第六話 破滅の黙契(4)ー1
4
エンドを替えた後半戦、風は強く後方から吹いていた。
残り三十五分、最低でも二点を取らなければ、レッドスワンは廃部になってしまう。
圧倒的に不利な状況だが、ピッチに送り出された仲間の表情は、前半終了時とはまるで異なるものだった。
遠目でも全員が集中していることが分かる。この二週間、胸を支配し続けた迷いを振り払い、チームはようやく正しい覚悟を手に入れていた。
長潟工業のキックオフで始まった後半戦。
予想通り、二点差に気を良くした彼らは、開始早々、前がかりになって攻めてきた。前半はほとんど上がりを見せなかったSBやボランチも攻撃に参加し、層の厚い攻めを見せてくる。
早い段階で一点取り、試合を決める。彼らの出足からは、そういう想いが読み取れた。
しかし、長潟工業の攻勢は三分も続かない。
前半に主導権を握ったのは、守備を重視しているにも関わらず、レッドスワンだった。それだけ二つのチームには地力差があったのだ。前回の対戦から九ヵ月が経っている。過ぎた時間は同じでも、経験してきた日々は大きく異なるものだ。
人数の少ないレッドスワンが再びイニシアチブを握るまで、五分もかからなかった。
SBの二人が溜めを作り、
前回の対戦のようにはいかない。三点目を取ってゲームを終わらせることは難しい。そう判断した長潟工業が、意識を守備へとチェンジし、自陣でブロックを形成し始めたのだ。
ゴールのある中央へ自然と選手は寄っていく。当然、空くのは両サイドだ。左の高い位置にポジションを取った穂高が、次第に敵陣深くまでドリブルで進入出来るようになっていた。
三分割にしたピッチを、自陣側から『ディフェンシブサード』『ミドルサード』『アタッキングサード』と呼ぶ。攻撃陣はアタッキングサードでの仕掛けに成功しているものの、守備のリスクを考え、ボランチの二人は高い位置を取れていない。良いクロスが上がっても中で合わせる人数が少ないため、なかなか決定機までは作れていなかった。
刻々と残り時間は減っていたが、レッドスワンに焦りは生じていない。
攻撃の形は出来ている。これを繰り返し続ければ良い。
後半も十五分を過ぎた頃より、ゲームは再び、人数差を感じさせないハーフコートゲームになっていた。クリアに徹する長潟工業と、それを拾ってはサイドに散らして攻撃を繰り返す赤羽高校という構図だ。
「好きにやらせろ。中は一人だ。無理に取らなくて良い! ファウルだけ気をつけろ!」
FWの
単調な攻撃では、やがて相手の目も慣れてくる。蛇島の挑発的な言葉は真理だろう。幾らリオに高さがあっても、ジャンプした瞬間に身体を寄せられていれば、ヘディングのために身体を
相手はワントップのリオに対し、二人のマークをつけている。
「どうせクロスしか上げられないんだ! 中を固めれば良い!」
レッドスワンの攻撃は手詰まりだ。奴らには何も出来やしない。蛇島は暗にそう言っている。僕らを
「馬鹿だな。そんなこと分かってやっているに決まってる」
思わず、唇から本音が零れ落ちた。この五分間、レッドスワンの攻撃は、ウイングによるサイド攻撃しかおこなわれていない。そろそろ頃合いだろう。
ボールがサイドのタッチラインを割ったところで、葉月先輩に合図を出した。後半開始から二十分が経過し、既に十分な布石が打たれている。あの作戦を使う時がきたのだ。
ボールがタッチラインから出た際、プレーは両手で投げ入れるスローインによって再開される。レッドスワンではスローインはSBの役目だ。ボールを受ける選手には大抵マークがついているため、投げ込まれたボールはワンタッチでスローワーに戻されることが多い。
左サイドのスローインは葉月先輩の仕事である。しかし、先輩は寄って来たボランチの
これまでと異なるSBの動きに、プレスに来ていた蛇島が戸惑いの眼差しを浮かべる。
裕臣のスローインを受けた圭士朗さんは、背負っていたプレイヤーを反転してかわすと、そのまま前を向く。そして、ツータッチ目で早くも左ウイングの穂高にスルーパスを通していた。
「中を切れ! 縦への突破は構わない。どうせクロスは跳ね返せるんだ!」
敵の6番、
並の選手が穂高のスピードに追いつけるはずがない。
抜け出した穂高に、クロスを上げるための絶好のチャンスが訪れる。
次の瞬間、キックモーションに入った穂高がクロスを上げると、誰もが予想したことだろう。しかし、穂高はクロスの体勢から無理やり身体を捻り、ボールを走ってきた後方に戻す。
予想外のパスに、穂高を追っていた敵のサイドハーフも反応出来ない。
ボールが収まったのは、穂高の後ろから突っ込んで来ていた鬼武先輩の足下だった。予想外の選手の登場に、何人かが逆サイドに目をやったのが分かった。
鬼武先輩は右SBである。このゲームが始まってから、一度たりとも中に進入して来たことがなかったのに、今、彼は左サイドのライン際を駆け上がって来ていた。
ワンタッチでボールを中央にトラップすると、そのまま先輩は鋭角に切り込んでいく。
ショルダーチャージを試みた敵のボランチを、意にも介さずはね飛ばし、ドリブルで突っ込んでいく。そして、シュートモーションに入った先輩の足下に、斜め後方からスライディングタックルが入った。
鋭いホイッスルが鳴り、ゲームが止められる。
ペナルティエリアの手前で、鬼武先輩はファウルで倒されていた。中央突破に慌てて、たまらずファウルを犯してしまったのは蛇島だった。
派手に転んだ鬼武先輩に蛇島は手を差し出したが、先輩はその手を激しく払う。見せかけの礼節で場を濁させやしない。悪質なファウルは悪質なファウルだ。
蛇島にイエローカードが提示された意味は大きい。彼は審判を欺く行為、シミュレーションの常習犯だ。何度も煮え湯を飲まされたが、カードをもらってしまった以上、このゲームではもうダイブ出来ないだろう。もう一枚、カードをもらえば退場になるからだ。
押し込む展開が続いていても蛇島の存在は確かな脅威となっていた。何度もクロスが上がっていたのに、圭士朗さんが前線に上がれなかったのは、裏抜けをケアしていたからである。
しかし、これでもう蛇島には汚い真似が出来ない。正当な戦いであれば
鬼武先輩が得たフリーキックは得点に結びつかなかったが、レッドスワンの攻勢は続く。
僕の指示を受け、SBの葉月先輩と鬼武先輩がやったのは、単純なポジションチェンジだが、その効果は目を見張るものがあった。二人のプレースタイルは百八十度異なる。ボールの持ち方も、ドリブルのスタイルも、何もかもが正反対と言って良い。
ナルシストの代名詞、葉月先輩はボールをアウトサイドに置いて敵との距離を取りながら、間合いとタイミングで仕掛けていくが、鬼武先輩はボールを利き足の前に置き、当たり負けしない恵まれたフィジカルを生かして突進していく。
自分がどう見られているかを常に意識しているからだろう。葉月先輩は少し移動する度に身体をニュートラルな体勢に戻すため、三百六十度、自由自在に動き回れるし、身体をぶつけられても
一方、鬼武先輩はまったく逆の剛性タイプである。身体をバネのように使い、地面の反発力をそのままパワーに変える突進は、単調なリズムを補って余りある威力を誇る。左サイドに移動したことで、先輩は右足でボールを持ったまま中に切り込み、直接シュートを狙えるようにもなった。
攻撃のパターンが変わったのは右サイドも同様である。左利きの葉月先輩は、敵から遠くなるように身体が開いた状態でボールをキープするため、相手を突破しなくても、チャンスと見た瞬間にアーリークロスを入れることが可能になったのだ。
突如始まった左サイドの迫力ある突進。
予期せぬ段階から放り込まれるようになった右サイドのアーリークロス。
二点リードしているにも関わらず、長潟工業には明確な混乱が生じていた。
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