第五話 俎上の初恋(4)


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 五月七日、地区予選一回戦。当たり前のような顔で、決戦の日はやって来る。

 晴朗なる皐月の空の下、ついに長きにわたるインターハイ予選が開戦するのだ。

 選手権予選ではサッカースタジアムも使用されるが、インターハイ予選、まして地区予選では会場も小規模である。スタンドもないグラウンドにテントが用意され、その中に自軍ベンチはあった。

 試合前のウォームアップを終え、全部員が集合する。

 初戦の相手はミッション系の私立高校で、伝統的に男子生徒が少ない学校だ。念には念を入れ、リーグ戦を偵察して対策も練ったが、番狂わせが起こるような相手ではないだろう。それでも、細心の注意を払って試合に臨むよう、先生は何度も注意を促していた。

 予選で敗退した瞬間に廃部が決まってしまう。挑むのは文字通り命を賭けての戦いだ。

「戦うのは先発メンバーだけじゃない。ここで円陣を組もうぜ」

 世怜奈先生の最後の作戦指示が終わり、おりが部員たちに声をかける。

 キックオフ直前にフィールドでイレブンが肩を組む光景は良く見られるが、伊織はキャプテンに就任した時から、控えメンバーも含めて全員で円陣を組みたいと言っていた。誰一人、仲間の存在を忘れることなくフィールドにおもむきたい。それが伊織の願いだったのだ。

 監督やも含めて、全部員が輪になって肩を組む。

「大して観客もいない平日の初戦だけど、俺たちにとっては大切な一試合だ。こんなところでレッドスワンを殺すわけにはいかない。まずは地区予選の四試合をすべて戦い抜く。俺たちの手でもう一度、歴史を作るんだ。死に物狂いで絶対に勝つ。行くぞ!」

 キャプテンの発声に全部員の想いが重なり、先発するイレブンをピッチへと送り出す。

 未来をかけた戦いが、ついに始まるのだ。


 世の中というのは往々にして予想通りに進まない。地区予選はまさにそんな大会となった。

 初戦を四対〇というスコアで完勝し、県総体への出場切符を手に入れると、疲労の回復もままならないままおこなわれた翌日の二連戦も、二対〇、三対〇というスコアで難なく勝利する。

 三月以降、一度も負けていなかったが、公式戦と練習試合は同列に語れない。

 サッカーは精神状態がゲームを大きく左右するスポーツである。負ければ絶命という状況で、平常心を持ってプレーし続けるのは容易たやすい話ではない。それでも、選手たちは自分のすべき仕事を確実にこなしていた。

 二日間で三試合を戦い、レギュラー組に蓄積した疲労は抜き差しならないものになっている。決勝戦では大幅にメンバーを入れ替える必要があるだろう。

 準決勝の後、僕は先生と共に先発メンバーの選定に頭を悩ませていたのだけれど、そこで予想外の出来事が発生する。未明に大雨特別警報が発せられ、決勝戦が中止となったのだ。

 県総体の開催は三週間後である。大抵の高校で合間に中間テストがおこなわれるため、入り組んだ日程の間に別日を設けるのは難しい。決勝戦は取りやめとなり、レッドスワンは地区予選を三戦全勝の無失点という結果で終えることになった。


「偕成も美波も倒して、全国に行こうって言うんだ。地区予選を優勝出来ないようじゃ話にならない。すべてのチームをぶっ潰して、それから、俺は華代に告白します」

 あの日、真夜中の部室で伊織は先生にそう宣言した。

 決勝戦は中止となったものの、戦った三試合において、伊織は有言実行と言うに相応しい活躍を見せている。左からづき先輩、伊織、もりこし先輩、おにたけ先輩と並んだ4バックは、あらゆるチームの攻撃を寄せ付けなかったし、三戦で九得点と不安視されてきた前線も結果を残した。

 どれだけ強固な守備陣形を築いても、一試合を通して見れば、数度の決定機を与えてしまうことは避けられない。だが、そういったピンチも守護神のかえでがことごとくセーブしている。楓は三試合を通して、およそ無敵に思えるほどの安定感を見せていた。

 トップ下に入ったリオは、四点を取ってチームの得点王になり、ゴールを決める度に、

「月夜にかまを抜かれたな!」

 などと意味不明な奇声を敵チームに対してあげている。古典の補習中に世怜奈先生に教えてもらった決め台詞らしい。

 予選では同じ三馬鹿トリオのだかも三得点をあげている。

 ワントップとして全試合にフル出場した常陸ひたちは無得点に終わったが、アシストを三つ記録している。ゴール数こそないものの、誰がどう見ても十分な活躍だった。


 勝負において結果は、どんな薬よりも精神に効く。去年の秋口、あれだけ世怜奈先生に批判的だった鬼武先輩や楓の態度が変わったのも、新チームに結果が伴うようになったからだ。

 勝利は進んでいる方角が正しいことの証明にほかならない。

 去年のインターハイ予選で得点王だった僕を欠いていても、三年生がたった三人しかいなくても、現在のチームが去年より弱いと考える者はもういないだろう。

 地区予選がもたらしたものは、単純な結束力だけではなかった。

 予選後、もう一つ予期せぬ出来事が起こる。

 以前にも夕刊で世怜奈先生が取り上げられたことがあったが、今度は朝刊にカラーで、赤羽高校サッカー部を特集する記事が掲載されたのだ。

 女性監督が率いる強豪校は、異例中の異例である。地区予選で三戦三勝を収めた古豪を率いる女性監督。その性別だけでも注目されるには十分だったが、まいばらは教職について四年目、まだ二十六歳という若手である。しかも、新潟の人間であれば知らない者はない名家の出で、誰の目をも引き付ける美貌の持ち主だ。

 朝刊の特集記事から派生する形で、ローカルテレビ局の取材が入り、そういったすべてを世怜奈先生は快く引き受けている。否が応でも周囲の期待は高まり、世怜奈先生を追いかけるファンのような存在まで、世間には生まれ始めていた。そんな風にして、新生レッドスワンは思わぬ形で世間の注目を浴びながら、県総体へと挑むことになった。


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