第五話 俎上の初恋(3)
3
その着信が携帯電話に入った時、僕はベッドに入り、眠りに落ちる寸前だった。
時刻は午前一時半、電話をかけてきたのは
『悪い。寝てたよな』
「……寝てたと言うか、眠りそうだったと言うか」
『大変なことになったかもしれない。ずっと探してるんだけど見つからないんだ』
「……何の話?」
『ラブレターの下書きを、多分、部室に忘れてきた』
「……それ、何か問題があるの? 明日、回収すれば良いだろ」
『
「医者から許可はもらったけど……。この時間に学校に行くのか?」
『頼むよ。こんな時間に一人で学校になんか入れねえしよ』
明日も練習は午後からだし、午前に登校すれば華代より先に回収出来る気もするのだが。
「付き合うのは良いけど。スピードは出せないよ。医者に注意されてるから」
『分かってる。助かるよ。忘れてきたって気付いてから、生きた心地がしなかったんだ』
団地から学校までは自転車で二十分ほどの距離である。
僕らが赤羽高校に辿り着いたのは、深夜二時を回った頃だった。
久しぶりに自転車に乗ったけれど、膝に嫌な痛みを感じることはなかった。自転車はサドルに座れるため、体重を足で支える必要がない。禁止されているランニングに比べれば、関節にかかる負担も少ない。
正門は施錠されているが、グラウンドへ続く北門の鍵は各運動部の部長が手にしている。
部室棟へはグラウンドから向かえば良いだろう。
赤羽高校の裏手には小高い丘が広がっており、学校の周囲は住宅街ではない。
消灯済みの
無人の学校は、その存在だけで薄気味悪い。回り道せずに歩を進めると、部室棟から灯りが漏れていることに気付いた。光の発生源は角部屋、サッカー部の部室が存在する位置である。
「……誰か残っているのか?」
「まさか。もう二時過ぎだよ。僕らが消し忘れたんじゃない?」
「それなら見回りの用務員が消灯しそうなもんだけど」
部室棟へ入る前に、窓から中を確認することにした。
物音を立てないよう、慎重に部室の傍まで忍び寄り……。
「……先生だ」
覗いた先には、テレビ画面を見つめながら、ノートパソコンに向かって指を動かす
テレビに映っているのは、部内でおこなわれたミニゲームの映像である。世怜奈先生はデータを根拠に戦略を練るタイプだが、こんなに遅くまで一人で分析していたのだろうか。
「どうする? ラブレターに気付かれてないなら、
彼女の背後にある長机に、何枚かのルーズリーフが伏せられている。
「……行くよ。行くしかないだろ。華代に読まれるよりはマシだ」
伊織がその場に立ち上がり、窓をノックする。
ぎょっとした顔でこちらに顔を向けた世怜奈先生だったが、僕らを視界に捉え、不思議そうに小首を傾げる。
中に入るとジェスチャーを送ってから、二人で正面にまわることにした。
「二人ともどうしたの? こんな時間に?」
映像を一時停止して、先生は僕らを振り返る。
「眠れなかったんです。ゴールデンウィークって去年は合宿をやってたんですよ。大会が迫ってるから気持ちも張りつめちゃって」
口から出まかせを吐きながらテレビに向かって歩き出す。僕の仕事は先生の注意を引くことだ。一時停止されているのは、左サイドをえぐった
「先輩のフォームは綺麗ですよね。これだけ身体が傾いているのに重心がぶれていない」
「練習の
世怜奈先生はテレビ画面に近付き、先輩の左足を指差した。
「サイドからクロスを供給するには、ある程度のパワーが必要になる。でも、葉月の場合、力んでフォロースルーが上に抜けることがないの。最後まで集中力を切らさないから、ふかさないのよね。自意識過剰な性格は頂けないけど、本当、ボールを蹴る技術は一流だと思う。そう言えば、前に言ってた例の戦術って完成度はどんな感じ? 葉月、ちゃんとコーチの言うことを聞いてる?」
「自分が主役の戦術なので、むしろ乗り気ですね。十分に実用レベルだと思います。地区予選の何処かで試せたら良いんですが、偵察に晒される危険性もあるんですよね」
先生の意識が画面に向かっていることを確認した上で、伊織に目配せする。
「それも一理あるか。うちが練習試合で無敗を続けているって、夕刊の記事にも書かれちゃったしな。警戒されていないって期待するのは安易だよね」
悩み始めた世怜奈先生の背後に忍び寄り、伊織は物音を立てずにラブレターの下書きを回収する。先生に気付いた素振りはない。無事にミッションは完遂されたのだ。
そのまま十五分ほど、雑談を続けただろうか。
世怜奈先生は分析を続けるつもりらしかったので、僕らは先に帰ることにした。急いで帰ってもベッドに入る頃には午前四時を回っているだろう。
部室を出て行こうとしたまさにその時、
「『恋』も『愛』も部首は『こころ』だけど、『したごころ』があるのは『恋』だけなんだよね」
脈絡もなく、そんな風に呟いてから、
「それで、伊織は華代にいつ告白するの?」
世怜奈先生は小首を傾げて、無邪気な笑顔でそう告げた。
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