第六話 破滅の黙契(2)-1


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 新生レッドスワンの戦いに対して、期待もあったし、それを上回るだけの不安もあった。

 チームが始動し始めた頃、最初の一ヵ月は練習試合で九連敗を喫している。監督の首をかけて挑んだ十試合目にして、ようやく初勝利を飾ったが、それだってオウンゴールによる幸運な勝利だ。

 順調な船出ではなかったものの、チームは時間と共に確実に成長を重ねてきた。

 守備に基盤を置いたことで失点が減り、年が明ける頃には、ほとんど負けることがなくなった。勝ち切れない試合も多いけれど、三月以降は一度も敗北を喫していない。

 地区予選は三戦全勝、無失点。チームが積み上げてきた戦績は決してフロックじゃない。楓が離脱したとはいえ、どんなチームとも渡りあえるだけの力があるはずだ。

 しかし、現在のレッドスワンの精神状態は、過去最悪と言って良い。

 悩みが頭から離れなければ、試合にも集中出来なくなる。長潟工業の実力を考えても、間違いなく初戦は厳しい戦いになる。それが戦前の率直な予想だった。


 結論から言えば、ゲーム序盤は予想を大きく裏切る展開になった。

 圧倒的な自信を持って襲いかかってくる長潟工業の攻撃を、何処までしのぎ切れるか。それが勝負の分かれ目になると思っていたのに、意外にもイニシアチブを握ったのはレッドスワンの方だった。

 キープ力に秀でる両SBサイドバツクにボールを集めながら、中盤の底でめを作る司令塔のけいろうさんが、前線にボールを配給していく。跳ね返されたボールは、ひろおみろうおりが確実に拾い、第二波、第三波の攻撃を仕掛けていく。

 だかのドリブル突破から何度もチャンスが生まれていたし、上背のある常陸ひたちとリオは、そのスケールで敵のディフェンスに常に脅威を与えていた。


「だったら練習でも、そのくらいの気迫を見せてよ」

 今朝までの落胆が噓のように躍動するチームを見つめながら、が呟く。

 重たいチームの空気を肌で実感しながら、華代もずっと、力になれない自らの不甲斐なさを嘆いていたのだ。

「これなら十分に戦えるかもしれませんね」

「飛ばし過ぎだよ」

 あんの眼差しを浮かべる華代に対し、先生はそっけなく回答する。

「頭の中がごちゃごちゃで整理出来ないなら、いっそのこと何も考えられなくなるまで走れって言ったけどさ。あんなプレスのかけ方をしていたら最後まで持たない」

 主導権をこちらが握れているのは、見るからに走力が違うからだ。

「敵がこんなに慎重にゲームに入ってくるとは思わなかった」

「先生は単純に僕らが押しているとは考えてないってことですか?」

 世怜奈先生はリオと対峙する相手のボランチに目を向ける。

「6番のくわばらよう。彼からのパスがへびしまにまだ出ていない。去年、うちが決められたゴールは、ほとんどが彼を経由している。蛇島はGKと一対一になるのが上手いけど、チャンスはドリブルから生まれているわけじゃないわ。蛇島の武器はDFの裏を取る技術で、桑原陽太だけがそこにピンポイントで合わせられるパスを持っているの。それなのに、彼がまだ蛇島を狙っていない」

「自陣に張りつかされている状態だからじゃないですか?」

 ゲーム開始から二十分、ここまではハーフコートゲームのような展開だ。

「それはむしろ逆かな。桑原が前に出て来た場合は、マンマークにつくよう裕臣に指示してあるの」

「公式戦で、裕臣を攻撃的MFの位置で先発させたのは初めてでしたね」

「うん。つまりそういうこと。裕臣を一列上げて、桑原を止めてもらうつもりだった。でも、あんな後方に陣取られたら、ボールを持たれてもすぐには反応出来ない。桑原には何度か蛇島にボールを供給出来るチャンスがあった。それをしなかったのは、本当に余裕がないからなのか、別の狙いがあるからなのか」

「ボールを回され続けているチームは、精神的にも摩耗します。攻めに転じるパワーが残っているとは思えないですけど」

「でも、いつかは慣れるわ。最初はボールを持たれる展開に慌てたかもしれない。だけど、彼らはその時間に先制点を許さなかった。少しずつ頭の中もクリアになっていくはずよ」

 前半戦は残り十五分弱。

 ゴールこそ奪えていないものの、こちらのシュート数はもうすぐ十本に届く。対する長潟工業は未だにシュートを一本も打てていない。圧倒的に押しているこの展開なら、時間の問題で先制点を奪えるように思うのだが、世怜奈先生の眼差しは険しいままだった。


 前半の残り時間が五分を切ったところで、不意にゲームが大きく動いた。

 レッドスワンの最大の武器は、一目瞭然の高さを生かしたセットプレーである。

 きりはらおりぜん常陸ひたち、リオ・ハーバート、百九十センチ前後の身長を誇る三人を並べれば、適切なボールが供給される限り、高さで競り負けることはない。

 左サイドを突破した穂高のドリブルを止められず、手で引っ張ってしまった敵のSBにイエローカードが提示され、フリーキックがレッドスワンに与えられた。

 フリーキックではファウルがおこなわれた位置にボールがセットされ、敵は十ヤード、九・一五メートル離れなければならない。大抵そこにゴールを遮るための人の壁が作られ、ファウルを受けた側がボールを蹴ることでリスタートされる。

 フリーキックにはそのままゴールを狙える『直接フリーキック』と、二人以上がボールに触れてからでなければゴールが認められない『間接フリーキック』が存在する。後者は主にGKのテクニカルな反則に対して取られるものであり、今回、与えられたのは直接フリーキックである。

 穂高が倒されたのは、ペナルティエリアの正面左から、三メートルほど離れた位置だった。右足のキッカーなら、直接狙うことが出来る距離だ。

 自分で狙いたかったのだろう。穂高はボールを脇に抱え、味方と目を合わせずにセットしようとしていたが、伊織が無理やり奪って圭士朗さんに手渡した。チームで徹底してセットプレーの練習を重ねている。入るとは思えないフリーキックを蹴らせるわけにはいかなかった。

 かえでの離脱を招いた失態を償いたいのか。とうの攻めが得点に繫がらないことに苛立っているのか。穂高はしつこく食い下がっていたが、圭士朗さんは取り合わずに集中を高めていた。

「あいつ、戻らないつもりじゃないでしょうね」

 現代サッカーでは約三割のゴールがセットプレーから生まれる。高さのあるレッドスワンは、実に四割強のゴールをセットプレーから奪っていた。

 間違いなく大きなチャンスとなるわけだが、逆にカウンターをくらって失点するという危険性もはらんでいる。セットプレーでは伊織が最前線に上がるため、もりこし先輩一人では敵の速攻に対応出来ない。抜群のスピードを誇る穂高が最後尾に残るのがチームの約束事だ。

 華代が時計に目を落とす。

 試合の進行時間を示すデジタル時計が、このレベルの大会で用意されることはほとんどない。選手は競技場のアナログ時計で時間を摑むか、ベンチからの声を聞くしかない。

「前半の残り時間は三分ですね。穂高にはハーフタイムできつく言っておきます」

 穂高はまだ圭士朗さんに食い下がっている。普段であれば、伊織やおにたけ先輩がいつかつするのだが、彼らはフリーキックに合わせるため、既に壁の中に入っていた。これだけ攻めながらスコアレスで折り返すのは頂けない。このチャンスをものにしようと、二人はポジション争いを繰り返していた。


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