第五話 俎上の初恋(2)


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 光陰矢のごとし。地区予選の組み合わせも決まり、運命の開戦が目前に迫っていた。

 例年、サッカー部ではゴールデンウィークと夏休みに三日間の合宿がおこなわれていたが、先生は早々にゴールデンウィーク合宿の廃止を決めている。

 地区予選の開幕は五月七日だ。コンディション調整に重きを置き、通常通り学校で練習した方が良い。そう判断が下されたのだ。


 五月四日、月曜日。みどりの日。

 午後三時から始まった練習は、いつものように二時間で終了となった。

 地区予選は参加する高校数の関係で、トーナメントに小山が出来る。あかばね高校は小山を避けられたため、三日間で四試合を戦う日程だ。

 勝ち進めば初日に一試合、二日目に二試合、三日目に決勝戦を戦うことになる。新潟地区は激戦区だが、特別シードのなみ高校は出てこない。かいせい学園はそもそも地区が異なるし、ここで優勝出来ないようでは、到底、あの二校とは戦えないだろう。

 勝機がある相手との戦いでは、運の要素が入るPK戦の前に決着をつけたい。

 練習後、世怜奈先生に呼ばれ、二人で対戦相手の分析をおこなうことになった。


 午後八時半。

 ミーティングを終えて部室に戻ると、おりけいろうさんが残っていた。

 大会前の居残り練習は一時間以内に終えるよう指示が下っている。伊織には待たずに帰ってくれと伝えていたのだけれど……。

「まだ残っていたんだね。課題でもしていた?」

 地区予選と県総体の合間には中間テストが待っている。圭士朗さんは参考書に目を落としていたが、伊織はパイプ椅子に座り、長机に向かってペンを走らせていた。

「……まあ、課題と言えば、課題と言えるのかな」

ざれごとを吐くな。どんなに能天気な高校でも、恋文なんて課題にはならない」

 呆れ顔の圭士朗さんに一蹴され、観念したように伊織は苦笑いを浮かべた。

「もうすぐ大会が始まるってのに、頭の中がのことでいっぱいでさ。こんな精神状態じゃまずいだろ。だから、いっそのこと、もう告白しちまおうかなって思って」

「振られてしまったら、結局、試合どころじゃない気がするけど」

「それは大丈夫。俺、答えは県総体の準決勝が終わるまで聞くつもりないから」

「随分と自分に都合の良い告白だな」

 圭士朗さんの軽蔑も伊織の耳には届かない。

「そんなわけで告白することは決めたんだけど、問題は方法だよ。過不足なく想いを伝えたいし、やり方は無限にあるだろ。だから考えた。と言うか、振り返って思い出してみた。今までに観た映画で一番、素敵だと思った告白って何だろうって。で、頭に浮かんだのが、いわしゆん監督の『Love Letter』だったんだ」

 僕らが生まれる三年前に公開されたその映画は、珍しく伊織が好きになった邦画だった。『ふじいつき』という同姓同名の男女をモチーフにして紡がれる、優しい恋の物語である。

「ロイヤルストレートフラッシュは出来なくても、手紙なら想いを正確に伝えられるだろ。返事をもらう日付を指定すれば、大会が終わるまで振られる心配もない」

 告白の返事が気になって集中出来なくなるような気もしないでもないが。

「一緒に部室に残っていたってことは、もしかして圭士朗さんもさんに?」

「まさか。俺は伝えるべき時には自分の口で伝えるよ」

「じゃあ、何で残っていたの?」

「校正役。ラブレターのチェックを頼まれたんだ。友人に読まれることに恥ずかしさを感じない、こいつの神経が信じられないけどな」

「だって隠す意味もないだろ。華代と付き合うことになれば、どうせ分かるんだから」

「交際の認識とラブレターの文面の認識は別問題だ」

「作文って昔から妙に苦手でさ。いつももっと簡潔に書けって先生に注意されるんだよな」

「……お前、一体、何枚ラブレターを書くつもりだ?」

 伊織の手元には数枚のルーズリーフが重なっている。

 あれが全部、下書きなのだろうか……。


 校舎を出ると、雲一つない皐月の空に、満月が浮かび上がっていた。

「二人は春の大三角ってどの星か分かるか?」

 夜空を見上げながら、圭士朗さんが告げる。

「アークトゥルス、スピカ、デネボラ、その三つを結んだのが春の大三角で、冬の大三角と比べると随分と大きいんだ。月明かりのせいで見にくいけど、もう一つ、あそこにコル・カロリって星があって、それを合わせると春のダイヤモンドになる」

 圭士朗さんは立ち止まると、夜空に浮かぶそれぞれの星を指差す。

「小学五年生の春に、かしわざきの施設で交流合宿ってのがあってさ。キャンプファイヤーをした時に、彼女が教えてくれた。それ以来、春の空は特別なんだ」

「彼女って真扶由さんのことだよね。あの子を好きになったのは、その時?」

「自覚したのは、いつだったのかな。彼女は時々、皆より早く登校していたんだけど、それには理由があって、自宅で摘んだ花を教室に飾っていたんだ。花の名前も、星座の名前も、当時の俺は教科書の中でしか意識したことがなかった。でも、世界はもっと広いんだって、彼女が教えてくれた。多分、そういう小さな積み重ねが、いつの間にか形になったんだと思う」

 華代が作った膝小僧の傷が、伊織にとって特別な意味を持ったように、ほかの誰かには何でもないようなことが、ほかならぬ彼には特別なことで。

 そうやって心を揺らされた時、人は恋に落ちるらしい。

 圭士朗さんと伊織、二人の親友は今、紛れもなく大切な誰かへの想いを心に宿していた。


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