第六話 破滅の黙契
第六話 破滅の黙契(1)
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五月三十日、土曜日。
県総体の一回戦は、因縁の
九ヵ月前の記憶を鮮明に覚えているのは僕らだけじゃないだろう。〇対六というスコアで圧倒した
あの日、
今日までの二週間、
中学生と高校生ではシュートの威力も、戦術レベルも大きく異なる。経験の浅い一年生がいきなり力のすべてを発揮出来るはずもない。彼の力量不足を責める者はいなかったが、プレー時間が長くなればなるほど、楓との実力差が浮き彫りになる。
失望は勇気を
楓無しでは勝てないかもしれない。かき消せない
精神は肉体と密接に関係している。勝利は何よりの薬になるから、一試合勝てば、きっと状況は変わるだろう。しかし、こんな精神状態で本当に長潟工業に勝てるだろうか。
大会ごとに実施要項、レギュレーションは異なる。
県総体では参加チームの構成が、引率教諭一名、監督一名、マネージャー二名、選手二十名と定められている。選手は二十五名の登録が可能で、その中から当日に決めた二十名を出場させることが出来る。外国人選手は四名までエントリー出来、出場は二名までだ。レッドスワンにはニュージーランド人のリオ・ハーバートがいるだけだから、枠を気にする必要はない。
前年度の得点王がベンチにいれば、相手は警戒しないわけにいかないだろう。僕を含めてもレッドスワンの選手は二十二名しかいないため、
フェイクは露骨なくらいで丁度良い。僕には昨年度に引き続き、エースナンバーの10番が与えられたし、ベンチ入りせずにコーチの務めは果たせないため、当日に提出する二十名の参加選手にも含まれることになった。
世怜奈先生は初戦に限り、試合の直前まで先発メンバーを発表しないと宣言していた。
初戦の会場には、スタンドの下に両チームのためのドレッシングルームが設けられていた。ウォームアップを終えて控室に戻ると、ようやくスタメンが発表になる。
GK、相葉央二朗(一年)。
守備的
攻撃的MFは左から、
地区予選から加えられた変更は二箇所だった。二年生の右サイドハーフが先発から外れてボランチの裕臣が一列上がり、圭士朗さんのパートナーに一年生の狼が抜擢されている。
采配の意図は明確だ。楓の離脱によりレッドスワンの守備力は大幅に下がっている。守備が得意なMFを三人使うことで、コンセプト通りディフェンスに集中するつもりなのだ。
楓の怪我に誰よりも落ち込んでいた穂高を先発させるか否か、世怜奈先生は最後まで迷っていたが、結局、彼も先発メンバーに名を連ねることになった。
この二週間の穂高は見ていられなかった。親に怒られた子どものようにしょげて、練習でも下らないミスを繰り返し続けた。
精神的にどん底の状態にあるものの、足の速い選手はその存在だけで脅威を作り出せる。地区予選でチームがあげた九点の内訳は、リオが四点、穂高が三点である。セットプレー以外では、リオと穂高、個の力に頼るしかないのがオフェンス陣の現状だ。
この季節は、まだ肌寒い。10番をつけたユニフォームの上に、チームジャージを羽織る。
長潟工業の選手は全員が半袖を着用しているが、レッドスワンは大半の生徒が長袖を着用していた。
たかだか地方予選なのに、スタンドには多くの観客が入っている。この一ヵ月で世怜奈先生を取り巻く環境は大きく変化した。彼女を目当てに足を運んだ客も少なからずいるのだろう。
先発メンバーをピッチに送り出した後で、隣に立つ監督に問う。
「この編成で勝てると思いますか?」
「
意味深に告げた世怜奈先生の横顔には、平生の穏やかな微笑が浮かんでいた。
整列と挨拶を終え、両キャプテンが主審の下へ呼ばれる。
長潟工業のキャプテンは
キックオフの前に主審は両キャプテンを集めてコイントスをおこなう。コインの表と裏、どちらかを選択した状態で主審がコインを投げ、勝ったチームが前半に攻めるゴールを決め、負けたチームが前半のキックオフをおこなう権利を得るのだ。
スタンドではベンチ入り出来なかった選手や応援に来た家族、OBなどが、それぞれ左右に分かれている。エンドの替わる後半に、自陣の応援席がある方向へ攻めるのが一般的であり、この試合もセオリー通りにおこなわれることになった。
フィールドに立つ十一人の表情は十人十色だ。
リベンジに燃える鬼武先輩は、長潟工業の選手に睨むような視線を送っていたし、森越先輩、央二朗などは緊張で表情を半ば引きつらせている。平常心で試合に臨んでいるのは、圭士朗さんと葉月先輩くらいだろうか。
伊織はこの二週間、ほとんど口を開かずに、ひたすら練習に打ち込んでいた。
言葉では償えない。ただ勝利を積み重ねることで、存在意義を取り戻す。伊織の胸の中にある想いは、きっとそういうものだった。
楓の離脱に動揺するチームに対し、世怜奈先生は特別なアドバイスをおこなっていない。チームのポテンシャルを信じているのか、それとも、この複雑な状況に対して打つ手がないのか。
コーチとして一番傍にいるのに、世怜奈先生の考えは僕にも分からなかった。
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