第五話 俎上の初恋(5)


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 中間テストの最終日だった五月十五日、金曜日。

 初戦を半月後に控えたその日、県総体の組み合わせが発表になった。

 例年であれば、地区予選の最終日に高体連の人間がくじを引くらしいが、今年は決勝戦が中止になったため、処遇の話し合いに時間が割かれ、遅い決定となってしまったのだ。

 優勝を目指すなら、最終的にはすべてのチームを倒さねばならない。とは言え、全国区の強豪となった絶対王者、美波高校ではなく、偕成学園と同じ山に入るのが理想だし、若いチームが多くの経験を積むためにも、可能なら準決勝で美波か偕成と当たりたいというのが本音だ。

 そして、抱いていた幾つかの願いは、幸運にもすべてが成就する。僕らは偕成学園と同じブロックに入ったし、彼らと当たるのは四試合勝った後の準決勝でとなった。

 抽選の結果、いきなり因縁の高校と対戦することも決まる。選手権予選で屈辱の敗北を喫した長潟ながた工業高校が、初戦の相手となっていたのだ。

 キャプテンと副キャプテンの退場、〇対六という惨敗、あしざわ前監督の失脚、暴力事件に起因する廃部危機。長潟工業はレッドスワンにとって、あまりにも因縁深い相手である。

 あの試合を経験しているのは、おにたけ先輩、づき先輩、かえでだかの四人だが、悔しさを感じていたのはベンチ外の人間も同様だ。リベンジのチャンスに奮い立たない者などいるはずがなかった。


 県総体の組み合わせは、新潟県サッカー協会のホームページにて発表になっている。

 お昼休み、食事を終えた伊織は、真っ直ぐに僕らの教室へとやって来た。

ゆう、見たか?」

 身長が百九十センチまで伸びた伊織は、抜群に人目を引く。クラスメイトたちの視線を一手に集めていたが、気にした風もなく速足で僕らの下へと歩み寄って来た。

「偕成学園のブロックだったな! これならチャンスはあるんじゃないか?」

 四年間、春も秋も県を制し続けている美波高校は、昨冬の高校選手権で全国ベスト8という成績を残している。王者と異なるブロックに入れたことを伊織は喜んでいたけれど……。

「偕成学園のことを気にするのは、まだ早いよ」

 タブレットを使い、華代はダウンロード済みの組み合わせカードを開いた。

「シード校と違って、私たちは九日間で六試合を戦わなきゃならない。怪我をリカバリーする時間がないし、肉体の疲労を考えても、常にベストメンバーを揃えることは出来ない。不安要素は山ほどある。目の前の相手に集中するべきだわ」

 五月三十日の土曜日に開幕する県総体は、六月七日の日曜日に決勝戦を迎える。

 試合は七十分でおこなわれ、同点の場合は二十分の延長戦。それでも決着がつかなければ、PK戦へと突入する。選手交代はプロの試合と異なり五名までおこなえるため、勝ち進めば必然的に試合は総力戦の様相を呈するだろう。

 昨年は準決勝までフル出場を続けた僕が、試合の終盤に怪我で離脱している。上手く主力を休めることも重要な戦略の一つだが、トーナメントは負ければ終わりである。余力を残して戦うのは精神的にも難しい。

「敵は偕成や過密日程だけじゃない。出来れば避けたかった相手との対戦も待っている」

「避けたかったって長潟工業か? むしろリベンジが出来て好都合だと思うけど」

「私、去年の予選を会場で見ているの。だから長潟工業の戦い方はある程度分かってる。先生は私たちのチームに圧倒的に足りていないのが、ずる賢さだって言ってた。私も勝つための駆け引きみたいな部分は、未熟だと思う」

「長潟工業の方がマリーシアに長けているってことか?」

 マリーシアとはポルトガル語で『ずる賢さ』を意味する単語だ。『したたかさ』や『審判をだまして裏をかく』そういったニュアンスで使われていると理解していたのだけれど……。

「その言葉の本来の意味は、『機転』と『知性』だよ。あくまでも駆け引きで試合を優位に運ぶスキルを意味しているの。長潟工業の選手たちは、意図的に審判を欺こうとしていた。ダイブや敵に怪我をさせかねないタックルは、勝利への執着心なんて言葉でオブラートに包めるものじゃない。あんなのはマリーシアじゃない」

 普段、感情を見せない華代のことに怒りが滲んでいた。

「彼らとの試合には実力以外の要素が大きく関わってきてしまう。そういう汚い相手とは対戦したくなかった。理不尽な圧力で皆に傷ついて欲しくなかったから」

「でも、俺たちはもうあいつらが、どんなチームか知っている」

 昨年、先輩を退場に追いやったへびしまは、最高学年になりエースとしてチームに君臨している。

「去年の試合を華代が見ていたってのなら、なおさらだ。あの日の敗戦で生まれた胸のつかえを取ってやるよ。今度こそ、あいつらの好きにはさせねえ。初戦で引導を渡してやる」

「気負いに付け込まれないよう、試合では冷静にね」

「分かってる。俺たちディフェンス陣がやられなきゃ、絶対に負けないんだ。自分の使命は理解している」

 伊織は教室の掛け時計に目を移す。まだお昼休みは始まったばかりだ。

「……あのさ。華代、これから何か予定ある?」

「別にないけど」

 伊織は華代から視線を逸らしたまま言葉を続ける。

「話したいことがあるんだけど、ちょっと良いかな」

「良いけど何?」

「いや、ここじゃなくて、ちょっと教室から出て話したいんだ。話したいと言うか、正確に言えば、渡したい物があるんだけど」

 地区予選の前から、伊織はラブレターを書き進めていた。そんなに時間をかけて何を書き連ねたのか知らないけれど、十分な時間をかけてそれを完成させている。地区予選の決勝が中止になったせいでタイミングを逸していたが、ついに渡す瞬間がきたということなのだろう。

 伊織に連れられて教室から華代が出て行き、一人残された僕を、少し離れた場所から委員長のさんが不思議そうに見ていた。

 華代と仲良くなったこともあり、真扶由さんは今回の大会を見に来たいと言っていた。

 組み合わせ抽選の結果、レッドスワンは三回戦までは中越の会場、四回戦も市外の会場で戦うことになっている。新潟市で戦えるのは準決勝からだ。彼女に観戦のチャンスを作るためにも、チームを存続させるためにも、何としてでも準決勝まで駒を進めなければならない。


 華代が教室に戻って来たのは、午後の授業が始まる五分前のことだった。

 無表情のまま彼女は真っ直ぐに僕の下へとやって来る。

「……優雅、知ってたの?」

「目的語がないと分からないよ」

 恨めしそうな眼差しで周囲に人がいないことを確認してから、

「……手紙をもらった」

 自らのポケットを見つめながら、華代は小声で呟いた。

「もう中身は読んだ?」

 曖昧な表情のまま華代は頷く。

「伊織、あれを書くのに二週間くらいかけてるんだよ」

「何でそんなことまで知ってるの?」

「書いてるところを見ていたし」

「……男子ってそういう生き物じゃないと思ってた」

 どういう意味だろう。華代の視線には若干、軽蔑の色が含まれている気がする。

「準決勝に勝った後で返事を聞かせてくれって書いてあったんだけど、負けたらどうするつもりなんだろう」

「伊織は負けた時のことなんて考えてないよ。全部、勝つつもりでいる。偕成にも、美波にも、勝てるって信じてる。そうじゃなきゃ、こんなタイミングで渡さないだろ」

「……別に、試合の結果がどうなろうが、こういうことの答えは変わらないと思うけど」

 華代は僕から目を逸らして、小さな声でそう言った。


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