最終話 情熱の赤翼(5)-1


             5


 レッドスワンのキックオフで、運命の後半戦が始まる。

 選手交代は両チーム共になかったが、一年生ボランチのろうは、十五分でアタッカーのだかと入れ替わることが決まっている。スタミナを残しておいても仕方がない。狼はキックオフと同時に猛烈なプレスをかけ始め、主導権を握るための特攻役となっていた。

けいろうさんにマークがついたね」

 後半開始から一分も経たない内に、先生が呟く。

「レッドスワンの司令塔が誰なのか、前半のゴールで気付いたってことかな」

 前半、二人のFWは自由にプレスをかけていたが、今は『佐渡の重戦車』なる異名をテレビ局につけられたどうじようこういちろうが、圭士朗さんのマンマークについていた。

「有効な手かもね。中央の圭士朗さんが潰されるとパスが滞ってしまうもの。まあ、単純なプレスでボールを奪われるような選手なら、心臓部にコンバートなんてしないわけだけど」

 密着マークを受けているにも関わらず、圭士朗さんは相変わらずボールを中央で見事に捌いていた。彼は線が細く、パワーがあるタイプではない。しかし、視野の広さと平常心を失わない冷静さを根拠に、絶対的なキープ力を誇っている。

 圭士朗さんにマークがついたことで、ゲームはより一層のこうちやく状態を見せるようになった。


 もう一点取って、ゲームを決める。

 後半十五分、明確な意思と共に、狼に替えて穂高が投入される。

 三馬鹿トリオの一人、スピードスターのときとうだかは、良くも悪くも特徴的な選手だ。

 突破力はあるものの視野が狭く、手詰まりになってから苦し紛れのパスを出すことが多いため、カウンターをくらう原因となることがしばしばある。

 しかし、彼の弱点については、左サイドでコンビを組むづき先輩が十分に把握していた。アタッカーが仕掛けるには、コースを作るために、追い越して敵を引きつける後方からの支援が欠かせないが、ピンチを招くくらいなら待機してサポート態勢を作っておいた方が良い。リードしているこちらがリスクを冒す必要もない。

 フレッシュな穂高に左サイドからの攻撃を任せ、葉月先輩は無理に上がることをしなかった。


 スコアが動かないまま二十分が経過する。

 ボランチが減ったことでシュートを打たれるシーンが増えたけれど、食い止められているのは、やはり圭士朗さんの功績だろう。マンマークについた堂上の目的は、レッドスワンの司令塔を抑えることだが、まったく同じことをやり返されていた。ここまで堂上はエースとしての仕事を何一つやらせてもらえていない。

 堂上が苛立っていることは誰の目にも明白だった。フィジカル勝負に持ち込もうと、何度か強引な突破を試みていたが、彼にへびしまそうすけのようなこうかつさはない。その度にファウルを取られ、ホイッスルを吹かれていた。

「どうして偕成は堂上を交代させないんでしょうか? ブレーキにすらなってますよね」

 もう一人のFW、は何度かチャンスを作り出しているものの、堂上はチームのリズムを崩すようなプレーしか出来ていない。

「エースってことなんでしょうね。FWはどれだけ失敗を繰り返しても、最終的に得点を奪えさえすれば合格。向こうの監督は堂上にそれが出来るって信じているんだと思う」

「……先生も、そう思いますか?」

「まさか。彼が圭士朗さんに一対一の勝負を挑む限り、負けることはないわ」

 両監督が共に、チームのキープレイヤーが相手より勝っていると信じている。この試合が終わった時に、どちらの信頼が正しかったのか証明されることになるだろう。

 そう思ったのだけれど、事態は誰もが想像していない形で決着を見ることになった。


 一対〇のまま迎えた後半二十六分。

 DFからボールを受けた圭士朗さんは、加賀屋のプレスを難なく避けると、身体を当ててボールを奪おうとした堂上を、マルセイユルーレットで華麗にかわす。

 前を向いた圭士朗さんの視線の先にいたのは、左サイドを駆け上がる穂高だった。身体を大きく開いて、圭士朗さんがロングパスを通そうとしたその時、完璧にかわされて頭に血を上らせた堂上のスライディングタックルが後ろから入る。

 それは、誰がどう見ても悪質なプレーだった。ボールに届かないことを承知の上で、彼は圭士朗さんを刈ろうとしたのだ。

 振り抜こうとした右足を潰され、激痛に顔を歪めて圭士朗さんが地面に転がる。

「何しやがるんだ、てめえ!」

 危険なプレーに激昂したおにたけ先輩が、堂上の下に駆け寄る。先輩は初戦で一枚、イエローカードを受けている。累積で二枚目の警告を受けた場合、次節が出場停止となってしまう。プロの世界ではベストメンバーで決勝戦を戦えるよう、準決勝で累積カードが帳消しになる大会もあるが、本大会にそんなレギュレーションは設定されていない。

 慌てておりが抑えつけたが、鬼武先輩の怒りは収まらなかった。

 間に合わないと分かった上でのスライディングである。レッドカードでもおかしくないような危険なプレーだったが、主審が提示したのはイエローカードだった。

 地面に転がった圭士朗さんは右足を押さえたまま起き上がらない。駆け寄った仲間たちの中心で、その顔を激痛に歪めていた。

「……まずいかもしれないです。足首が変な方向に曲がったように見えました」

 苦渋の眼差しでが呟く。

 地区予選から七試合、かえで以外は誰一人として大きな怪我に見舞われることなく、今日まで戦ってきたのに……。

 地面に横たわったまま、圭士朗さんは右の足首を押さえている。刈られた衝撃で関節を内側に捻ってしまったのだろう。靭帯が軽く伸びた程度ならともかく、断裂していた場合は……。

 圭士朗さんの傍に片膝をついていた伊織が立ち上がり、両手で×印を作った。

「駄目か。よりによって狼を替えた後で……」

 世怜奈先生はウォームアップさせていた控えメンバーに視線を向ける。

ふうすけ、ボランチで行くわよ。すぐに準備して」

 交代要員として呼ばれたのは、二年生のかなざわふうすけだった。連携に問題はないはずだが、ふんじんの働きを見せていた圭士朗さんの代わりを務めることに明確な不安があるのだろう。

 封介は青褪めた顔をしていた。レッドスワンの存続がかかる試合に、一点リードした状態で放り込まれるのだ。その重圧は計り知れない。


 伊織ともりこし先輩の肩に両腕を預け、圭士朗さんは右足を浮かせたままベンチに戻ってきた。

「すみません。靭帯を損傷してしまったと思います」

 ベンチに腰を下ろして圭士朗さんはうつむく。髪が横顔を隠し、表情が分からなくなる。

 フィジカルコンタクトが多いサッカーは、怪我がつきもののスポーツだ。堂上に怪我をさせる意図があったとまでは思わないが、潰されたのはレッドスワンの司令塔である。即座に華代がアイシングの準備を始めたけれど、明日の決勝戦に回復が間に合うとは思えない。

 残り時間は十分を切ったものの、試合の様相は急速に混迷の色を見せ始めていた。

 そして、圭士朗さんの負傷から一分も経たない内に、その瞬間は訪れる。

 相手選手を負傷離脱に追い込み、イエローカードを受けたにも関わらず、堂上にはまったく萎縮が見られなかった。スローインを受けた森越先輩に後方から体当たりを仕掛け、軽々と吹っ飛ばすと、そのまま転がったボールを奪い、ゴールへと突進する。

 あっという間の出来事だった。主審にファウルをアピールする時間もないままに、堂上は奪ったボールを呆気なくゴールネットに突き刺し、ゲームを振り出しへと戻す。

 当然、レッドスワンのイレブンは納得がいかない。

 堂上のプレーはファウルではないのか。伊織と鬼武先輩が猛抗議をおこなったが、結果は覆らない。逆に伊織にイエローカードが提示され、鬼武先輩も口を閉ざすしかなかった。


 決して認めたくはないけれど。

 これが、プロを目指すという確固たる決意を抱く男の強さなのだろう。相手に怪我をさせても気持ちは揺らがない。隙が出来たのであれば、徹底的にそこを突く。何が何でも勝つのだという気持ちの強さは、これまでに戦ってきたどんな相手とも異なるものだった。

 勝負には流れがある。堂上の一撃によって、確実に流れは変わってしまった。

 試合巧者は畳みかける。同点ゴールのいんも消え去らぬ内に、今度は加賀屋が堂上とのワンツーで中央を突破し、華麗な勝ち越し弾を叩き込む。

 それは、わずか二分間の逆転劇だった。

 信じられない展開に、レッドスワンのイレブンは誰もが呆然と立ち尽くす。

 わずか十分先に迫っていた勝利がするりと零れ落ちただけじゃない。感情も立て直せないまま、敗北の恐怖が喉元に突き付けられていた。

「……ゆう。やっと、お前の気持ちが分かったよ」

 絞り出すような声で、圭士朗さんが吐露する。

「お前はずっと、こんな悔しさを抱えながら、俺たちの試合を見守っていたんだな」

 圭士朗さんは手にしていたペットボトルを握り潰す。

 彼が感情をたかぶらせる姿なんて、僕は一度も見たことがない。どんな状況に陥っても、どんな理不尽を突き付けられても、冷めた眼差しで冷静に状況を見守っていたのに、怒りを隠しもせずに、圭士朗さんはフィールドを睨みつけていた。

「こんなに自分に腹が立ったのは初めてだ。どうして俺はこんな時に……」

 怒りに身体を震わせる圭士朗さんの頭に、世怜奈先生が優しく手を置いた。

「私は生徒の悔しさを、悔しさのまま終わらせたりはしない」

 負傷で中断した分の時間は追加されるだろうが、残り時間はわずかに五分である。

 偕成学園は既に守りに入っている。

 スピードのある加賀屋一人を前線に残し、堂上までもが自陣エリアで守りに参加していた。

「私は皆を信じている。信じているから、諦めずに起死回生の一手を打つ。サッカーの勝敗を決めるのは時の運じゃない。勝利のために必要なのは、いつだって相手に負けない知性だもの」

けん! 交代だ!」

 世怜奈先生の言葉を聞くと同時に、僕はアップ中のメンバーに対して叫んでいた。そんな僕を見て、先生はにっこりと頷く。

 そうだ。逆転に気落ちする必要なんてない。偕成学園が自分たちより強いことなど最初から分かっていた。十分に準備をしてきたシチュエーションじゃないか。

 試合の序盤から誰よりも走り続けてきたひろおみの体力は限界寸前だ。交代でみねむらけんCBセンターバツクに入れ、伊織を最前線に上げる。相手が守備を固めているなら、伊織、常陸ひたち、リオの長身スリートップにボールを放り込み、パワープレイで突き崩せば良い。

 そう簡単に終わらせるものか。敵も精神の未熟な高校生だ。試合最終盤のパワープレイに、全員が冷静に対応出来るはずがない。必ず何処かにほころびが生じるはずだ。


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