リスクをケアしたつもりかもしれないが、手の平の上で踊らされているのは彼らの方だ。

 プレスを仕掛けてくる二人との勝負を避け、葉月先輩が後方に戻したボールを、CBがダイレクトで前方に戻す。それをトラップしたのは、右SBの鬼武先輩だった。持ち場から遠く離れた先輩はボールをトラップすると、そのまま持ち前の突進力で前方に突っ込んでいく。

 葉月先輩のマークに出た選手が空けたスペースを突き進み、鬼武先輩が顔を上げる。ペナルティエリアでは三人のFWがボールの供給を待っていた。

 鬼武先輩にクロスを上げさせるわけにはいかない。慌てて敵のボランチが距離をつめたが、先輩はあっさりと左サイドの穂高にスルーパスを出した。

 二人のCBで三人のFWはケア出来ない。中央に絞っていたSBが空けた広大なスペースを、穂高が駆け上がる。

 後半は攻めるゴールの側に、自軍の観客席がある。

 左サイドをぶっち切って駆け上がる穂高に、スタンドから歓声が沸いた。

 アタッキングサードに進入し、ペナルティエリアの横で穂高は中央に視線を向ける。SBが血相を変えて、穂高との距離をつめていた。

 穂高は右利きだが、左足でもクロスを供給出来る。クロスを上げるためのキックモーションに入り、眼前に迫るSBがスライディングで身体を投げ出したその時、穂高は小さくボールを浮かし、飛び込んできたSBをかわすと、さらに前方へドリブルを続ける。

 学習能力なんて言葉からは縁遠い穂高だけれど、彼もまた八ヵ月間、世怜奈先生の指導を受けてきたのだ。その脳裏に、彼女の哲学が刻まれている。

 攻撃でも、守備でも、空中にあるボールに触る選手は、ディフェンス側である場合が多い。

 戦術練習を開始した頃、世怜奈先生はその理由を全員に質問した。

 守備側の人数が多いから。CBには背の高い選手が多いから。幾つかの回答が出た後で、世怜奈先生は最大の理由が角度にあると断言する。

 大抵の場面で、DFは放り込まれるボールに対し前を向いて対処出来るが、FWは後方から送られて来るボールを処理することになる。どちらが容易かは説明するまでもない。DFが空中戦に勝つ確率が高いのは、そこに理由があるのだ。

 では、どうすれば状況を覆すことが出来るのか。そこで重要になるのがサイド攻撃である。人数が密集しやすい中央とは異なり、サイドにはスペースが広がっていることが多い。だが、そこから攻撃を仕掛ける本当の目的は、真横からクロスやパスを上げることで、守備と攻撃のボールに対する角度を同じにするためなのだ。

 では、もしもCBより深い位置まで、えぐることが出来たならどうなるだろうか。自陣側に戻すマイナスのクロスが上がれば、状況は根本から覆る。守備陣は後方からのボールを処理することになるが、攻撃陣は前を向いたままプレー出来るだろう。

 だからこそサイド攻撃では可能な限り、深い位置までえぐる必要がある。ドリブルを見せつけるためじゃない。無駄に走っているわけでもない。

 マイナスに折り返すことで、中央エリアにおける攻守のアドバンテージを逆転するのだ。

 左サイドを駆け上がった穂高の細胞には、世怜奈先生の哲学が刻み込まれていた。

 SBをかわし、ゴールラインぎりぎりまで駆け上がった状態で、中央にマイナスのクロスを折り返す。もちろん、グラウンダーではない。高さでは絶対に負けないのだ。弓なりに弧を描いたボールが放り込まれる。

 落下点に飛び込んだのはニアの伊織だった。CBを一人引きつれて全力でジャンプする。

 身体が伸びきった状態では、強いシュートを打てない。伊織が選んだのはフリックオンだった。飛んできたボールに触り、ほとんどコースを変えずに自身の後方に流すプレーである。

 フリックされたボールは、釣り出されたCBの頭上を越え、ゴールの真正面に飛び込んだ常陸の前に落ちていく。

 フリーになった状態で、常陸は高い打点のヘディングを叩き込む。

 完璧なシュートだった。クロスの勢いそのままに、ゴールの右隅へボールが飛んでいく。

 完璧に仕留めたと思った。しかし……。

 頭で考えたというより、肉体が反応したといった方が適切だろう。ヘディングシュートに対しGKは横っ跳びで食らいつき、ゴールライン上でブロックしていた。

 GKが弾いたボールは、勢いを殺され、ペナルティエリアへと跳ね返る。

 敵の左SBがクリアするより早く、零れ球に反応したのは、三人目のFWとして飛び込んでいたリオだった。敵より一瞬早くボールに駆け寄り、迷うことなく右足を振り抜く。

 リオのシュートは常陸のシュートとは反対の左隅へ蹴られたものだった。今度こそ仕留めたと思ったのに、当たっているGKというのは、こうも恐ろしいものなのだろう。

 二秒前に右方向に飛んでいたはずなのに、GKはリオのシュートに合わせて、今度は左方向に全身を投げ出していた。

 足だろうと顔面だろうとセーブの方法に良いも悪いもない。リオのシュートは敵GKの脇の辺りに直撃し、防がれる。まさしく神がかり的なセーブだった。

 だが、リフレクトしたルーズボールを、再びレッドスワンがものにする。ゴール前に舞い戻った伊織がボールを拾い、そのまま突進してきた敵のSBを左方向にかわす。

 一連の動作の間に、敵のGKが立ち上がっていた。

 GKの動きを見ながら、伊織はシュートモーションに入る。SBを左側に避けてかわしてしまったため、ゴールマウスまでの角度はない。利き足も逆である。

 GKはシュートコースを消すために、伊織に向かって駆け出していた。

 角度はない。コースもほとんど切られている。だが、伊織は生粋のFWとして成長してきた選手だ。逆足でも狭いコースにぶち込めるだけのシュート技術がある。

 三度目の決定的なシュートである。これを止められたら、多分、もう追いつけない。

 会場に集ったすべての人間の視線が、伊織ただ一人に注がれていた。

 そして、次の瞬間……。

 シュートモーションから放たれたのは、マイナスに折り返すグラウンダーのパスだった。

 GKを含めて誰もが呆気に取られる中、ぽっかりと空いたペナルティエリアに走り込んだのは、一連の攻撃の起点を作った鬼武先輩だった。右サイドから左サイドへ走り込み、穂高へのスルーパスを出した後で、先輩はさらに中央へ突っ込んで来ていたのだ。

 伊織からの優しいラストパスを、鬼武先輩はダイレクトで蹴り込み……。

 祈りを込めたそのシュートは、今度こそゴールネットを揺らす。


 ストップウォッチに目をやると、ゲームはアディショナルタイムに突入していた。

 後半、三十六分。

 おにたけしんすけの起死回生の一撃により、ゲームは二対二のイーブンとなっていた。


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