第四話 憐憫の仔(5)ー1


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 くすという少女について考えていた。

 小柄で、うつむいていることが多い寡黙な少女。何処にでもいるような目立たない人間なのに、芯の部分に強い意志を秘めている少女。一年生の八月に編入してきた彼女は、昨年度、クラスに親しい人間がいなかったらしい。しかし、二年生に進級し、友人が出来た。一年次から僕のクラスメイトだったふじさきである。

 放課後の音楽室からサッカー部の練習を眺めていた真扶由さんは、華代のことを知り合う前から認識しており、いつの間にか二人は仲良くなっていた。

 きりはらおりの想い人である楠井華代と、じようけいろうの想い人である藤咲真扶由。二人の親友がそれぞれに焦がれる少女と同じ教室で生活しながら、僕は何とも言えない感情を日々味わっている。

 圭士朗さんは真扶由さんの前でも態度が変わることはなかったが、伊織には最近、分かりやすい変化が見て取れる。部活中、僕が華代と一緒に作業をしていると、理由を見つけては近付いて来るようになったし、用もなく昼休みに会いに来るようにもなった。

 僕らは華代自身のことを、ほとんど何も知らない。東京から引っ越して来た理由も、家族構成も、サッカー以外の趣味も、およそ何一つ知らないと言って良かった。

 難攻不落に思える城を攻略するには、まずはその城について知る必要がある。も『前出塞九首』の中で言っていたが、将を射んと欲するなら、まずは馬を射るべきなのだ。

 彼女の家族や友人関係を知れば、外堀を埋めることが出来るかもしれない。恋愛というステージにおいて丸腰同然の僕らは、まずは何か一つ武器を手にする必要があった。


 四月十九日、日曜日。

 インターハイ出場校を決める県総体には五十六校しか参加出来ないため、まずはそこへの出場権をかけて地区予選を戦わなければならない。抽選会が四日後に迫り、全選手の背番号が先生から発表されると、いやおうでも緊張感は高まっていった。

 地区予選では一試合勝てば県総体への出場が決まるし、前年度王者の美波高校はシードで地区予選を免除されている。いきなり超強豪校と当たるということはないが、サッカーは何が起こるか分からないスポーツである。僕らにセカンドチャンスはない。

 レッドスワンの誇りと歴史を賭けて、何が何でも勝利を手にしていく必要がある。


 午後五時には居残り練習も終わり、帰途につくことになった。

 伊織の気持ちを知ってから、既に六日が経過している。

 いつものように伊織と華代の三人で向かうバス停までの道中。

 何一つ障害物のない大通りで、隣を歩いていた華代が、不意につまずいて転んでしまった。

「おい、大丈夫か?」

 慌てて伊織が倒れた華代の身体を引き起こす。

「……不覚だ。また、右足が先走ってしまった」

 恨めしそうに華代は自らの足を睨みつける。けた膝に血が滲み始めていた。

「痛そうだな。ちゃんと歩けるか?」

 鞄から取り出した絆創膏を華代が貼った後で、伊織は沈みかけの太陽に目を向けた。

「あのさ、唐突な話だけど、ゆうって両親がいないんだ。色々あって今は一人で暮らしてる」

 突然始まった話に、華代はいぶかしげな眼差しを見せる。

「毎日、一人で夕飯を食うなんて寂しいだろ。時々、俺も一緒にファミレスで食ってんだよ。時間があったら華代も一緒に来ねえか? ちょっと相談したいこともあるし……」

 華代は何かを問いかけるように、僕に視線を移す。

「ずっと、お祖母ちゃんと二人で暮らしてたんだけどね。施設に入っちゃったから」

「具合が悪いの?」

「認知症なんだ。学生だから僕は家にいられないし、こうするしかなかった」

「……進行、酷いの?」

「僕のことを思い出せない程度には」

「そう」

 あっという間に、バス停まで辿り着く。

「良いよ。家族の夕食を作らなきゃいけないから、軽食しか食べられないけど、一緒に行く」

 華代はゆうに目を細めながら、そう言った。


 女の子と一緒にファミレスに入るなんて、初めての体験だ。

 華代に恋をしているのは伊織なのに、気付けば僕まで胸の鼓動が速くなっている。

 男子二人がパスタを頼み、華代はシャーベットのアイスを注文した。

「それで、相談って言うのは?」

 伊織は一度、僕を見た後で切り出す。

「マネージャーの目から見て、率直なところ、俺はDFとして成長出来ているのかなって」

「……そんな心配をしてたの? 三月以降、練習試合で不敗。結果が示していると思うけど」

「無敗が続いているっていっても、かえでに救ってもらってる自覚があるからな」

「楓がシュートを止められるのは、伊織たちがコースを切っているからだよ。調子に乗らせておいた方が良いタイプだから、先生も楓を賞賛しているけど、皆、ちゃんと分かってる。伊織の場合、最初の頃はパワーとスピードに任せた守備のせいで、不必要なファウルも多かった。でも、今はボールを奪うことじゃなく、ゴールを奪われないための守備に傾注出来ている。最終ラインで伊織が相手の攻撃を徹底して遅らせてくれるから、皆で守り切れているんだよ」

 華代は普段から、本当に皆のことをよく観察している。

 そして、彼女は真実に何かを足すことも引くこともしない。

「伊織のストライドの大きな走りは、最高速度は十分でも一歩目が遅かった。背が高いせいで散々、頭をぶつけてきたからなのかな。去年は背筋も伸びていなかった。ふくちよくきんせきちゆう近辺の体幹が弱いから腹圧も低かった。そのせいで地面を蹴っても反発を推進力にスムーズに変換出来なくて、一歩目が遅かったし、切り返しにも弱かった」

 それは去年、肉体を調べた際に明らかになった伊織の問題点だった。しかし、フィジカル的な欠点には対応策が存在する。日々のトレーニングで、伊織は半年間、瞬発力を徹底的に磨いてきた。

「身体の動きがどれだけ改善されたかは、伊織自身がよく分かってるでしょ? 言葉だけじゃ確信出来ないなら、去年からの診断結果を項目別にグラフにして見せてあげる」

 華代は通学鞄からタブレットを取り出し、伊織のデータを表示させた。

 成長期の身体に急激な負担をかけないよう、プログラムは細心の注意を払って組まれている。劇的な変化はなくとも、半年分のデータ推移を見れば、トレーニングの成果は一目瞭然だった。

「……すまない。ここまで評価されてるとは思ってなかった」

「キャプテンを評価していないわけないでしょ」

 呆れ顔で華代は嘆息する。

 その表情こそが、図らずも彼女の伊織への信頼を雄弁に語っていた。


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